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『記事内容が違っているので困惑』される“新聞” 

 12日に、産経が表現するところの「市民団体」である「戦争資料の偏向展示を正す会」が、大阪府による戦後50年記念事業である府内に残る旧軍施設跡などに設置した銘板の文章にある「強制連行された朝鮮人」の表現にクレームを付けている件の、産経報道をエントリにした。その後、関連情報を探していて、妙な話を見つけたのでお持ち帰りしておこう。

 12日にエントリにしたのは、2010.6.10 13:27付の『橋下知事、強制連行の記述を擁護? 市民団体「根拠不明…撤去を」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース』と「2/2ページ」だった。これのほぼ同時刻で産経が出していた関連報道に、こんなのがあったのだ。

 大阪府が戦後50年記念事業として、府内に残る旧軍施設跡などに設置した銘板の文案は当時、どんな経緯で作成されたのか。府は「設置先の市が市史などを参考に作り、府との協議で決まった」と説明するが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)などの“圧力”に屈し、強制連行の言葉を入れた自治体もあった。


 …クォーテーションマークでくくった圧力だそうである。

 茨木市は当初、銘板の文案で強制連行に触れなかったところ、朝鮮総連のメンバーら数人から抗議を受けたという。当時の担当職員は「2回ほど面談し、事実を示す資料がないと説明した。しかし、激しい口調で『歴史認識がなってない』『もっと日本の加害に踏み込め』と要求され、強制連行の言葉を入れた」と明かした。


 担当職員が、産経の取材に明かしたそうである。

 さて、私が見つけた妙な話は、山下・茨木市議の14日付ブログエントリだ。

 安威地下トンネルは太平洋戦争末期に海軍が戦争遂行のため必要な物資を貯蔵するために設けたもの。この地下トンネル工事には強制連行された朝鮮人労働者が動員され過酷な環境の中で働かされました。大阪府と茨木市が合同で戦後50年記念事業としてその史実を銘板に記載し、現場に設置したものです。

 今回記事はこれを朝鮮総連の圧力によるものと捻じ曲げたもの。市の関係者に確認したら

村山首相談話(日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを「疑うべくもないこの歴史の事実」とし、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明した」)を踏まえながら、大阪府とも協議して決めたもの

と話したのに記事内容が違っているので困惑しているとのことでした。


 …「捻じ曲げ」「記事内容が違っている」とは、随分お手柔らかな表現では無かろうか。山下市議の情報から判断すれば、産経の記事は創作とすら表現できそうである。
 ちなみに、

 私が学生の頃はすでに自民党の機関紙だと云われていましたが、いまや日刊右翼新聞なのでしょうか。


 山下市議の学生の頃がいつぐらいかはよく解らないが、昨年の政権交代時に産経新聞社会部による「産経新聞が初めて下野なう」@Twitter発言があったので、産経の方の認識もそうだったらしい。あと、「日刊右翼新聞」は、右翼はカタカナにした方が良いような気がするし、そもそもあれは「新聞」と名乗って良いメディアか?という疑問も呈されていたりもする。

 だって産経といえば、
2008年12月には「南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去」等報じて、記念館側から2007年12月の記念館の新館オープン以来写真の撤去は行っていないとの抗議を受けたり、
2009年1月には『桂三枝さん、師匠の名跡「桂文枝」襲名へ きん枝さんも「小文枝」に』等報じて、三枝師匠ご本人がブログで否定していたり、
同じく2009年1月に
、「dj19の日記」さんが『「韓国人元慰安婦、韓国政府と米軍を告発 NYT紙」と産経が捏造』とエントリにしたように「ニューヨークタイムズ紙の原文ではEx- Prostitutes(元売春婦)となっているのに産経が勝手に慰安婦(Comfort Woman)と誤訳して捏造、誤誘導」してたり、「占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令」なんてRAAの設置を要求したのがアメリカ軍みたいな話を作ったりの件があったりもするのだ。

 また、この後になるが13日にも、不思議なことに・親切にも・よりによって産経新聞にそれを渡す「朝鮮総連関係者」から入手したという内部文書をソースに「総連、朝鮮学校無償化へ攻勢 「日本人になりすませ」 文科省への電話指示、ノルマも」という記事で、「関係者による」証言で『複数の日本人になりすまして電話回数を稼ぐよう指示』したと産経は報道し、「産経、怪文書を撒き散らす - vanacoralの日記」と「総連、朝鮮学校無償化へ攻勢 「日本人になりすませ」 文科省への電話指示、ノルマも (追記・訂正あり) - bogus-simotukareの日記」にて批判されている。
……ちなみに、「大阪府の戦後50年記念事業の銘板の件では、「朝鮮総連のメンバーら数人から抗議を受けた」と「産経の取材に明かした」筈の、茨木市担当職員さんが「記事内容が違っているので困惑している」そうである。

 そんなこんなの状態なのだが。ネットで見て回っていると。
「朝鮮総連関係者」から入手したという内部文書ソースの朝鮮学校無償化に総連がどうとかいう産経報道と、銘板の文案作成に朝鮮総連から“圧力”があったと言い出してる産経報道の二つを挙げて、「地方の事業の中でこんな「圧力」がかけられた過去もある。今の状態でこれほどの圧力団体になっている相手に行政参加権を与えたらどうなるか、想像できない人はいまい」と、外国人参政権に反対している人を見かけたりするのである…。

 なんだかなぁ。


参考;

(略)
安威地下トンネルとは
 それでは、この安威地下トンネルとは具体的にはどんなものなのか。現存する遺跡、引渡目録等の資料、証言によれば以下の姿が浮かび上がる。
 敷地30万平方メートルの“借地”に、海軍省事務所・倉庫・兵舎・熊谷組事務所・朝鮮人宿舎などが建ち並び、1944年秋から掘削工事が始まった。ロ地区は海軍が直接工事を行い、朝鮮人を使役した。イ地区は熊谷組が海軍から請け負った。ハ地区は資料にない。朝鮮から強制連行された金泳九さんは、イ地区で昼夜二交替で掘削した。賃金はあることになっていたが受け取っていない。
(略)
 イ地区は熊谷組が朝鮮人を使って工事をした。当時の社長熊谷大三郎の『戦時日記』には、安威の工事現場を訪れたことが幾度も記載されている。熊谷組等の土建会社は戦中戦後に莫大な利益を得た。軍から一括して賃金を受け取って工事を請け負い、労働者は政府が朝鮮・中国から連行してあてがい、極度の低賃金か事実上の無給で使役し、戦後は敗戦によってこれらの労働者を手放さなければならなくなったという理由で、政府から補償金を獲得する有様である。
(略)
《ピースあい》へのあゆみ
 吹田市民である塚崎は、地元茨木市民が調査の主体となるようにと、茨木市内の小中学校・高校で同和教育・在日外国人教育に取り組んでいる教員に共同調査を呼びかけた。集まった人々によって、1994年の間にトンネルの内部調査、地元住民・軍関係者の聞き取り、文献調査が大きく進展した。成果は1995年4月、冊子『故郷への轍~茨木安威地下トンネルは語る~』に纏められた。好評を得て後に増補版を発行した。教材用ビデオも3本、編集作成した。
 折から戦後50年を迎えたこの年、大阪府の「戦争の傷あと銘板設置事業」の「傷あと」のひとつに、マスコミも注目したこの地下倉庫跡が選ばれた。銘文を作成する茨木市の文案には当初、強制連行やアジア太平洋地域の人々への加害の言及がなかった。冊子『故郷の轍』刊行委員会は他の市民団体と共に交渉に加わり、強制連行・強制労働、加害の事実などが明記されて、ロ地区近くに設置された。(略)
 歴史が今日に結びつかないのであれば、過去をえぐらなくてもよいかも知れない。しかしどうやらそうではなさそうだ。“健全な保守”は衰退し、保守勢力は極右に結合されつつあるようだ。彼らは「大日本帝国」に憧憬し「新日本帝国」を夢見ているようだ。
 《ピースあい》は茨木の地から差別と暴力と戦争のない社会への思いを発信し続けたいと考えている。



金泳九(キムヨング)さんの話
1.生い立ち
 わたしは1922年2月14日、現在の韓国慶尚北道義城郡比安面堤洞というところで生まれました。私の生まれた村は100軒ばかりある貧しい村でした。私の家は、自分の田を少し持ち、あとは小作(他人の土地を借りて耕す)する百姓でした。
 私が1才の時、父は東京へ出かせぎに行きました。東京から私にと靴を送ってくれたそうです。ところが、1923年9月の関東大震災の後、行方不明になってしまいました。あの朝鮮人ぎゃく殺事件に、まきこまれてしまったのかもしれません。私の村にいる日本人は警察官だけでした。私は貧しかったので昼の学校にいけず、夜の学校に通いました。私の村では、昼の学校に行けた人は20%くらいでした。(略)

2.日本へ
 1944年2月、私が23才の時のことです。私の家では、姉は結婚して家を出て、兄は死亡し、3男は「満州」へ行き、家に残っていたのは母とすぐ上の兄と私の3人で、農業をしていました。
 ある日のこと、私が山からしばを刈って帰ってきたら、村長から一通の手紙がきていました。「この家には働き手が二人いるから、一人は日本へ働きに行きなさい。」という内容の手紙でした。警察の人も「2年間、日本に行って働いてこい。」と言いました。そのころ、村長や警察のいうことは、朝鮮総督府(朝鮮を支配していた日本の役所)の命令であり、それにそむくことは許されませんでした。(略)

4.安威のトンネル工事
 1945年の3月、私たち20人が茨木の安威にやってきました。この20人は、私と同じ義城郡からきた人でした。
 安威についた次の日から、さっそくトンネル掘りをやらされました。(略)ダイナマイトをしかけたり、穴を掘り進んだり、トロッコをおしたり、土を平らにするような危険な仕事はみな朝鮮人がやりました。(略)食事は、げん米、みそ、たくあんにそうめんの入ったみそ汁などでした。ごはんは茶わん一ぱいだけです。(略)
 安威での給料は長野とちがって、トンネルを1m掘ったらいくらという、うけとり方式でした。もうけは長野よりよかったのですが、「お前らは、金は国に持って帰ったらいいじゃないか。それまではあずかっておく。」と、ここでもお金はくれませんでした。毎日仕事が終わると、今日のうけとりは、いくらになったというだけで、そのくわしい内容は見せてくれませんでした。(略)

5.日本の敗戦、自由の身に
 (略) その後仕事もなく、お金もなくなり、帰るに帰れなくなり、結局あきらめてしまいました。そして、とうとう今日まで帰れませんでした。

6.日本に対する想い
 私は、今年72才(1994年現在)になりました。日本に来てから50年たちました。(略)戦争中は、朝鮮は日本の植民地だ、朝鮮人も日本人も同じだといって、朝鮮から連れてきて、発電所の工事やトンネル掘りなど、むりやり働かせた。そして戦争が終わったら、日本人ではないからといって、今日にいたるまで何のつぐないもしてくれていない。 朝鮮から連れてこられた私を、むりやり働かせた土木建築会社は、今でも日本で有名な会社です。その会社も私が働いた給料を、はらってくれていません。日本の政府も、私に何のつぐないもしていません。悪かったというおわびもありません。
 私は、若いころ食べ物もなく、ひどい仕事をさせられ、口には言えないほどのつらい思いをしてきました。今でもあの時のことは、一日に一度は思い出します。


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ユーザータグ:  『ま・た・産・経・か』
[ 2010/06/17 19:00 ] 自爆史観 | TB(0) | CM(2)

   No. 7040

他にも思い出したのでコメント。産経のデマ報道といば、「不当な支配」にあたると裁判所から認定された七生養護学校への「過激な性教育」バッシングで事実とかけ離れた報道をやらかしたり、「日教組の強いところは学力が低い」といった相関関係の無いものをあるかのように報道したりと、ほんと枚挙にいとまがありませんね。
[ 2010/06/19 20:19 ] -[ 編集 ]

   No. 7042

>dj19さん

 学ラン報道は余りきっちり把握していないので、さりげにうちのエントリでは触れていなかったりしますが、うちでは『ま・た・産・経・か』でタグ付けして分類しているぐらいだったり、pr3さんが産経専門ブログやっているぐらいですからねぇ。全部挙げたらきりがないレベルですよね。
[ 2010/06/20 13:57 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

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