スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

「公正中立」の富山市 

 あるイベントで、「戦争と女性の人権を考える」というテーマを設定した場合、はずせない出来事があるのは自明ではなかろうか、と、私などは思う。「戦争と女性への暴力」日本ネットワークホームページにはこんな文章がある。

 戦場での強かんや性奴隷制などは、戦争につきものとされ、被害者が沈黙を強いられ、世界のどこでも裁かれなかったのです。国際法そのものが、戦時性暴力を被害女性の人権侵害とは見ず、その属する集団、つまり、家族や部族や民族の名誉を傷つける行為と見なしていたからです。

 こうした戦時性暴力不処罰の流れを変えるきっかけを作ったのは、「慰安婦」たちでした。九十年代初め、アジア各地で「慰安婦」が声をあげたころ、ヨーロッパでは旧ユーゴの内戦で何万人という女性たちが、1993年ウィーンの世界人権会議で出会い、戦争や武力紛争下の女性に対する暴力反対の声を上げたのです。

 相次いで設置された旧ユーゴやルワンダの国際戦犯法廷で、強かんや性奴隷制など戦時性暴力の責任者が初めて裁かれるようになり、ルワンダ法廷では、集団強かんの責任者が終身刑を宣告されました。国家の指導者を戦争犯罪や人道への罪で処罰すべきだという国際世論が高まり、常設の国際戦犯法廷としての国際刑事裁判所を作ろうと、そのための規程が1998年にローマ会議で採択されました。

 このように、「慰安婦」問題と旧ユーゴやルワンダなど現代の武力紛争下の女性への暴力のつながりが認識され、1997年に東京で開かれた「戦争と女性への暴力」国際会議(中略)では東京裁判で、なぜ「慰安婦」制度が取り上げられなかったのかが問題になり、戦時性暴力不処罰の克服が再発防止に必要だという結論に至りました。


「2000年女性国際戦犯法廷」「裁かれてこなかった女性に対する戦争犯罪、戦時性暴力」より一部、強調は引用者

 これまで戦時・性暴力はほとんど処罰されず、東京裁判でも「慰安婦」制度は戦争犯罪として裁かれませんでした。(中略) 95年の北京世界女性会議の「行動綱領」には武力紛争下の強かんや性奴隷制などは女性への戦争犯罪であり、真相究明,被害者への補償、加害者の処罰をすべきだ」と明記されました。98年には国際刑事裁判所を設立する規定が採択され、女性への戦争犯罪を裁くことが盛り込まれました。続いて国連人権小委員会に提出されたマクドゥーガル報告には「戦時・性暴力の再発を防ぐために不処罰の循環を断ち切ろう」と「慰安婦」問題で国家補償と責任者の刑事責任追及を勧告しました。


「2000年女性国際戦犯法廷」『戦時・性暴力不処罰の循環を断ち切るために』より一部、強調は引用者


 あるいは、

(略)
 講演者は、日本軍「従軍慰安婦」の募集を日本の司法が犯罪として処罰した ただ一つの事例に関する早期の下級審判決を発見した。(中略)日本軍の「慰安所」に女性を拉致して、「慰安婦」にした加害者の処罰に関する今のところ最初の公文書、それも1930年代という戦前の第一審判決がそれである。以下その詳細を報告する。
(1)見つかった歴史史料は、以下の日本の裁判所の判決二つである。
國外移送誘拐被告事件に関する長崎地方裁判所刑事部昭和11年2月14日判決及び同 上判決に対する控訴審長崎控訴院判決第一刑事部昭和11年9月28日判決がそれである。
長崎地方裁判所判決からわかることを要約すれば、同地裁は、被告人らが共謀の上昭和7年(1932年)に起こした事件について、上海に設置される海軍の「慰安所」で「醜業」 に従事させるために日本内地の女性を騙して誘拐し、これらの女性を長崎港から乗船させ て国外に移送したとして有罪と認め厳しく処罰した(判決の言い渡しは事件発生から四年後の昭和11年(1936年)2月)のことである。また、長崎控訴院は、刑期を短縮したも のの、基本的にこの地裁判決を支持した。
(中略)
(3)不処罰問題の典型
(略)原審段階ならともかく、確定して後に判例集に登載されたような重要事件であったこの事件の場合は、一般人には知られていなかったとしても、政府関係者(政府中枢部はもとより全国的に軍、外務省、司法省、内務省・警察関係者にとっては、特別に調査をしなくても、広く当然知られていたはずの情報だったといってよい。当時の法から見れば、「海軍指定慰安所」への長崎の被害女性らの拉致は犯罪であったことが確定したのであって、「当時は許されていた」などという見解は、到底支持しかねる状態にたちいたったのである。(中略) ところが、結果的にとられた対応措置としての結論は、1937年2月23日内務省警保局長通牒であった。この通牒は、このような女性の拉致問題が存在することを認めており、本来であれば「このような犯罪は厳重に取り締まらなければならない」という結論になるのが立憲法治国としては自然である。(中略)しかるに、通牒はそのような女性の移送を禁止・制限するどころか、逆に(中略)認めてしまったのである。(中略) これが、「不処罰」の歴史が始まった決定的瞬間となった。




 さて、7月30日に「戦争と女性の人権を考える集い:従軍慰安婦問題知って 来月8日、富山で」という報道がでていた。宋神道さんの裁判を記録した映画「オレの心は負けてない」の上映を含むイベントで、収益はソウルで建設が計画されている「戦争と女性の人権博物館」の建設資金に寄付される予定という。

(略) 博物館は第二次世界大戦中の日本軍による従軍慰安婦問題を記憶し、平和を確立する目的で、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会がソウルの西大門独立公園内に建設を計画。既に資金の半分以上を集めたが、「慰安婦は韓国の恥」などの理由から現地で反対運動が起こり、着工が遅れている。一方で若者を中心に資金集めも続いており、この動きに賛同した富山県内の人権・平和33団体が実行委員会を作り、集いを企画した。(略)


実行委代表は「戦時中、女性の人権がいかに蹂躙されたかを知り、愚行を繰り返さないために、私たちの戦後責任の取り方を問いたい」と語っていたという、のだが。

 富山といえば、元勤労挺身隊であった韓国女性たちが企業を訴えている、第2次不二越訴訟控訴審の地。だからだろうか…。2009-08-04付で「在特会、今度は富山「戦争と女性の人権を考える集い」で妄動予定/増田都子 - 薔薇、または陽だまりの猫」さんの記事も読んでいたのだが…。
 昨日、6日ぐらいからこんな展開の情報を見るようになっていた。

抗議の電話で

 富山市の後援事業となっていたイベント「戦争と女性の人権を考える集い」(8日、フォルツァ総曲輪)について、同市は上映される映画がいわゆる従軍慰安婦問題を扱っており、内容に偏りがあるとして、後援を取り消したことが6日、わかった。(略)

 市によると、6月5日に後援申請があり、市は同9日に承認。しかし、抗議の電話があったことなどから、森雅志市長が後援取り消しを判断し、8月5日に主催者側に伝えたという。

 市の要綱では、後援について市長が不適当と認めた場合、取り消すことができるとしている。(略)


内容に偏りがある」のだそうだ。

(略)
 市は「従軍慰安婦問題が強調されており、市の立場について誤解を招く恐れがある」と説明しているが、主催者側は「多くの人に知ってもらいたいと思い企画した。直前の取り消しは納得できない」と困惑している。(略)

 富山市市民生活相談課は「申請時は、戦争と女性についての企画という広い意味でとらえていたが、主なテーマが従軍慰安婦問題と後から分かった。市は公平中立の立場なので取り消さざるを得ない」と説明している。

 後援予定をめぐり、市にはこれまで抗議の電話やメールが寄せられたという。(略)


 富山市は「公平中立の立場」なのだそうだ。
 ちなみに、日本の8都市、宝塚市清瀬市札幌市福岡市箕面市三鷹市小金井市そして京田辺市が「慰安婦」問題に対し、被害者の名誉と尊厳を回復する事を日本政府に促す方向で意見書を採択しているんだけど、「公平中立」ではないということになるだろうか。国連人権理事会も、ILOも、自由権規約委員会も。
 今後、富山市を自称中立の都市と呼んでもよろしいかもしれないと思ったのだった。あるいは、妖怪どっちもどっちの徘徊都市か。

 在特会では『会員有志が猛抗議を行ってきた・富山市は当初「人道問題だから後援に入った」』と書いてあるので、富山市がへたれた様子だ。そりゃ、「猛抗議」が来たのだろうけど。更に当日、抗議活動をするそうだ。

 なんというか、まったくもう…。
イベント主催者の皆様、参加者の皆様、ご近所の皆様におかれましては、どうか、お怪我等の無いように、そして、当日の様子を詳細にネットで公開していただければ、と願う。


 思えば、2009年3月に名古屋で企画されていた『南京交流市民イベント』を、名古屋市が後援取り消しした時にも、抗議電話等がたくさん入ったという話を見かけたものだった。
 2008年2月には、3月に企画されていた「わたしたちと日本軍『慰安婦』問題」と題した「慰安婦」被害者の証言を聞く集会を、帯広市は「政府は『いわゆる従軍慰安婦』との表現を使っており、後援すると『日本軍慰安婦』という言葉を市が認めたと誤解されかねない」なる理由で後援を断ったとの報道を目にしたものだ。
 2008年1月にはつくばみらい市が抗議が殺到したのを理由にDV講演会を中止したこともあった。この時、「市役所前で数人が拡声器を使って抗議する騒ぎが起き、市は「開催しても混乱を招き、参加者に迷惑をかける」と判断して、中止を決めた」と報道されてもいた。

 目にするだけでガックリ来た情報なのでエントリにするの見送ろうとも思ったのだが、一人でがっくりしているのが嫌さにエントリにしておく次第である(をい)



参考;2009/03/09付『Gazing at the Celestial Blue 韓国で宋神道さんの映画「オレの心は負けてない」が好意的に迎えられている


TB先;
論破より先にすることがある 3 - Stiffmuscleの日記
かめ?:プリンスホテル新高輪は、ヘタレである
スポンサーサイト
ユーザータグ:  日本軍性奴隷制問題
[ 2009/08/07 18:33 ] 自爆史観 | TB(0) | CM(1)

「パワー・トゥ・ザ・ピープル!!」様の2009/8/10付記事より   No. 6359

『富山の集会&「在特会」』
http://wind.ap.teacup.com/people/3382.html

増田先生が複数のメーリングリストに流しておられた文章が掲載されていたので、お借りします。
_____________________
<一参加者より>
 三鷹市の状況を聞いていたので、身構えていきましたが、拍子抜けするくらい静かでした。在特会は15人ぐらい、ビルの入り口に来たらしいんですが、しばらく騒いで帰って行ったようです。4階の会場や、その前(ロビー)では、騒ぐ声さえ何も聞こえませんでした。
(転載部分、後略)
_____________________
(略)
 富山では会場の使用拒否はなかったので集会そのものは無事に行えたようですが、「在特会」に「騒げば(「在特会」用語では『猛抗議』!?)言いなりになるぞ!」という学習をさせてしまったことは、とても残念です。
(後略)
_____________________
[ 2009/08/12 17:28 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://azuryblue.blog72.fc2.com/tb.php/714-5e1855a6














無料カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。