「1人1便器。2時間集中して、いい汗を!」
という冒頭で、目が泳ぐが、これぐらいでめげてはいけない。現場は大阪府立阿倍野高校で「第23回大阪便教会」だそうな。参加者は小中高の教師に、大阪府立城東工科高の野球部員に京都府立好洋高校の女子バレー部員に大阪産業大学の硬式野球部員を含む、高校生大学生らが約70人という。目的としてあげられていた「教師の、教師による、トイレ掃除に学ぶ会」の建前は一体何処にという疑問が頭をよぎりつつ。中略して記者のレポートを抜粋引用すると。
耳を疑ったのは、「掃除は素手、素足で」というかけ声。
ちょっっっ。かけ声書けて、素手・素足にさせてるのか。。。
記者の驚きをよそに2、3回目の参加という男女15人の生徒らは、サッと靴下を脱ぎ、手際よく防菌スプレーを手にすり込んでいく。
サンドペーパーのシャッ、シャッという音の響くトイレ内に、「指が痛い」「クッソー、とれへん!」といった声が上がる。
2009/05/01付の熊本掃除に学ぶ会から連絡;「
感染症対策について」では、
日本を美しくする会として、早くから雑菌対策として、プロテクトX1(デルマシールドが販売中止となり代替品)の使用と掃除後の手洗い、消毒をお願いしてきました(後略)
とあったので、「防菌スプレー」なるしろものは、プロテクトX1かデルマシールドだろう。ちなみに
デルマシールドは今でも入手可能ではあるが、こちらもやはり強力な手荒れ防止保護クリームであり、
抗菌成分は入っていない。一見スプレー缶に見える容器の手にすり込むタイプのクリームのようだ。例え、少々の抗菌成分が入っていたところで、2時間、湿った状態の素手でサンドペーパーを扱っているのだ。抗菌効果を期待する方が無理だろう。
使う洗剤は環境を配慮した自然系。薬品で汚れを取るのではなく、とことん人力で磨き上げる。
この
掃除が好きな人達の使っている洗剤は「カネヨン」なる名称で呼んでいるようだが、
パッケージからみるに、
カネヨ石鹸のカネヨンSのようだ。なら、
界面活性成分は脂肪酸アルカノールアミドというので、
生分解性が石鹸に近いとされるようだが、
合成された化合物だが(「合成」が悪いという指摘ではなく、「自然系」って表現どうよという話)。自分たちがどういうものを使っているのか把握してないのでは?との疑惑を持たざるを得ない。
で、やっぱり、人力で磨き上げるのが、この人達の掃除の道らしい。
生徒の参加は無料だが、教師や市民の参加費は500円。(中略)「お金を払って掃除をする。そこに感謝があるんです」と話す。
…私、なんだか背中が痒くなってきましたよorz
さて、この現場であった「府立阿倍野高校」は「大阪便教会」の「ホーム便所」で、毎月第4土曜日に開催しているのだそうな。そして、大阪便教会のホームページには、「
体験記」がぎっしり掲載されているのである。
まず、ネーミングが凄い「
第3回教師塾 感謝のトイレ掃除 体験記」「平成19年12月23日(日)」場所は文林学院という学校だそうだが、一部抜粋。
* 回を重ねるごとにトイレ掃除の奥の深さを感じることが多いです。
* 利き手でない方の使い方が大切です。人生も支えの方が大切です。
* 人はどこかでつながっており、志の強い人のまわりにはそういう人間が集まってきて、無限の成長に向えるのだと感じました。
* 床掃除をしたことでより一層一体感が増しました。
目が泳いでくるが、まだまだ。
「
第11回便教会 体験記(教師分)」「平成19年10月27日(土)」場所は大阪府立阿倍野高等学校とのことだが。
奥の方のよごれは、ひどくなっていて、便器に顔を近づけていかないと分かりにくい。汚れは奥の方にたまりやすい。心の奥の方がきれいな人になりたいと思いました。
便器が光るのを見て、気持ちが落ち着き明日からの生きる勇気が湧いてきました。
そんなことで明日からの生きる勇気が湧いてくるとは、なにか、日頃よほど哀しいことがあるらしい。。。
そして、不思議なことに、汚れを目で確認して掃除する訳ではないらしい。
見えない所を想像して磨きました。人間も同じで表面だけでなく、見えない部分を指導者なら見出し、自らは意識して少しでも美しくできるように鍛錬していくしかないことを改めて感じました。
トイレの汚れと同じく、見えないところにこそ目を向け、感謝しなければならないと思います。
★見えない汚れがだんだん落ちていく事に気付きました。これが掃除なんだなと実感できました。落ちそうにない汚れも、時間をかけて磨き続けなければ、落ちるということを知り、ここで絶対にあきらめてはいけない。出来ない理由を考えないということを学びました。
汚れを視覚で確認して落とせばよかろうに、想像で磨いたり、触覚
(?)で汚れがあるものとして磨いたり(本当に汚れだっただろうか?)、不思議な人達である。
そして、新聞報道にもあったように高校の運動部の部員やマネージャーが参加しているようなのだが、これって「希望者のみ」参加になっているのだろうか他人事ながら心配である。サワヤカな体験記が寄せられてはいるのだが…。当ブログにも、
会社から強制参加させられて「だんだん集中し、気持ち良かったです!!」と感想を残して退社したという方からコメントをいただいたことがあるので、体験記をそのまま受け取らなくてもいいかも?とは思えるが、ベタにそう感想を書いている、もしくはそういう体験記を書く圧力はあるという解釈はしていいだろう。
★ホースで便器を洗って水を拭いて終わろうと思ったら、一つだけ大きな汚れが残っていました。これが僕の汚れなんだと思い必死になってその汚れを落としました。
トイレ掃除を終えて、振り返ってみると、イヤな事から逃げずに向き合って、取り組み事で 自分の中で、どこか強くなれたんじゃないかと思いました。
★便教会が終わって感謝の気持ちを持つことは、本気でやることにつながっているなぁと思いました。感謝している人は、自分のことだけじゃなく、協力してくれている人の分も一生懸命に何事も取り組んで本気になっています。
一番、はぁ…と思ったのがこれ、だろうか。
トイレ掃除をさせて頂いて私が一番感じた事はトイレ掃除は人生そのものだということです。ガンコな汚れは大きな問題にぶつかったことを意味し、綺麗にするためには懸命に磨くことが必要です。壁にぶつかった時も問題を解決するための努力が必要だと思います。そしてその汚れ、問題を落としたり解決した時初めて綺麗になったり、幸せになれたりする様な気がします。
(略)
この便教会を通して気付けたことはたくさんあり人生の財宝になりました。(略)今でもリーダーの人が言っていた
「汚れを取る時に一回で落ちなかったら百回磨け。それでも無理やったら千回磨け。」
という言葉がとても心に残っています。
この子がものすごく気の毒に思えてしまうのは、私の心が汚れているから、と考えていいのだろうか。
ちなみに、「山形掃除を学ぶ会」のメンバーらしい弁護士さんによる文章でこんなのがあった。
トイレ掃除により4つのことが体験・鍛錬できます。
1つ目が勇気・実行力、
2つ目が集中力、
3つ目が創意工夫と気付き、
4つ目が達成感・幸福感です。
このうち、なかでも3つめが興味深い。詳細記述の小見出しでは、何故か増えてるのだ。
3 創意工夫、合理性を究める、そして気付きについて
合理性?!
掃除道具は、サンドメッシュという紙やすりの大きいのと細いもの、スポンジたわし、亀の子たわし、スクレーパーというへらが3種類、カネヨンという洗剤、マイナスドライバー、プラスドライバー、水こしをそのうえにおいて尿石をくだいてとるためのゴムマット、その下に敷く新聞紙、金槌、ソフト金槌、ワイヤーブラシ等40種類位の掃除道具を駆使して便器の汚れを落してぴかぴかの新品のように真っ白にしていきます。2時間のなかでそのなかのどの道具をどのように使うかという創意工夫を必然的におこないます。それは便器を時間内でいかに綺麗に磨き上げるかという合理性を究めることにつながります。
与えられた枠組みの不条理さや、その他諸々を疑うことなく、枠組みから逸脱せずに与えられた課題を自分の労力を浪費してこなす人材を育成したいのだろう、と、心の汚れた私には思え、私にとっての「創意工夫」やら「合理性」とは別のものが要求されているらしいとは思うんだが。。。
そもそも、その
よく解らん志をもった人達は、「教師の、教師による、トイレ掃除に学ぶ会」とか言ってるぐらいなんだから、自身の精神修養のためにやっているのではなかったのか?
高校生達の部活単位のトイレ掃除に、本当に強制性はないのか? 今回エントリを上げている
きっかけの河北新聞報道だってPTA主催で中学校にて「親子トイレ掃除に学ぶ会」、断るのにはかなりのKYっぷりが必要では。しかも、
うちにコメントくれた会社から参加させられたという人ははっきり強制という表現を使っていたし。
トイレ掃除で心を磨きたいなら、他者を巻き込まないでいただきたいと思うのだった。なお、どうせやるなら、まず自分ちのトイレを定期的に黙って磨く事からだと思うが、この方達、特に年配男性が実行しておられるのかは気になるところである。