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『男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分』 

 先に書いたエントリ、『一番最近読んだ怖い本;「母は娘の人生を支配する」』で、私の引用した一節に、とある方から疑問を呈された。この一節だ。

 ファルス(ペニス)中心主義という「偏見」にさえ陥らなければ、精神分析とフェミニズムはきわめて相性がよいのですが、このことからもおわかりの通り、私は「ジェンダー」の考え方を全面的に肯定します。男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない。精神分析フェミニズムに近い私は、これまでこの前提を疑ったことは一度もありません。


 この、『男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない』との文章は、『「男性であり、女性であるということは」100%環境による』という主張と読め、それならトンデモ主張のたぐいではないか、と疑問をもったとの指摘だ。

 私は、斉藤環氏自身では当然無く、氏の著書を複数読んでいる訳ではないので、もしかしたら斉藤氏がそう主張している可能性は0だとは断言できない。ただ、この一節に違和感をもたなかった読者の一人として、上記のような疑問を表明された方が少なくとも一人いらっしゃると言う事は、実はこっそり他にも複数(たくさん?)いらっしゃるかもという事で整理してみたい。はっきり言うと、荷が重いのだが(^^;

 ジェンダーの考え方が『「男性であり、女性であるということは」100%環境による』との考え方だと読まれ、暴論ではないかと指摘されるのは、実は「ジェンダーがセックスを規定する」というジェンダーがらみの議論でよく出てくるフレーズに関連して、しばしばされてきたやりとりであると目にする。この「ジェンダーがセックスを規定する」との表現は、

 (略)「生物学的な要素は存在しない、すべて社会的・文化的に形成されているのだ」「人の性別のあり方は社会的・文化的に決定されており生物学的要素はないのだから、育て方によってはいかようにも育てられるのだ」という暴論としてバッシングされている。言うまでもなく、完全に曲解に基づく言いがかりだ。


 もちろん、私が目にした「トンデモ主張のたぐいでは?」との指摘は、単に疑問を疑問として表明されただけで、難癖をつけようとおっしゃった訳ではないので、念の為。

 まず、「ジェンダー」という概念だが、これは近頃使われている用法での定義が古典的なそれから少し変わってきており、しかも確定しきっていない点はあるだろう。三省堂の「大辞林」ではこうある。

(1)英文法などで、性。
(2)生物上の雌雄を示すセックスに対し、歴史的·文化的·社会的に形成される男女の差異。「―-ギャップ」

 実はこの定義では不十分なのだ。三省堂提供「デイリー 新語辞典」にはこうあるそうだ。

(1)英文法などで,性。
(2)生物上の雌雄を示すセックスに対し,歴史的・文化的・社会的に形成される男女の差異。また,その差異に対する知識。


 強調した部分が大辞林にはなかった記述だが、この記述が重要となる。この点について、macskaさんが実にあっさりと解りやすく説明されている。

要するに「あなたがセックスだと思っているものは身体そのものではなく、文化的・社会的なレンズを通して見た、身体についてのひとつの解釈ですよ」というだけの話。


 前振り無しに、これだけあっさり書いておけば用は足りてるんじゃないかと思いつつ、このエントリを書いていたりもするので、そーゆーつっこみは無しの方向で(^^;

 差異に関する知識、あるいは「自分」がもつ文化的・社会的なレンズもしくはフィルターを通してでしか、私たちはあらゆる物を見る事はできないのではないだろうか、雌雄に限らず。もちろん、対象を認識し、自らによって表現する事それ自体も、「自分」を通してでしかできないだろう。

おそらくどんな表現でもそうであろうが、言語を用いた表現に「無色透明」はあり得ない。
表現の対象を取り込むこと、それを言語という形に変換してアウトプットすること。
それぞれの段階で、そこには「自分」が入る。(略)
この場合、私は「自分」という言葉を
個人がそれまでの人生で積み重ねた経験を基にした判断基準や感情という意味で使っている。


すべての表現は、偏っている。
それは、すべての表現は「自分」だから。
「自分」が切り取る範囲を決め、「自分」というフィルターを通して表現するものが偏っていないはずはないし、逆にいえば、偏っていないものなど表現する価値がない。




 「木々の日記」さんは、「ジェンダーには二つの意味がある」として、こう整理しておられる。

・ジェンダー[I](社会的・文化的性)
・ジェンダー[II](性にまつわる言説の総体・「客観性」を留保した性についての態度)


 この[II]の意味で、冒頭に引用した斉藤環氏の文章を見直せば、そう違和感は出ないだろうと思われるのだが、どうだろう?

 男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない。


 「男性である」「女性である」と見る主体の視線には、すでに文化的・社会的なレンズがかかっている。知識を増やす事でレンズのゆがみを少なくする事はできるだろう、だが、既に育ってきた背景から来る影響を受けて見てしまう事は、0%にはできない。生物学的な雄性はもちろんイコールで「男性」でないし、生物学的に雄性であると認識した時点でも、なんらかの意味づけをしてみてしまう事がほとんどでもあるだろう。斉藤氏の文章は、「女性である」「男性である」と認識した時点で、生物学的本質とは独立した意味づけを付加する事が、主観をもつ一個人に避けがたいという話ではないだろうか。
 ちなみに、私も、うちのちびにゃんこ(♀)が非常な甘えっ子のストーニャーであることに、「多くの場合は、男の子の方が甘えっ子で女の子はクールなものだと思ってたけど、この子は違うんだなぁ」と感慨にふけったりもする。相手が人間以外の場合ですら、だと思える。

 ジェンダーという概念には、「社会的・文化的性」と「性にまつわる知識・言説の総体」の二つの意味があるとまとめることができるだろうが、さらに文脈によっては、

 ジェンダーというのは辞書的には文化的・社会的な性役割や「男らしさ/女らしさ」といったものを指す価値中立的な言葉だけれども、現実にそれは一種の規範として強制力というか圧力を持つわけ。ジェンダーフリーの立場は「性役割の強制はよくない」「男らしさ・女らしさの強制はよくない」というものだけれど、強制力を伴わない「ジェンダー」というのは実質的に考えられない。というか、辞書的な定義はともあれ、現実には強制力を伴う規範的なものが「ジェンダー」として認識されるわけ。


 と、さらに背景を踏まえて慎重に意味をとる必要がある場合も。というか、「性にまつわる知識・言説の総体」とすれば、そこには「社会的・文化的性」の意味も含むとも言えるだろう。

 …さてと。もう一押し、言い換えた表現を追加すると、引用した斉藤氏の文章がトンデモとは思えなかった事について、少しは説得力は増すだろうか?

 「生物学的性差をどのように社会が受け止めるかっていうのは文化や時代によって違うよねー」「言語を通して理解され、社会構造に組み込まれていくよねー」


(略) すごく大雑把に言えば、例えば「男脳/女脳」が本当にそこに存在していたとしても、時代や文化、場所や人、国やコミュニティなどによってそれをどう解釈するか、何を「特性」や「らしさ」とするかは大きく異なってくる。また脳自体も、物質をどのように解釈するかがその状況などによって大きく変わるよね(物質でさえ個体差があるとも思うけど)。(略) 既に行われている「区別」が「差別」になることもあれば、その「区別」が必ずしも根拠あるものでない場合もある。脳の働きが一定だとして、それをどう解釈するかという次元ではやっぱり「区別」が恣意的に働くこともある。




 こんなとこで、少しは納得していただけますかね? (と、誰にともなく(^^;



 引用で入りきらなかったけど重要な参考;
誰でも分かる「ジェンダーがセックスを規定する」の意味とその意義



 更に参考;
「同じように育ててるのに」? - Imaginary Lines
子どもとジェンダー - Imaginary Lines

 ネタ;
最もラディカルな「ジェンダーがセックスを規定する」論 - Imaginary Lines
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[ 2010/05/14 22:00 ] ジェンダー関連? | TB(0) | CM(14)

   No. 6983

違和感を感じるかどうかは読み手のバックボーンにも依存しそうですね。ジェンダー論や社会学系の人なら社会的、文化的な影響を大きく評価するでしょうし、生物学系の人なら「いかなる生物学的な本質も関係していない」という部分に厳しく反応すると思います。
個人的には、70年代以降、生物学者が人間の性差・社会・文化などに対する生物学的、遺伝的、進化的影響を述べるときに(常にではないかもしれませんが)慎重に表現を選んできたことを考えると、この種のラディカルな表現、最大限の好意を持って妥当な解釈になるように読み手が奮闘しないとならない(*)ような表現を用いるのはナイーブすぎると感じます。

(*)「…だが、既に育ってきた背景から来る影響を受けて見てしまう事は、0%にはできない」という碧猫さんの解釈はきわめて穏当だと思います。誰も異論を唱えないでしょう。一方斉藤氏の主張は、言い換えれば「既に育ってきた背景から来る影響はほぼ100%である」ですよね。これは全く異なる主張のように思えます。
[ 2010/05/16 14:01 ] z8Ev11P6[ 編集 ]

レッツ文(化)人(類学)!   No. 6984

多分クィア界隈では有名な話かな、と思うんですけど、インドあたりには、「ヒジュラ」と呼ばれる男でも女でもない第三の「性」がありますね。
他にも、民族の伝統的な慣習として、男女以外の「性」の区切りが存在する場合はあるようです。
北米の先住民族で、異性の仕事に従事する人を異性カテゴリの別の性に区分し、結婚においてもその基準が適用される(「生物学的には女性だけど男仕事をやる人」の性に区分されている人の結婚相手は女性でなければならない。逆も然り。)ところなんかもあったはず…手元に資料がないのでアレですが(汗)

現代社会においても、トランスセクシュアルが要件をクリアすることで戸籍の性別を変える事は可能ですし、先天的に性が未分化の場合も、現代社会は基本的に適当な基準で区切りますね。

「男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分」

というのは、こういうことかなぁ、と。
[ 2010/05/16 19:44 ] -[ 編集 ]

   No. 6985

七重さんコメントありがとうございます。ただ、うまく意味がつかめませんでした…。もともとの「男性であり、女性であるということ」とか「支えられた区分」という表現が曖昧で、どのようにでも解釈可能なのが問題なのですね…。

七重さんが挙げられた二つ目の例を、そのまま最初の表現の形に言い直すと、「戸籍上の性、法的な性はそれに関連する法令によって規定される」となるでしょうか。だとすれば言うまでもなく、同語反復的な意味で真だとおもいます。もちろん戸籍上の性という社会的な区分が、個人の人生になんらかの影響を与えることもあると思います。このような弱い主張には異論なしです。論点になるとしたらより強い主張、性に関するアイデンティティや価値観、バイアスが完全に後天的に(与えられた社会的な区分によって)書き換え可能なのかということではないでしょうか(斉藤氏は「ほぼ完全に」という表現を用いていることから、この強い主張を行っているのではないかとおもいます。ラカン派の伝統にしたがって、弱い主張とも強い主張ともとれる曖昧な表現を意図的に用いているのかもしれませんが)。

一つ目の例はおもしろいですね。ヒジュラは聞いたことがありますが、北米の先住民族の話は初めて知りました。
もし「生物学的な性は男と女の二つのはずだが、第三の性がある社会があるのだから、性に関する社会習慣や人の心は生物学的本質と無関係に違いない」ということでしたら、ヒジュラの認知的、行動的なバイアスは生物学的性と無関係なのかどうか、実験心理学的に研究してみる価値があると思います。もうされているのかな。そもそも生物学的性は明確に二つに分けられる物ではなくて、生物の種と種の間が明確に区切れないケースがあるように、連続性のある現象なのかもしれません。性の社会制度が多様であるのは、性の生物学的な連続性を反映している可能性もありそうです。

私は社会制度や慣習がどれだけ生物学的な性質に根ざしていて、また文化や慣習がどれだけ人の心や行動に具体的な影響を与えるかに関心があり、そのためにこの種の表現には敏感になってしまうのですが、関心や問題意識が異なれば、受ける印象はかなり異なるのでしょうね。
元のエントリの趣旨とかけ離れたコメントになってしまいもうしわありませんm(_ _)m
[ 2010/05/17 16:07 ] z8Ev11P6[ 編集 ]

あああ…orz   No. 6986

今更、あまりに本エントリを無視していたことに気づいてしまったorz

>碧猫様

コメント欄汚し、本当に失礼いたしました;
もう少しだけ、ご容赦いただければと思います…。

>いとみみず様

よく分からないコメントに、反応して下さりありがとうございます。

>「男性であり、女性であるということ」とか「支えられた区分」という表現が曖昧で、どのようにでも解釈可能なのが問題

あー…私も混乱させる方向にしか働いてないですね(汗)
いわゆる「性」の要素としては生物学的性・一般的な意味でのジェンダー・性自認・性的指向等があって、それぞれの要素は、どれとどれが抱き合わせということもなくモザイクになっているものだと思うのですがー…。

こちらのエントリーに関して言うならば、一般的な意味でのジェンダーにおいて、
「男らしさ・女らしさに分類されるものは社会的・文化的に依存する」
ということではないかと。

自分の先のコメントの意図としては、

>「戸籍上の性、法的な性はそれに関連する法令によって規定される」

が、世間で思われているほど生物学的な性を完璧に反映させているわけではない、というのがありました。
「越境を許す」のも、「強引に分類する」のも、恣意的なもので、古今東西に通じる基準があるものではないですし。
(その恣意性に対してどのような判断を下すかはまた別の話で。
あたし個人としては強引に区切らなければいけないというのはどうかと思うのですが、個人の歴史とかを考えると斬り捨てられるものではないよなぁ、とも)

…そろそろ、黙ろうかと思います…お邪魔いたしました;
[ 2010/05/17 22:30 ] mQop/nM.[ 編集 ]

   No. 6987

http://d.hatena.ne.jp/My_Warehouse_Eyes/20090508/1241785593
直接に生物学的な性と社会的な性をあつかったものではないのですが、関連する人類学の文献をおいておきます。

私見ですが、生殖(=再生産)はあらゆる社会の存続の前提となるものなので、多くの社会で不妊への対処法が存在します。現在の私たちの社会は生物学的本質主義の影響が強く、遺伝的な親子関係に囚われているといえるかもしれません。
社会制度としての不妊への対処があるのであれば、生物学的な性、生物学的な親子関係への拘泥は棄却されることになるかもしれません。

一方
チンパンジーなどは♂と♀で食物の好みから行動パターンなどが確実に違うという話もあります。ヒトにおいても、♂♀で先天的な行動パターンに統計的な違いがでることもほぼ確実と僕は考えています。

まあマルクスでいえば、下部構造が上部構造を一方的に規定するということにはならないわけで、生物学的な違いが存在することと、生物学的な違いとは無関係な社会的な性のあり方の差異があることは同時にありえることでしょう。
[ 2010/05/18 10:29 ] -[ 編集 ]

   No. 6988

>いとみみずさん
>ジェンダー論や社会学系の人なら社会的、文化的な影響を大きく評価するでしょうし、生物学系の人なら「いかなる生物学的な本質も関係していない」という部分に厳しく反応すると思います
<
 影響する読み手のバックボーンは、そちらではなく、生育歴といった面が大きいのではないかと、個人的には考えています。
 せこく言い訳しております通り、このエントリは斉藤環氏の言説を擁護というよりは、斉藤環氏の引用した文章に違和感を感じなかった私自身の見解の整理のつもりです。ですので、
>妥当な解釈になるように読み手が奮闘しないとならない (*)ような表現を用いるのはナイーブすぎる
<
 という批判は妥当だと思うというか、批判されても仕方ないだろうなとは思います。ただし、
>70年代以降、生物学者が人間の性差・社会・文化などに対する生物学的、遺伝的、進化的影響を述べるときに(常にではないかもしれませんが)慎重に表現を選んできた
<
 のは、それよりも前に、生物学が差別やあまつさえ虐殺の根拠にすら使われてきた経緯を踏まえての結果でもあると認識しておりますので、ジェンダー論の先にいる方たちには、今後の課題として欲しいなとは思います。批判に答えたジェンダーの概念やそれ関連が、磨かれていくことを願ってもいますので(と言明する一方では、気にせずラディカルに先に進んで欲しくもあるのですが(^^;)。
 また、地下猫さんが既に言及されている通り、「生物学的な本質も関係していない」は、「生物学的な本質は無い」と主張している訳ではないことも、気にとめておいた方がいいようにも考えています。



>七重さん

 興味深いコメントをありがとうございます。面白いから、続けてもらってかまいませんよ^^
よく解らないから、私からのレスは鈍くなりますが(^^;

>>「戸籍上の性、法的な性はそれに関連する法令によって規定される」
>
>が、世間で思われているほど生物学的な性を完璧に反映させているわけではない、というのがありました。
<
 その世間の意識、「社会的・文化的な慣習によって支えられ」た意識が、時代とともに変わってきているのはありますよね。

>「越境を許す」のも、「強引に分類する」のも、恣意的なもので、古今東西に通じる基準があるものではない
<
 だからこそ、「社会的・文化的な慣習によって支えられ」ているとの考え方に首肯する、という話で良いんでしょうか(^^;



>地下猫さん
>http://d.hatena.ne.jp/My_Warehouse_Eyes/20090508/1241785593
<
 内容に直接関係はないのですが、挙げられた例が全て(ですよね)アフリカの社会というのは、興味深いですね。

>チンパンジーなどは♂と♀で食物の好みから行動パターンなどが確実に違うという話もあります。ヒトにおいても、♂♀で先天的な行動パターンに統計的な違いがでることもほぼ確実と僕は考えています。
<
 その観察を行っている主体がジェンダーバイアスのかかった解釈をしている可能性はないのか、とか、例えハエやチンパンジーに先天的な行動の性差があるとしても、どこかの目眩や発熱や頭痛を起こしてくださる方ですら(?)主張されている通り、チンパンジーとヒトとの間にだってgenomic DNA塩基配列に4%弱の種差があるとされる以上、その事実はヒトに外挿するのは適切か否か、とか。
 あるいは、外挿するのが適切かどうかは、完全に環境からのジェンダーバイアスの影響を廃してヒトの子供を育てて検証する必要があるような話になってしまうような気がするが、それは当然倫理的に許されない話だから、検証不能だ、とか。
 この辺を考えていると、結構、キリがない話で頭がぐるぐるします。が、

>生物学的な違いが存在することと、生物学的な違いとは無関係な社会的な性のあり方の差異があることは同時にありえることでしょう。
<
 同意です。なお、私はエントリ中で、「男性」と「雄性」を使い分けていますが、genderをsexと別概念とした時点で「男性」「女性」には社会的な存在であるという含意を表現しているつもりであり、生物学的な「雄性」・オス・♂とは別概念扱いの認識でおります。獣ぢゃないでしょ、みたいな。

 …ところで、猫かぶり文体じゃないのが物足りません。
[ 2010/05/18 18:34 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

   No. 6989

>猫かぶり文体じゃないのが物足りません。

にゃー

簡単にご返答

>その観察を行っている主体がジェンダーバイアスのかかった解釈をしている可能性はないのか

単純にどの食い物を食っているかとか、どんな場所でどのくらいの時間何をしていたかの観察にはジェンダーバイアスはかかりにくいと思いますにゃー。
以前にエントリであげたけど、チンプの♂はニンゲンのようなホモソーシャル社会できゃっきゃうふふしているけど、♀はけっこう孤独だとかね。

>完全に環境からのジェンダーバイアスの影響を廃してヒトの子供を育てて検証する必要があるような話になってしまうような気がするが、それは当然倫理的に許されない話だから、検証不能

イスラエルのキブツでは、一時期、ジェンダーバイアスを排除した共同体をつくろうとしていたことがあったんですよにゃ。乱暴にいうと結果的に失敗となったんだけど、これはもちろん社会のジェンダーバイアスが強いから、という原因なのかもしれにゃーわけです。

僕としては、ジェンダーと生物学的性差は無関係ではないと考えているけど、形式的には切り分けるべきだとも思いますにゃ。
[ 2010/05/19 10:10 ] -[ 編集 ]

猫かぶり文体(嬉   No. 6990

>簡単にご返答
<
 大学レベルの文系専門教育は受けておりませんので、専門用語が頻出すると理解がついて行きませんので…。某ブコメとかさっぱり(;_;)

>単純にどの食い物を食っているかとか、どんな場所でどのくらいの時間何をしていたかの観察にはジェンダーバイアスはかかりにくいと思いますにゃー。
<
 挙げられた例には同意します。でも、それを弁別するのは、それらを集積し加工された情報の受け手には難しいな、とも思えます。なお、霊長類研の先生の講演を聴いたことがあるのですが、チンパンジーの子供の何かの動作の解説のたびに、この子は男の子、この子は女の子と言及しておられたのに気づいて、興味深いと感じたことがあります。ジェンダーコンシャスと表現すべきかもしれませんが、ジェンダーバイアスと紙一重かもしれないなとか。
 それからチンパンジーに関してなら、「チンパンジーのジェンダー」が存在するという仮説も、立てることは可能ですよね。>「チンプの♂はニンゲンのようなホモソーシャル社会できゃっきゃうふふしているけど、♀はけっこう孤独だとかね。」


>ジェンダーと生物学的性差は無関係ではないと考えているけど、形式的には切り分けるべき
<
 先のコメレスでの言及は、社会的性差と生物学的性差の、どの要素に関係があってor別のどの要素が無関係かは、事実上検証不能とも言い換えうる表現のつもりです。性差に原因を求めるより、個人差に原因を求めた方が、手っ取り早い要素も多いでしょう。
 なら、より個人への抑圧の少ない社会を目指す立場に立つなら、関係の存在を一生懸命に探す前にやることはたくさんあるんじゃない?って話になるかと思いますにゃ。
[ 2010/05/20 12:26 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

   No. 6991

無論、個人差は性差より大きいよにゃ。
だから、個々のケースに生物学的なモノを持ち込むのはおかしいことが多いでしょうにゃー。
しかし
統計的に見られる傾向性についてはこの限りではにゃーでしょう。

例えば、地域によらず人類に普遍的に見られる性別の傾向があり、同様の傾向をチンプも同様にもっていたとしたら? これは生物学的な性差である可能性はでかいのではにゃーかな?
まあこのあたりのネタは、資料をそろえていずれ・・・

あと「関係の存在を一生懸命に探す」のはそれが「資源」となりうるからですにゃ。
[ 2010/05/20 14:01 ] -[ 編集 ]

   No. 6992

>統計的に見られる傾向性についてはこの限りではにゃーでしょう
<
 あるでしょうね。ただ、それをジェンダーバイアスを廃して評価できるかどうかについて、私はあまり信用していないのですけど。あと、統計的に見られる傾向性が、個々のケースにおいて、ある種「予言の自己成就」の元にならないかと警戒心が先に立ったりも。もちろん、好奇心的には知りたく無い訳ではないけど、取り扱いが難しい知識だとは思ってますにゃ。


>例えば、地域によらず人類に普遍的に見られる性別の傾向があり、同様の傾向をチンプも同様にもっていたとしたら?
<
 なるほど。私は思わず実験系がらみで考えがちになるのですが、そういうアプローチも有りですね。でも、「地域によらず」「普遍的に」の規模をどう評価するか等が問題になるでしょうね。


>「関係の存在を一生懸命に探す」のはそれが「資源」となりうる
<
 既得権益ですかね。
[ 2010/05/20 20:01 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

時差コメ   No. 7000

ちょっと、北米の先住民族関連の元ネタを漁るのに時間がかかっておりました(^^;
沼崎一郎氏著の
『「ジェンダー論」の教え方ガイド―女子大生のための性教育とエンパワーメント』
の77ページあたりに、アメリカの先住民族「モハブ族」の話が出てくるんですね。
それで、生物的な体は男だけれど女仕事をやる性を「アラハ」、逆に生物的な体は女だけれど男仕事をやる性を「ハワメ」といい、仕事の性カテゴリじゃなくて、完全に別の「性」として扱う…というような話でした。
(アメリカの先住民族の中には、他にも「男/女」だけではない性の区分を持つ社会を形成している人々がいたようです)

>その世間の意識、「社会的・文化的な慣習によって支えられ」た意識が、時代とともに変わってきているのはありますよね。

そう、そうなんです…とにかく、「絶対不変のものではない」ことを強調したかったのでした。…が、上手く書けてないorz

というわけで、コメントは別方向ですが、

>「社会的・文化的な慣習によって支えられ」ているとの考え方

には、一人力強く頷くところです。
[ 2010/05/24 20:23 ] mQop/nM.[ 編集 ]

   No. 7005

>七重さん

 ご紹介の本、手には入るようなら読んでみたいです。
「モハブ族」の「アラハ」や「ハワメ」の人達が、それらのカテゴリに属する(した)理由はなんだったんだろうとか、興味深い話ですね。
[ 2010/05/25 19:41 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

うぬぬぬぬぬ。。。   No. 7012

>「モハブ族」の「アラハ」や「ハワメ」の人達が~

妊婦が見る夢で胎児のジェンダーが示唆される、という話もあるにはあるみたいですが、基本的には生まれてからの子ども時代の行動・興味の方向性で判定するらしいです。

>紹介の本

…えー、著者さん、フェミ界隈ではちょこちょこ批判を散見する方だったりしまして…(^^;
あたし自身その批判には頷くものはあったりするので、まずは図書館とかで眺めてからかなぁ、とか…Amazonにはまだあるみたいなんですけど、そこまで安くもない本なので。
文化人類学とかの話も混ざってくるのは面白いと思いますが。
[ 2010/05/28 21:32 ] mQop/nM.[ 編集 ]

   No. 7013

>七重さん

 ご教授ありがとうございます。
Amazonのマーケットプレイス狙いですかね。私の行き着ける場所の図書館には…あるか微妙だなぁ(^^;
[ 2010/05/30 19:35 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

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