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人格障害の時代 (4) 

著者の岡田氏は、「はじめにー現代社会を解く鍵、人格障害」として、近年の犯罪多発などの原因として人格障害を位置づける。この辺りの犯罪多発を客観的な事実として話を進める辺りには多少の異論があるが、「毎日の生活でも(中略)気持ちよく暮らす事がどんどん難しくなっている。(中略)さらには、われわれを導く立場の人にも、明らかに困った人たちが、目立つようになっている。」との記述にはうなずけるものがある。
そして著者は、個人と社会を結びつける物がまさに人格であるとし、「人格は個人と社会のつながり方のスタイル」だとも言い換える。現在広がっている生き辛さや暮らし辛さの根底にある物を、われわれの社会に急速に浸透拡大している「人格障害」あるいは「人格障害」的な行動様式や考え方である、とする。しかし、「人格障害を誰か自分以外の「悪い人」の問題と考え、その人を排除すればいいという考え方では事態を改善する事はできない。なぜなら、その考え方自体人格障害的な物だからである。人格障害は特別な一個人だけの問題ではなく、現代人の誰もが程度の差こそあれ抱えている問題」だと位置づける。


第三章では「人格障害のタイプ その特徴と注意点」として、それらを三つの群と、それぞれの群れに分類される症状、すなわちA群(風変わりなタイプ)の3つ、B群(ドラマチックタイプ)の4つ、C群(不安の強いタイプ)の3つという米国精神医学界が定めた診断と統計のためのマニュアル第四版 (DSM-IV)にわけ、それぞれのタイプの著名人?(妄想性人格障害のオセロー等)と代表的診断例を引き、症状を説明する。


第四章「生きづらさを生む人格障害」として、鬱病や鬱状態、依存、摂食障害や引きこもりなどとの関係が述べられる。
第五章「人格障害と手当てする」として、精神医としての著者が行っている治療方針の概略が述べられる。しかし、小見出しの「親切や優しさでは直らない」「目標と限界をはっきりさせる」等で述べられている事は、、、まぁそうだろうけど、家族・友人として個人的な思い入れがある場合ならともかく、それより薄い人間関係なのに振り回されている場合には、ここで述べられるような対応はできないと思ったのが正直なところだった。
また、第六章「社会をむしばむ人格障害」、第七章「浸透する人格障害の背景」、第八章「人格障害から子供と社会を守る」は、、、既に出現している現象を、一精神医である著者個人が考察している訳で、また、提示される解決策も著者の属する年齢層やジェンダーに由来する何らかのバイアスを感じとれるので、別の視点をもつ個人からは全てを納得できるものではない。そんなにすっきり解決するなら世話はないよなぁと思ったのが正直なところだが、そもそも著者の提案をその通りに実施されるのは非常に難しいと思われ、やってみたところで結果が出るには時間がかかるので、この辺りは(私自身は)あまり重要視していない。まぁ、本の構成上、そういう章を入れざるを得ないのだとの感想をもった。


さて、上記はテキトーに要約したが、意図的に第一章と第二章を飛ばしている。
これは、まさにこの辺りがこの本で最も重要に感じられるからだ。

第一章「おかしいのは、子供だけか?」として、子供達の心や生活に異常な事態が生じている事は疑いないとしながら、しかし、本当におかしいのは子供の方なのか?子供を取り巻く環境はどうなのだ?と、著者は疑問を立てる。そして、著者が精神科医として面談した凶悪犯罪を犯した子供の例から、そういう子供が得てして悲惨な生育環境をもつと書き、子供の親たちが子供の犯罪をあくまで子供の問題として片づけ自分自身の問題に気づかないと述べる。

 そして、次の小見出し「身から出たサビに憤る大人」として、今時の若者がと批判したがる大人に対し「若者を非難できるほど大人は立派に行動できているだろうか。今の世の中が、どれほど無責任で身勝手な大人達で満ちているか、今さら述べるまでもあるまい」「そんな風に若者を育て、教育してきたのは大人達だったはずである」とし、「問題を、ただ他人事のように非難し、自分から切り離す事ですませられるだろうか。(中略)物事の一側面だけを問題にして、自分に都合のいい事は賞賛し、都合の悪い事は非難するというやり方は、まさに『人格障害』的なのである」と述べる。その、自分にとって都合のいい結果も悪い結果も、自分自身に原因がありながら自分自身に原因がある部分は見えない(もしくは見ようとしない)様子を、「心理学的にいえば『分裂』『投影』『否認』という自分を守るための操作なのである、それは人格障害的な心理構造において特徴的な防衛メカニズム(引用者注、健康な人も時には用いるが、子供や人格障害の人で多用すると後述される)でもある」とし、「大人から子供になされる非難の多くは、大人達が自分の問題を否認し、子供に投影した物と言える」する。そしてさらに、「近頃の子供はキレやすい」といわれる事に関し、犯罪白書のデータを引用してキレやすいのは近頃の大人も同様である事を示す(ニュースを聞いていても、子供が云々言った後に66歳のジーサンが階上の住人が五月蝿いと窓から侵入してさしたなんてのを実際に聞いて目が点になった事もあるもんね)

そうして、この章の結論として「子供のように感情も行動もコントロールできない大人達」をむしばんでいるモノとして、人格障害がある事を結論づける。


第二章「人格障害とは」として、個別の人格障害に触れる前の、共通する特徴が述べられる。
定義やら何やらは、ネットで適当に検索すればいくらでも出てくるのでともかく。
人格障害としてくくられるカテゴリーにはタイプによって特徴が様々であるが、いくつかの共通項(ここでは三つ)があると述べられる。
個人的にはここが最も重要な記述だと思うし、著者も「さまざまなタイプの人格障害には共通する特徴があり、それを知る事が人格障害の本質を理解する事につながるのである」と述べている。

その共通する特徴の一つ目は、「自分への強い執着・こだわり」との事である。これは過剰な自信に類する状態として現れる事もあるし、強い自己否定として現れる事もある、との事。
特徴の二つ目は、「傷つきやすく過剰に反応しやすい」点だとの事。些細な言葉を攻撃として受け取るといったややこしい反応につながり、摩擦を生じやすくする。
三つ目は、「両極端な思考に陥りやすい」事。人格障害の人には中間が無く全肯定か全否定。部分肯定などはなく、わずかな批判的な表現で相手を完全に敵と認識するといったような、思考パターンに陥りやすいという事だ。

これらの特徴がいろいろな現れ方をした結果、人格障害の人は、加害者的な側面と被害者的な側面の両方をもつそうだ。自分を否定する人は、彼女(もしくは彼)らにとって加害者だ。だから、彼女(もしくは彼)らは主観的には被害者として防衛する。しかしそれは、周囲の目には彼女(もしくは彼)らの方が加害者として写る。実に大変だ。


一方で人格障害の人たちは、自分を守るための代償的な能力として、他者にアピールする能力が高い事も、この本において述べられる。他人の庇護を得る必要が高いため、、、との事だが、その指摘は実に首肯できる。
私自身が遭遇した二人も、これがカリスマ性というものかと感心したぐらい、ある種の人を引き寄せる何かを持っていた。そういった能力を生かし、適した業界でうまくコントロールし昇華されれば大きな活躍ができるそうである。うまく適応しさえすれば、もはや障害ではなく一つの「個性」「才能」として貴重な物となるというが。。。


ただし、これが病的に使用されると、、、周囲を振り回し、心理的に支配する事になる。また、この本においては述べられていないが、、、実体験とネット情報から判断するに、引きずられる人も出る(リンク先はちょっと微妙なので注意の事)ので厄介な事になる。

私にとっては、今までのところコントロールに成功した例を知らず、こういった人に振り回されるか、被害を最小限にするために腐心した記憶しかもっていないため、かなり悲観的かつ批判的になってしまう。結局のところ、知人程度の関係や職場の人員としては、そしてあれだけ状態が悪ければ、、自分自身や職場の機能を守るために選択肢がない。個人として何とかしようと本気で思った場合は、自分自身の人生を捧げるぐらいの覚悟が必要だと判断したからだ。しかし、個人的にはそんな思い入れは全然無かった訳だ。


とはいえ。
そうはいっても、その私にしても、これらの出現は既に起こっている現象なので、個人としてではなく社会としては何とか折り合いをつけて行くしかないと思う。
そして、ネット上を見て回ると、、、「あ、これは」と思う例をしばしば見つけられる。
そして、まともに向き合った結果、大変な思いをしている人がいる様子ではある。
では、そこにこういう切り口を提供したら、、、大変な思いをする人が少しは減るんじゃないだろうか。
この切り口を使う事で理解しやすくすれば、お互いの摩擦が少しは減って、互いに楽になるんじゃないか。
そう思ったんで、この一連の記事を書いてみる事にしたんだけど、どうなんだろう。。。


そうそう、この記事を書くにあたって、久々に人格障害がらみのWWWページを回ってみたんだが、
興味深い記述があった。

境界性人格障害では、アメリカ精神医学会 DSM-IVの診断基準として5つ挙げられているうちの、「現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気違じみた努力」「理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式」「同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感」「自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰返し」「顕著な気分反応性による感情不安定性」「慢性的な空虚感」「不適切で激しい怒り、または怒りの制御困難」あたりは、私の遭遇した二人には見事に当てはまっていた、、、二つ当てはまれば十分なのに。



また、自己愛性人格障害の説明で(以下、抜き出していますので文脈に沿った文意は原文参照の事)「自分は特別な人間だ、パンピー(一般のピープル)とは違うんだという意識から、小市民的な生き方を軽蔑し、そういう人達と一緒にされることを嫌います。裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわります。 あるいは、自分という人間は特別な人しか理解することができないのだと思ったりします。」「自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない」「自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する」「自分自身の目的を達成するために他人を利用する」「共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない」「尊大で傲慢な行勤 または態度」
…うーみゅ。この特徴から判断すると、例えば、自分の意見を理解できないのはおまえのレベルが低いからだ、とか、いう意見が出てきそうですな。


もう一件、こちらでは自己愛性の具体的な特徴があげられている。以下、箇条書きを引用すると、

1. あからさまな傲慢さ
尊大で横柄な、また大げさで相手に軽蔑的な態度をとります。社会生活での慣習や規則をバカにし、自分には愚かで的はずれな規則だとあざ笑います。自分の高潔さを他人が見のがすことには怒り出しますが、他人のそういうことに対しては全くの無関心です。

2. 対人関係での搾取
当然の権利だと考えています。常に相手に対して自分を特別扱いするよう求めます。はずかしげもなく、自分が目立つためや願いを叶えるために他人を利用するのは当然のことと考えています。

3. 誇大性
えっ?と思うようなの空想をしたり、成功や美、愛に関する未熟で自己満足的な想像に浸りがちです。客観的事実はどうでもよく、事実を勝手に曲げ、自分に対する錯覚を必要とあらばうそをつくこともかまわない。

4. 自己像の賞賛
自分は価値があり、特別で(ユニークでなくても)大いなる称賛を受けるに値する人間だと信じていて、誇大的で自信に満ちた行動をとります。しかし、それに見合うような成果を収めることは少ないです。他人にはわがままで、軽率で、おおちゃくな人間だとみられているにもかかわらず、自分の価値を信じています。

5. 他人へのわざとらしさ
過去の対人関係はいいように記憶が変えられています。受け入れることができない過去の出来事や苦しみは簡単に作り直されます。

6. 合理化のメカニズム
自己中心的で周囲に対して思いやりに欠けた行動を正当化するために、もっともらしい理由を付けようとする。それらは欺瞞的で浅はかなものです。

7. 偽り
みえみえのうそをつきます。失敗をしてもすぐに埋め合わされ、プライドはすぐに復活します。

8. 無頓着
いっけん冷徹で無感動な自分を演じます。逆に、軽快で楽天的であるが、自己愛的な自信が揺さぶられると怒りや恥の感情や空虚感が表に出てきます。(引用は以上)


あるいは、こちらでは、境界例(あるいは境界性)人格障害として「自分が人から見捨てられるのではないかという強い不安を持っています。人からの完全な愛を求めます。そのため、いろいろな方法を使って、周囲の人を操ろうとします。(中略)自分の味方を作るためにウソをついて、他人を仲たがいさせることもあります。この人たちは、上手く行っているときはなかなか魅力的で、知能も高い人もいるので、学校や職場に入ってくることもあります。しかし、集団の中ではその人が元で様々な問題が起きてしまうトラブルメイカーになるでしょう。また、感情が激しく、爆発的な怒りを抑えることができません。極端なわがままを言うこともあります。」

自己愛性人格障害として「自己愛性格障害者は自分だけがすばらしい人間だと思っています。自分が成功しないのは、自分が悪いのではなく、周りの見る目がないと感じます。大人になって、自分の能力がそれほどでもないということになると、生活が破綻することがあります。」と述べられている。

いずれの記述も、現実に遭遇した人たちに当てはまる事が多い。
しかも、どうも境界性だけじゃなく自己愛性の特徴も当てはまったりする(場合によっては演技性も)。

現実にこういう人たちが存在する訳で、、、さて、ではもし再度、現実で遭遇した場合は一体どうしたもんかとは困ってしまったりもする。今までの人たちほど極端じゃなければ、折り合いがつけれるんじゃないかとも思うんだが、、、どうなるかはさっぱり解らない。
今までの二人は専門医に受診していたのに、、、いや、病気を自覚し専門医で受診する事で「精神科に受診するほど可哀想な私」バリアーが強化された様子で、さらに悪い方に転がったフシすらあったし。
そこで、より多くの人が、こういう人たちが現実に存在する事を認識して、ともにこの社会に存在する者同士として、どういう風に付き合う事で快適につきあえるかのよりマシな方法論が考え出され、それが共有される知識になってくれる事を切に期待する訳だ。

そういう訳で、まずは、こういうのがありますよ、と言いふらしてみる。
…また言いふらすのか。。。
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[ 2006/12/30 00:43 ] 四方山話 | TB(1) | CM(43)

病理化の応酬   No. 321

こちらでははじめまして。

これ、「病理化の応酬」になる危険があると思うんですね。私は自分が「境界例」だと言われても平気なくらい「自己愛」が強いんですが、上の引用に限らずこういう文脈で「自己愛」って呼ばれてるものは、「自分の卑小さを愛することができない、自己愛なき者の利己愛」だったりするので、「病理化」がその「卑小さ」を増幅させてしまう、ということがある。「病気、上等!」とはならない。

「気が狂っててもいいじゃない」とならず「治療の対象」にどっちがなるか、という「泥試合」が始まると、実は専門家の側も「気が狂ってしまう」ってことはあるわけですね。精神分析医がクライアントと婚約して、殺害した、とかなんて事件もある。自分にもはねかえることをいえば、「性急さ」というのは事態を悪化させる。「急いてはことをし損じる」ですね。

「人格障害」については、『平気でうそをつく人々』(草思社)とかベストセラーにもなったし、その時にワイドショーでもとりあげられたから、結構みんな知ってると思うんだけど、自分がそうだと思うのが怖い、から、「私は違うが、あのひとはそうだ、だから、関係がうまくいかないのは私ではなくあのひとのせいだ」という「人格障害」認定コンテストと人間関係のうまくいかなさのまさしく「人格障害」的な「合理化」が全面化している、そういう状況だと思います。
[ 2007/01/04 13:06 ] -[ 編集 ]

診断基準   No. 322

>碧猫さま

先のコメントではアンカーつけ忘れました<(_ _)>

4つめのリンク先の診断基準だとたいていのひとはどれか「人格障害」になっちゃいそうな気がしますね。私なんか全部あてはまりそうな気がします。こうなったら、全員「人格障害」である、というところから、お話を始めたくなります。
[ 2007/01/04 13:16 ] -[ 編集 ]

そのはずが   No. 323

専門家ってどっか自分を「除外」せざるを得ないところもあり、難しい、というのが岡田氏の直面している困難さですね。領域は違えど、他人事ではない。自分が「現代人」ではないかのように、語る。この「かのように」がきわどい。
[ 2007/01/04 13:21 ] -[ 編集 ]

作家の日記、あるいは、blog   No. 324

連続投稿ごめんなさい。あと1つだけ。

ドストエフスキーを始めとして作家には「人格障害」認定されているひとが少なからずいる。

作家って、小説以外に、当事者以外に見られたり読まれることを意識した「覚書」「日記」「書簡」の類を書く。それと「人格障害」が関係があるなら、ブロガーも、そして、そこに不特定多数に読まれることを意識して何事かをコメントする者にとっても、それは無関係ではありえない。「書く」という行為と「人格障害」との関係というかね。単純な関係ではないはずだけれど。「人格障害」を引き起こす行為であるがゆえに、その行為の反復のうちに、「人格障害」とは別の何か、専門家による治療とも別の何か、を引き起こすこともできる、そうなんじゃないかと。
[ 2007/01/04 13:37 ] -[ 編集 ]

作家じゃなくて「小説家」でしょ   No. 325

ドストエフスキーの場合は epileptic fit もあったから,それが「人格障害」と誤解されてた可能性もありますよ。当時の医療水準から見ると。面白いことに,たまたま日本語訳を読むと,原書と離れた「意訳」「超訳」がすごく多かったりする。ロシア語を学んで原書を読まれてみると良いかもね。

あとは「作家」という言葉の位置付けかな。単純に「小説家」「ライター」と書けば良いものを,わざわざ「作家」と書くのはなぜかな,と逆に精神分析したくなります。転入した高校の友人が芸大油絵へ行き,自治体の上級職員として帰ってきて美術館の学芸員になったんですわ。んで,彼は「休日作家」と称してます(笑)[訂正:美術館は月曜が休みだった] つまり,ゲージュツ家も「作家」になるのだな。この辺が画家や彫刻家や音楽家に知り合いがいないと,ついつい小説家の意味に「作家」を使ってしまうことがばれてしまったりするのですね。(^^;)
[ 2007/01/04 19:22 ] HfMzn2gY[ 編集 ]

レッテル貼りの危険は解っているつもりではありますが   No. 327

>harutoさん

おこしいただけて嬉しいです。

harutoさんの面している現実社会と、私のそれとはかなり様相が異なるようで「二人目」(「人格障害の時代(3)」で独り言(笑)で記述した人物)に職場一同が振り回されていた時に、この本を読ませる事で、こういう風に分類されるそういう人が少なからずいる事を知る、それだけで気分的に救われた人が若干いました。つまりは、人格障害という概念、、、言葉は知っていたかもしれないけどそれを極端に悪化させた人物が目の前にいる事にはなかなか気づけなかったみたいでした。
こういうのって、レッテル貼りの危険と表裏一体であり、レッテルなりラベルなりをはったところで事態の解決ではないのを解っているんですけどね。それでも、こういうモノだと名前を付ける事で落ち着ける効果も、少しは期待できるみたいです。
だから、自分の遭遇した件から話を初めて人目に触れる形にしておこうと思いまして。独り言だけど(←まだ主張する)。

もちろん、
>全員「人格障害」である、というところから、お話を始めたくなります。

それは前提ですよ。誰しも、多少の違いはあれどその要素はもっていますし、精神的なモノに限らず病気と健康の間に明確な境界線なんて無いと認識しています。
私自身ももちろんそうだし、精神医学の現場にいる人もお互いにカウンセリングしあったりで乗り切っているとの事でしたし。
そして、ワザワザ診断基準にリンクを張っておきながらこう書くのも悪辣な話ですが、診断基準そのものにもさほど重きを置いていなかったりして(私は)。アレって、既にある現象を後追いで言語化しているだけだし。○×性にぴったり分かれるモノでもないし。
とはいえ、極端に走っちゃった人もいて、しかも、そういう極端な人はネットに相対的に多い様子(現実の対人関係より楽ですからね)。ネットの特性上も居心地がいいでしょうからね(現実見えないから、ネットで語る事が全てですし)。
で、そういう人が、他者に対して否定的な言説をまき散らす事がある。それがまた、肯定的にしろ否定的にしろ、他者を刺激しがちになる。追随する人も出ちゃう。うーん、困ったモノですね。
という事で、まぁ、こんな話もありますから、知らない人は聞いておいて下さいませってな感じですかねぇ。そういう人なんだで納得する事で楽になる人がいるならラッキーぐらいかな。

あ、そうそう。診断基準にはないので、専門家でない私があまり大声(?)で吹聴するのも気が引けるのですが、極端に走っちゃった人が共通して示す特性として、「自分」の境界が曖昧という点もあるように思えますよ。まぁ、私の場合、現実に見たのは二人、、、ですが共通してましたし、ネット上で散見する例でも。
[ 2007/01/04 19:51 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

epilepsy?   No. 328

>kaetzchenさん

職場でもっている人がいるんですが、やっぱり目の前で発作がはじまるとビックリしちゃうモノみたいですね。予備知識がないと、というか、少々あっても、その人の発作を初めて見る時は驚くでしょうね。

でも、ドストエフスキーさんが人格障害もっていたとしても、全然驚かなかったりして。表現者には頻度が高いそうですから。同様に、今現在健在の表現者がそうであっても、作品を鑑賞する分には「おかげさまで素晴らしい作品をありがとうございます」だけなんですよねぇ。
[ 2007/01/04 19:59 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

大発作と小発作,自己と他者   No. 330

てんかんの場合,私のような大発作型だと,薬の飲み忘れによる発作がほとんどで,本人は気絶してしまってるから,単に周りが迷惑するだけで済むんです(笑) ただ,小発作型の子供なんかはかわいそうですね。薬さえ受け付けないほど,憔悴しきっているんですよ。まぁ詳しくは神経内科の専門書をお読み下さい。

Self and Others というと,R.D.Laing の古典を思い出しますね。Sanity, Madness and the Family だとか The Divided Self なんてのもペンギンで読んだ思い出があります(笠原氏のみすずから出てる訳本は訳が分からなかった)。彼はグラスゴー大という田舎の医学部(だったか王立精神病院?)の精神科医だったんだけど,結局米国のフィラデルフィアへ招かれたんじゃなかったかな? いつ死んだのかは覚えてないけど。
[ 2007/01/04 22:41 ] HfMzn2gY[ 編集 ]

発作もいろいろ   No. 331

>kaetzchenさん
ウチの職場の人のてんかん発作って、意識は消失しなかったそうなんですよねぇ。だから、言動がおかしいから医者に連行した人たちも、実はアレがてんかんだと医者から聞いてびっくり。投薬でコントロールがうまくいっているようで、私は実際に現場にはお目にかかった事はないのですが。
…一応、話は聞いているので、いざというときに慌てないようにと心がけてるんですけどね。
[ 2007/01/05 12:08 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

それは小発作型ですね   No. 332

色んなタイプがあるんですよ,てんかんは。

要するに大脳内の血管の繋り方だとか神経繊維の絡み方だとかに異常があって,伝達物質がうまく伝わらない(これはあたしの場合)とか,神経繊維上をうまく電気パルスが通ってくれないとかの現象がつもりつもって「発作」になるんだけどね。タイプが分かれば,投薬でコントロールは可能になります。

うつ病研究なんかで伝達物質の研究が盛んになったおかげで,てんかんが精神科から神経内科へ移って「普通の内科の病気」として扱ってもらえるようになったのは光栄です。昔は親からも「キチガイ」扱いされてたもんな。それでもまぁ,人並み以上の知能が貰えたのは神さまの配剤だと思うしかないのかもね(笑)
[ 2007/01/05 12:50 ] HfMzn2gY[ 編集 ]

メラニー・クラインとジャック・ラカン   No. 334

今回のことについては、私は「人格障害」というよりはこちらで考えていたりします。

http://sapporo.cool.ne.jp/sigmundfreud/klein2.html
http://sapporo.cool.ne.jp/sigmundfreud/klein1.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3

これらとフロイトの「喪とメランコリー」「不気味なもの」「快原則の彼岸」。具体的に「語り下ろされた」言葉(書かれてはいません)が相手なので、こちらの方が私にはしっくりきます。
[ 2007/01/06 00:19 ] mytgKMyM[ 編集 ]

できれば「本」で読んで欲しいですね   No. 336

フロイトの上記の Webページをちらっと見ましたけど,日本語訳のウソだらけのコピー&ペーストだったので,信用できません。できれば,ペンギンかレクラム文庫で原書にあたられて下さい。

Wiki の書き込みも明らかに専門家でなく素人に寄るものですから,これも信用に値しません。

心理学は「感じるもの」ではなく「論理的に考察するもの」ですので,その辺をお間違えにならないよう,お願いします。
[ 2007/01/06 08:39 ] HfMzn2gY[ 編集 ]

ご心配なく   No. 337

フィッシャー版とスィユ版を傍らに日本語で読んでます。

ちなみに上2つのリンクはフロイトではなく、メラニー・クラインの「対象関係」理論の説明です。フロイトについて書かれているのは、

>フロイトによれば、生後すぐの乳児にはエスしかないという考えではあるが、

だけで、これを読んで「クライン」ならぬ「フロイト」の「日本語訳のウソだらけのコピー&ペースト」だと判断される理由は、何語がどれだけ堪能な方であろうと、私には理解しかねます。クラインに関する限り、「ウソだらけ」の記載ではないはずですが。また、wikiのラカンとくに「鏡像段階」に関しても、「不十分」ではあっても記載されている事柄については「正確」である、ということはあります。失礼ながら、「人並み以上の知能が貰えたのは神さまの配剤」であるなら、その「知能」を「揚げ足取り」とは、もっと別のことにお使いになった方がよろしいのではないでしょうか。

>これらとフロイトの「喪とメランコリー」「不気味なもの」「快原則の彼岸」。

「これらと」という言葉を読み飛ばされたのでしょうか。最初の2つのリンクが「フロイト」についての記載である、とは私はどこにも書いておりませんし、コメントタイトルで「メラニー・クライン」と名前を挙げております。リンクのURLに「フロイト」の名があったので、早合点された、ということなのでしょうね。

>碧猫さま

大人気ないコメントで申し訳ありません。しかしながら、あまりに失礼なコメントであり、はっきり言って「不快」の一言に尽きる、ので、こうした対応をさせていただきました。ここは「新人いびり」のある「職場」なんでしょうか。
[ 2007/01/06 10:19 ] mytgKMyM[ 編集 ]

論理的に考察する   No. 338

「今回の出来事」に関して、「彼」の「語り下ろし」を読み、考察したことがあれば、上下2つ(都合3つ)のリンク先の記載で「論理的に考察する」ことができるのは、わかるのではないかと思います。「静態」の分類に留まる「人格障害」概念よりは、「行為」の反復という「動態」をとらえようとする「態勢」 position や「段階」stade の方が「論理的考察」に適している、それで「よりしっくりくる」。

両者は「発達段階」をめぐるものですが、それは幼児期で終わるのではなく、言語行為を行う成人においても日々反復されている構造的なものであると、考えることができる。そこにどんなテクノロジーやメディアが関わっているか、ということも、何がどのように「鏡」の役割を果たしているのか、ということも考えられる。

リンク先の記載を読んだ者が「今回の出来事」、「彼」の「語り下ろし」を読んでおり、それを「論理的に考察する」姿勢があれば、それは十分に可能なはずです。
[ 2007/01/06 10:57 ] mytgKMyM[ 編集 ]

揚げ足取り   No. 339

揚げ足取りはやろうと思えば、簡単です。

「音楽家」でも「演奏家」は「作家」って言いませんよね、とかね。でも、これは不毛です。そうした不毛さはお互い回避するに限ります。そうお思いになりませんか。

たとえば、リンク先の記載が間違っているとお感じになるのなら、「ここがこう間違っているから」と指摘されたうえで、「できれば『本』で読んで欲しいですね」ではなく、具体的に文献を挙げることもできますね。あなたが専門家であれば、なおのこと。素人ならば「生兵法はけがの素」はお互い様のはずです。

arrogance 「はしたなさ」はこれを限りにお互いに慎みましょう、という提案です。
[ 2007/01/06 11:22 ] mytgKMyM[ 編集 ]

一般論の電網蝗対策   No. 340

>harutoさん
>>今回のことについて

すみません、あくまで一般論という形でお願いいたしますね(お解りだと思いつつ念のため)。
見ていたものにとっては一目瞭然なのは分かっておりますが、彼の人物が代表する現象を一般化して、互いに摩擦を少なくしつつ歩み寄れる方法を探れる方法のヒントになればいいなという意図です。…こう書くとあちらとこちらに二分している訳で、これはこれでよくないように思えるのですが、ちょっと他にどう書けば適切か分からなくて。

ご紹介のリンク先について、心理学ではこういう立ち位置で見るのかと新鮮ではあるのですが「クラインの語る妄想-分裂病質態勢とは生後3ヶ月までの乳児の心理状態のことをあらわす」「抑鬱的態勢は妄想的・分裂的態勢の次にあらわれ、それは生後4ヶ月から6ヶ月の間におこる」等、、、要するにそれぞれの冒頭ですが、生後六ヶ月以下の乳幼児達の心理状態をどのように計測したのかと、つい、そこで引っかかってしまいます。
現象を読み解くには、観察者の主観を排除して客観性や再現性等を確保すべきと考えますが、その辺りでこの記述には足りないモノがあると考えます。
ぶっちゃけ、私には、このストーリーには説得力はあるけど、ファンタジーに見えてしまうんです。すみません~。

ただし、そもそも人格障害の底流にこれらの心理学的な理論(←なんですよね?)があることは、矛盾しないと思えますが。
あと、
>「喪とメランコリー」「不気味なもの」「快原則の彼岸」。具体的に「語り下ろされた」言葉
辺りは、私の語彙範囲にないので、概念がちょっと追えませんので残念です。

…どうも、対処療法(原因療法と考えない辺りがせこい)を探す私と、発症メカニズムを考察するharutoさんとで、視点が違うんでしょうね。うーん、面白い。


>「新人いびり」のある「職場」なんでしょうか。
えーっと。
kaetzchenさんに関しては、新人に限らず誰であろうといびってらっしゃる様ですよ(…なんのフォローにもなってないか)。
そして、以下は私の事情なんで恐縮ですが、(私が)妙な事を書いた時に突っこんでくれる人がいる事はありがたいと思っております。ただし、それが通りすがりの一見さんであったら失礼にしか感じられないでしょう。

それから、私がkaetzchenさんの事情を書くのは適切ではない様には思いつつ(私の心情的には書かないのもはばかられるので)、私がWWWで見聞きした話としてお含み置きいただきたいのですが、後天的な視覚的障害を負ってらっしゃるそうなのでテキストを目で読んでいないそうなのと、非常に沢山のコメントを非常に多くのブログにつけてらっしゃる事があります。私自身も「あ、ちゃんと読んでくれてないな」と思うことはないわけでもないのですが(笑…まぁそういう時はもっと分かりやすい表現をせにゃあかんなと反省するんですが)、一コメントあたりにかけている時間を推察するにそういうもので仕方ないと思っているし、私はそういうのは別に気にならない(むしろ限られた時間を割いて訪問していただけるのは有り難い)という次第です。
もちろん、だからharutoさんもそう思って下さいと書いている訳ではありませんので、よろしくです。揚げ足取りに関するharutoさんの提案に不当だと考える理由はありません。

…ちなみに、「彼の語りおろした事」はほとんど読んでらっしゃいませんよ、多分。(私も「掲示板」までは見に行ってないぐらいですし)
[ 2007/01/06 12:14 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

まあまあ   No. 341

>kaetzchenさん
>>タイプが分かれば,投薬でコントロールは可能になります。

多分、主治医の方で分かっていてコントロールしてくれているみたいです。でも、こっちの人は、付き合っている感触では小学校高学年相当ぐらいなんで、、、なのにどういう訳か障害者手帳ももらい損ねているらしいんで、自分の健康を守るための食事とかなんやらを管理できないのが見ていて心配なんですよねぇ。

ところで白状しておきますと、ワタクシ、文系のharutoさんと、理系のkaetzchenさんの対峙を見てみたかった気分があったりしました。どっちの人も凄い!面白い!って感嘆していましたもので。んなこと書いて大丈夫かな、どきどき。
[ 2007/01/06 12:38 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

「文系」的思考   No. 345

>碧猫さま

気分は「やたら知能の高い先輩ザルに先輩であることを誇示されてとまどうアホな若ザル」だったりします。ここが「サル山」であるかどうかはさておき。

「彼」に関しても「やたら知能の高い先輩ザル」にしても、「コミュニケーション・スキル」ということで片付けた方が、生産的なんじゃないか、という思いがある一方で、そのスキルを習得するために必要とされる条件はなんじゃらほい、と考えてしまう。

対処療法、対症療法をより有効にするにはどう構造的に要因を考える必要があるか、それを言葉のやりとりを通じてどう行いうるか、そう考えてしまうんですね「文系」は。

それからクラインにしてもラカンにしても「発達段階」を離れて、私たちは考えた方がいい、つまり「成人」において反復されているところから、遡及的に見出されているものと考えた方がいいんじゃないかと思います。別に、「おまえは乳幼児だ」と言いたいのではないわけですから。

>第一章「おかしいのは、子供だけか?」

につながるお話なんです。「成人」ってそんなに安定しているのか、ということですね。
[ 2007/01/06 18:27 ] mytgKMyM[ 編集 ]

コメント欄における発話行為の心理的機制   No. 348

碧猫さま
コメントありがとうございます。
TBは承認性ではありませんが、基本が出来ない設定になっているのを解除し忘れたりします。


人格障害のような人は身近にはいません。変な人はわたしの近傍にもいます。定義からいって必ず一人存在します。(理数系の言い方かな? 違うでしょ。ネタ系でしょ)

ブログでの表現行為、またコメント欄での発話は、相手を特定して書いているときでも、必ず「読者(ギャラリー)」の存在を前提にしていますね。それがこの表出行為の心理的基底にある。
普通、第三者、あるいは世間の目があるということはエゴを抑制するものだろうけど、ネットでのやり取りはギャラリーの存在が、発話者の自己中心性を強化する。

「印象操作ですか?藁」みたいな言い方。相手の狡猾さをギャラリーに印象付けようとする弁論術のようです。

他人の目を意識して「大向こうに見得を切る」みたいな高揚感もあるでしょう。

議論になり相手のコメントで終わると言い負かされたように思われたくないという心理も、ギャラリーの存在によるところが大きいはず。

そうした心理は、著しく周囲の不審をよぶ「人格障害」ならずとも、誰にもあることでしょう。
ここでいぶかしく思えるのは、ほかの読者という他者の存在が、自己中心性を惹起、強化するという事態です。

思えば、数回のエントリーで例示された人格障害事例も、自己中であっても「他人を振り回す」形で他者との関係性の中で、様々な事態が起きているわけでしょうし…。
うーむ。
[ 2007/01/07 02:20 ] 2sQQXnjA[ 編集 ]

欲しいが欲しくない評価し選別する声と眼差し   No. 350

>kuronekoさま

まず出発点として、「万能で尊大な『彼』を捏造しなければ
生き延びられないほどに無能で卑小な私」であると「自己」を
「過小評価」せざるを得ない現実の存在を否定し、
その否定するという行為を行ったという事実をも否定し、
現実を「否認」する、という行為の反復がある。
ドストエフスキーの『分身』の主人公ゴリャートキンのように。

「無能で卑小な私によって捏造された万能で尊大な『彼』」の存在を確認はしたい。
だから、「鏡」としてのギャラリー、評価し選別する声と眼差しは欲しい。
しかし、そのギャラリーが本当に「鏡」となり「万能で尊大な『彼』を捏造しなければ
生き延びられないほどに無能で卑小な私」を映し出すのは恐ろしい。
それゆえ、ギャラリーは白雪姫に登場する「魔法の鏡」でなければならない。
だから、その場合、言表としては言われているのはいつだってひとつです。
「おまえは私を『彼』であると承認するか、しないのか」。「Aか非Aか」、「是か非か」、「味方か敵か」。
「この世で一番~なのはだあれ? 私だと言え」、それで終わり。

ここには、「Aかつ非A」とか「Aでなくかつ非Aでない」、ナーガルジュナの中論でいう
「両是」とか「両非」といったものがない。これでは「対話」「ダイアローグ」にはならず
「モノローグ」で終わる。「この世で一番~なのはだあれ?」、「それはあなたです」では「対話」にならない。

いきなり「この世で一番~」にはなれない。なので、「対話」は「勝敗を自分で主観的に
決定できる格ゲー化したディベイト」=「議論」になってしまう。で、自分から「試合」をふっかけながら、
「主観的に勝敗が決定できないほどに追いこまれた状況になる」と「イジメられた」とキレて泣く。
あるいは、相手の「狡猾さ」を想像上のギャラリーにアピールする。

彼ら(仮に「メス」であっても「男性」に限定されていると思うわけですが)の
言説の特徴のひとつは、相手への非難がそのまま自分にあてはまるところで、
それを第三者が指摘するケースがよく見られる。自分のダメなところ、イヤなところは外部化して
「鏡」の側の歪みのせいにして、「自己」を対象化して評価することができないこと、
「理想の自分」と「現在の自分」との距離を計測できないこと、がネットの内だけでなくおそらく外でも周囲との軋轢を生む。
[ 2007/01/07 22:07 ] ireuyPRw[ 編集 ]

「男性に対するルサンチマン」   No. 351

http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-44.html

上記URLが「男性に対するルサンチマン」で、自分の主張はそうした「最初から議論する気もなく私を嘲笑する」連中にねじまげられ、「私」は「攻撃」されたということらしい。

いや、実にわかりやすい。ここも読んでるわけね、気にはなるのか。
[ 2007/01/08 12:20 ] ireuyPRw[ 編集 ]

なんでこんなに   No. 352

「実証」に協力してくれるのか。誰が「あいつらばっかり」という「(強者)男性に対するルサンチマン」をもっているのかは、明らかで。だから「弱者」カテゴリーなんでしょうけど。なんで自分が「女性」から「ルサンチマン」を向けられるほどの「強者」だと思えるのか。「男性」=「強者」(でなければならない)と刷りこまれている。それがそもそもの不幸の始まり。「弱者」=「私」と「強者」=「彼」への分裂もそれで起きる。

そんなに「値踏みされる視線」で「女性化」されるのがイヤなんだろうか。そこまで「女嫌い」で「女をバカにして」いちゃあ、そりゃ結婚以前に恋愛にもならんでしょう。これは「非モテ」にも通じるあくまで一般的なお話。
[ 2007/01/08 12:52 ] ireuyPRw[ 編集 ]

大まかレスでごめんなさい   No. 353

>harutoさん
既にお気づきかもしれませんが、このFCブログではコメント投稿時にパスワードを入れておきますと後から修正が効きますので、必要がありましたらご利用下さいね。

>「コミュニケーション・スキル」ということで片付けた方が、生産的なんじゃないか、という思いがある一方で、そのスキルを習得するために必要とされる条件はなんじゃらほい、と考えてしまう。

「コミュニケーション・スキル」を得るために必要な条件とは何かと考えると、その一つは「コミュニケーション・スキル」を欠如した行動を取った場合の不利益を学習する事にはならないでしょうか。そうすると「>言葉のやりとりを通じてどう行いうるか」という対応方法は、考え直す余地があるのではないだろうか、と、回避性人格障害の私(笑)は漠然とそう考えていたのですが、どうでしょうねぇ。

現実に目の前にいると、しかも自身の命を盾に取られると難しい対応方法ですが、ネット上の相手だと可能ではないかと思うのです。この辺りは、gegengaさんの「ウンコーと叫ぶ幼児のような差別主義者達」での論考も、ほぼ同様の答えを出しているのではないかと思います。


>「男性に対するルサンチマン」
既に暗示される特定個人に対する興味はありませんが(あんな小物が一個体じゃ眼中にも入らない)、一般論として、自分に向けられる評価がどうであろうと自分は自分という確信があれば、自ブログでやっていればいいでしょうね。必死になって自分の主張をヒトのブログのコメント欄にまき散らす必要はない。興味を持って見守る人が沢山いる程、あのままになることでしょうね。
「値踏みされる立場」は就職時でも同様。もしアレが本当にワークプアの代表例なら、私は自己責任論に与してしまいそうです(勿論、そうは思っていませんが)。

レスが前後しますが、ご紹介の「妄想-分裂病質態勢」の「分裂的対象関…投影同一視により、対象は自己の一部になる。良い対象関係の場合、対象は愛されるが、またそれは自己の一部であるために、それは自己愛にもなる。悪い対象関係の場合、対象を傷つけたことによる罪悪感が生じる。対象はまさに外部の自分とは異った存在でもあり、自分の一部でもある。対象を愛していながら、自己を愛しているのである。」辺りの記述はまさに人格障害を記述しているようで面白いですね。
エントリに挙げた書籍の著者も、精神医であることから、これらを踏まえているのかも、と、思いました。
[ 2007/01/08 17:06 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

誰かに認めて欲しいという思いがあるのかな、と   No. 354

>kuronekoさん
> ほかの読者という他者の存在が、自己中心性を惹起、強化するという事態です。

harutoさんへのレスでもひいたgegengaさんのエントリのように、何が何でも他者の注目(できれば承認)を得たいとの切なる望みがかいま見える気がします。それを正当な手段で得られないから、あるいは正当な手段がなんであるのか解らないから、人目をひく異彩を放つ表現をとりあえず採る、とかなんでしょうかねぇ?
また、興味深いのが、ヘイトコメントの宝庫(ごめんなさい)アッテンボローさんのところでも、たまに一定方向のヘイトコメントがつくハムニダさんのところでも、最近凄かったリアヨロアンケートの教育基本法改定に関する質問のとこの掲示板でも、たまに地味なヘイコメ系のがつくおこじょさんところでも、どうも男性キャラがヘイトコメントしがちであるような気がするんですけど、これって私の視線にバイアスがかかっているのだろうか、と気になっております。
もしかして、女性キャラは自傷に走り、男性キャラは他傷(変な表現?)に走るような非・対象性があるのかな、みたいな。
[ 2007/01/08 17:08 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

「成人」と「幼児」   No. 356

>碧猫さま

編集機能の件は了解しました。お手数をおかけしてすみません。

すでに先のコメントでも少し書いたんですが、「成人」って何らかの行為を行うときに、「幼児」を反復していると考えることができるんじゃないか、と思うんですね。

なので、何かを「し損じる」ということが起きる。精神分析が「言い間違い」「聞き間違い」「読み間違い」「書き間違い」等々の「失錯」に着目するのは、そこに幼児期のトラウマの反復があると考えるからですね。

その場合、ある条件のもとでは、その「幼児」の態勢への固着が起きる、ということがあり、それが言語行為に現れる、ということもあると思うんです。名探偵コナンとは逆ですね。「見た目は成人、精神は幼児」。

ここで「成人化」というのは資本主義システムへの適応であり、「し損じる」ことが問題となるのは「経済効率性」の観点からであることは指摘しておく必要があります。なので、「幼児性」というのは既存の「成人化」のプロセスを疑問に付すものでもあるんです。

しかし、現在ネットにおいて私が経験する「幼児性」は既存の「成人化」のプロセスにまだ囚われている。それをハイテクとローテク、ネットと言語の両方から、問題化できないか、大枠はそんな感じです。

>女性キャラは自傷に走り、男性キャラは他傷(変な表現?)に走るような非・対象性があるのかな、みたいな。

私はこれを「メランコリーの克服が自他への暴力に転化する」場合のジェンダー非対称性として考えられるんじゃないかと、思っています。何かを喪失したが何を喪失したのか喪失した対象がわからない「メランコリー」への対応の違いですね。女性は「自責」「自傷」に向かい、男性は「他責」(変な表現ですね)「やつあたり」する、という傾向は観測されるんじゃないでしょうか。
[ 2007/01/08 17:42 ] mytgKMyM[ 編集 ]

経済的再分配と社会的承認   No. 357

「貧困」研究が最近になってようやく「貧困の階層性」「社会的排除」を問題にするようになってきました(『格差社会』『日本の貧困研究』)。以前から、たとえば精神病理学の方では、ペルー社会における貧困とマチズモの関係なんてのが研究されていた(大平健『貧困の精神病理』最初に出版されたのは1986年)んですが、それが先進国でも経済政策の観点から問題化されるに至ったわけです。

経済的な分配の不平等と社会的承認は密接に連関しています。「承認されていない」という思いは彼らにはあるでしょう。プレカリアートのなかには「3人デモ」をやった「素人の乱」のような男性たちもいる。右傾化する若者たちと彼らは同世代です。両者の遭遇、というのを考えてもいいかもしれない。論座なんて「手術台」雑誌は、おあつらえ向きなんですが、やってくれませんかね。

他者に対する「道徳的強要」(kaetzchenさんはどこかで「道徳的強姦」の間違いではないか、とおっしゃっていたように記憶しております)によって「経済的再分配」と「社会的承認」を「効率的」に実現する、という「成人」に取り憑いた「幼児的」な欲望に由来する短絡にどう付き合うか、kuronekoさんのように「ネタ」にしたり、gegengaさんのように「ベタ」に付き合ったり、両方で行くしかないでしょう。
[ 2007/01/08 18:12 ] mytgKMyM[ 編集 ]

マクロとミクロ   No. 358

>「値踏みされる立場」は就職時でも同様。もしアレが本当にワークプアの代表例なら、私は自己責任論に与してしまいそうです(勿論、そうは思っていませんが)。

これに関しては、kuronekoさんのところに「マクロとミクロ」「需要と供給」というコメントを書いたので、お手数ですがそちらをご覧下さい。
[ 2007/01/08 18:24 ] mytgKMyM[ 編集 ]

コメント読みそこなってます~   No. 364

>harutoさん

すみません、"kuronekoさんのところの「マクロとミクロ」「需要と供給」というコメント"を見に行こうとしたのですが、類似の話題の新しいエントリーに自己愛妄想モードが炸裂した吐き気を催すコメントが付いていましたモノで、へこたれてしまいました。どのエントリにおつけになったコメントか教えていただけますか?

>「成人」って何らかの行為を行うときに、「幼児」を反復していると考えることができるんじゃないか
>何かを「し損じる」ということが起きる。(中略)「失錯」に着目するのは、そこに幼児期のトラウマの反復
>その「幼児」の態勢への固着が起きる、ということがあり、それが言語行為に現れる
>ここで「成人化」というのは資本主義システムへの適応であり、「し損じる」ことが問題となるのは「経済効率性」の観点からであることは指摘しておく必要があります。なので、「幼児性」というのは既存の「成人化」のプロセスを疑問に付すものでもあるんです。
<
harutoさんが言い換えて下さる表現なら解るのですが、先に私が引っかかった○○は生後○ヶ月齢の幼児みたいな表現をとるヒトが、harutoさんの様に整理して考えているのかな?と思ったりして(笑。
結局、何かのスイッチが入って「ウンコーと叫ぶ(様な、とりあえず他者の注目をひくことを最大の目的とした)幼児」と化してしまった訳ですかね。


>「メランコリーの克服が自他への暴力に転化する」場合のジェンダー非対称性として考えられるんじゃないかと、思っています。何かを喪失したが何を喪失したのか喪失した対象がわからない「メランコリー」への対応の違いですね。女性は「自責」「自傷」に向かい、男性は「他責」(変な表現ですね)「やつあたり」する、という傾向は観測されるんじゃないでしょうか。
<
メランコリーの概念が、多分私が漠然と考えている概念と違うように思いつつ、表現してらっしゃる事は解るような気がします。


>経済的な分配の不平等と社会的承認は密接に連関しています。「承認されていない」という思いは彼らにはあるでしょう。
<
ネットゴ○が粘着しやすい対象が、女性ブロガーであるとの観察例も多数目撃されているようです。
そこでふと思うに、経済的な分配不平等に向き合うことになり社会的承認を得られていないルサンチマン(こういう用法で正しいのでしょうか?)に取り憑かれている男性キャラが承認を求める対象は、女性キャラ、なのでしょうか?
どこかの誰かさんが、自分を扶養する存在として、あくまで女性を設定していたことにも通じるような。
これって、ミソジニー的な復讐みたいなモノか、はたまたマザコンなのか。うーむ。

…他エントリの方の件で恐縮ですが、要望を聞き入れて下さったことに深く感謝します。
harutoさんがご自身のことを知っているほどには(当たり前ですが)私も存じ上げません。でも、だいたいあの辺を専攻してらっしゃるだろうなというアタリはつけています(はずれているかもしれませんが)、しかし、これまでharutoさんのコメントを見る機会の無かった方に共有されている情報ではないことをご了承下さい。また、gegengaさんのところに現れてらっしゃる事、これまでのコメントの方向性からして、例えば、「ジェンダーフリー(用語の適不適はともかく)バッシングをしている勢力」に対抗する意志をもった人たちに友好的でいらっしゃるものと思っておりますので、そういう人たち同士の寒々しいコメント応酬は見たくないと思ってしまいました。要望を聞き入れて下さってありがとうございます。
[ 2007/01/09 20:07 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

「自傷他害の懼れ」ざんす   No. 365

>人目をひく異彩を放つ表現をとりあえず採る
そういうのを現場で見たら、わたし達は記録にこう書くのです「衒奇言動あり」と。

さて、わたしはアカデミズムとは程遠い雑な世界で生きているブルーカラー(しかも非正規雇用)なもんですから、あれこれ考察なんかできませんので、件の彼に関しては「なんか思考パターンがカルト信者みてえでキビイ」で終わっちゃうんですけど。べつに何教がどうとかとかじゃなくて(そう解釈した人もいたみたいだけど)、あくまで思考のありかたとして。たとえば「自分は正しいことを言っている、だから無知な偽善者どもから攻撃される」とか「縁なき衆生に事実というものを(他よりも一足早く)事実に目覚めた俺様が教えてやる」ってスタンスがむんむんするところがー。

わたしは学生の頃ある資格を取ったせいか、10年ほど前に世間を騒がせた(今は別の名前で活動している)ある教団からご指名勧誘をされたことがありまして、もう立ち寄り先に待ち伏せまでされて怖かった。その勧誘してきた彼らのロジックと恐ろしいほどに似通っているんですよね。
[ 2007/01/09 20:14 ] jIQFn5A2[ 編集 ]

女性キャラ   No. 368

>碧猫さま

まず、kuronekoさんのところの「アンチ左翼プレカリアート層の行動・
言説戦略に関する省察」エントリに、私のコメントはあります。
おっしゃるような事情で「へこたれて」しまうということでしたら、
一番下のコメントから順番に遡って、見つけていただくのが
よろしいかと思います。

>先に私が引っかかった○○は生後○ヶ月齢の幼児みたいな表現をとるヒトが、harutoさんの様に整理して考えているのかな?と思ったりして(笑。
>結局、何かのスイッチが入って「ウンコーと叫ぶ(様な、とりあえず他者の注目をひくことを最大の目的とした)幼児」と化してしまった訳ですかね。

そんなふうに考えてはいないでしょうね。私は「幼児性」と
いうのは条件さえ整えば「革命性」として肯定できる、と
考えますから、単純に「罵倒語」として用いたりはしません。
「幼児的サディスム」は「革命の萌芽」でもあります。
しかし、既存の「主体化」「成人化」のプロセスを温存するかたちで、
「幼児」段階に固着すること、それは問題だろう、と思うわけです。

>そこでふと思うに、経済的な分配不平等に向き合うことになり社会的承認を得られていないルサンチマン(こういう用法で正しいのでしょうか?)に取り憑かれている男性キャラが承認を求める対象は、女性キャラ、なのでしょうか?
>どこかの誰かさんが、自分を扶養する存在として、あくまで女性を設定していたことにも通じるような。
>これって、ミソジニー的な復讐みたいなモノか、はたまたマザコンなのか。うーむ。

「ルサンチマン」はそれで用法として誤りではないと思います。
本田透の『電波男』『萌える男』はお読みになったことがありますか?
彼は「非モテ」ではなく自分たちは「喪男(もだん)」である、と
自己規定するわけですが、弱者男性も含めて、彼らの欲望は
「所有可能で自分にとってコントロール可能性が高い女性が欲しい」、
というものだと思います。その「コントロール可能性」にどう対応するかが、
それぞれ違うだけです。その違いはとりあえずおいて、ここでは共通点を挙げておきたいと思います。

「非モテ」「喪男」「弱者男性」はほぼ同年代で「全共闘ジュニア」「団塊ジュニア」に
属する男性たちです。リュス・イリガライは、女の社会的役割を「処女」「母」「売春婦」の
3つである、と考えたんですが、それを使っていえば、彼らは「処女」を欲望しているが
それは叶わぬ現実のなかで、「女は全員、自分以外の他の男と寝る売春婦である」
というミソジニーに取りつかれつつ、その「売春婦」をなんとか「母」にできないか、と
苦労している、ということになります。「幼児」にとって、「母」って、
コントロール可能性、決して低くはないですよね。泣けば抱いてくれるし、お乳も飲ませてくれる。
なので、「ミソジニー的復讐でもあり、マザコンでもある」ということになるんでしょう。

彼らが「ヘタレ」だと思うのは、結局、「男が立たない」ことに不満があり、
「強者男性」に「強者女性」(この定義は彼らのそれぞれで異なりますね、
「非モテ」だと「モテ女」、「喪男」だと「恋愛資本主義」での「勝ち組」だけじゃなく
「負け犬」も批判の対象になるし、「弱者男性」では「性関係」を欲望していることは
隠したいので定義は「年収」だけになっている)の再分配を要求したいが、
「強者男性」に直接それが要求できず、「女性」を何らかのかたちで、「所有可能なもの」にし、
「コントロール可能性を高める」ことで、その欲望を満たそうとしているところですね。
彼らが欲しい社会的承認は、「強者男性に自分も『男』であると承認してもらう」というもので、
「女」はそのための手段にすぎない。問題はあくまで「ホモソーシャルな男同士の絆」です。
そこが彼らが容易に「バックラッシュ」に動員される原因のひとつだと思います。

別エントリの件では、こちらこそ申し訳ありませんでした。ケンカっぱやい血の気の多い性分で、
短気なんです。そして、素直ではないので、ああいう書き方になる。自主削除したコメントは、
もしかしたらご覧になったかもしれませんが、もっとすさまじかったとだけ、反省もこめて、お伝えしておきます。
[ 2007/01/09 21:53 ] mytgKMyM[ 編集 ]

愚痴の削除は構いませんけどね   No. 369

>碧猫さん

>もー、わざわざ釣りにかかるの勘弁して下さいよ。

こっちだって忙しくて,真面目にコメントする余裕ないんだってば!< 本当は仕事中

もう,ネットオカマもネットやおいも,勘弁して欲しい,というのが本音です。ちなみにこの記事って,いつからフェミの話にすり替わったの?ヾ(^^;)

# これのどこが過激だっていうのだ?(^^;)
[ 2007/01/10 10:05 ] HfMzn2gY[ 編集 ]

>えぼりさん   No. 370

ご訪問ありがとうございます。野暮用で離脱しておりまして失礼しました。

>「衒奇言動あり」と。

なんて難しい言葉だ!と思いましたが、レ点を打てば明快ですね。奇を衒った言動ですか。
なんか「ヘイトコメントを晒え」の副題にぴったりしそうです。


>ある教団からご指名勧誘をされたことがありまして、もう立ち寄り先に待ち伏せまでされて怖かった。その勧誘してきた彼らのロジックと恐ろしいほどに似通っているんですよね。

それは災難でしたね。「我ら選ばれし戦士達が不浄の世を」みたいな教団ですね。
アレは怖かったけど、今は、あの怖さが拡散して広く浸透してしまったような気分になります。

今、ようやく、うちゃさんのところでも紹介のあった「犯罪不安社会/浜井浩一・芹沢一也」を読んでいますが、この本を読んで再認識した言葉「醒めない悪夢」が、文脈から離れて耳に付いてしまっています。
[ 2007/01/12 17:58 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

>kaetzchenさん   No. 371

アレって愚痴だったんですか?(爆)

この記事は、下敷きにした記事でフェミニズム的な分析を微妙にお借りしていたんですよねー。
そして、harutoさんがご訪問下さった時点で、フェミニズム視点での分析が入る事は既定の路線だったんです。
これまでのharutoさんの御意見を拝見していたので、むしろ私はそれを楽しみにし、期待していたんですよ。


># これのどこが過激だっていうのだ?(^^;)

はい、これぐらいお手柔らかにお願いします。少なくとも私のなわばりでは。
一方が、乱入してきた名前も知らない人だったら一刀両断を見物させて頂くんですけどね。
ってか、それも私のなわばり内の話だったらまとめてサクってしまうと思いますから、あらかじめご了承下さいね。
[ 2007/01/12 18:00 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

>harutoさん   No. 372

>kuronekoさんのところに「マクロとミクロ」「需要と供給」というコメント

おそくなってすみません、ようやく拝読しました。
マクロとミクロは、漢字で言い換えてみると(笑)総論と各論ですね。
奇を衒った言動に淫している人達の事は知りませんが、雇用において「需要と供給」が釣り合う必要と、需要のあるところに(自分自身の)供給を試みる必要というのは身に染みて解っています。
しかし、自己責任論というのが、、、どこまでを個人の責任とすべきか、社会の責任とすべきか線引きが難しい。

で、非常に難しいと自覚しても、なお、
ネットで意味不明の言葉をまき散らす団塊ジュニア世代ほどの男性の自己申告による経済的苦境を、社会のみの責任とすることに違和感を感じますね。彼らが思うほどに女性が優遇されていない事実に実際に向き合った上で、職を得た私としては。そして、ガラスの天井も、「ここ」には、私の上にも技術スタッフの上にもきっちりある。
まぁ、今度、あれぐらいの年代を採用面接することになった時には、じっくりしっかり、慎重にさせていただく事になるでしょうね。


>本田透の『電波男』『萌える男』はお読みになったことがありますか?

すみません、残念ながら読んでないです。


>弱者男性も含めて、彼らの欲望は「所有可能で自分にとってコントロール可能性が高い女性が欲しい」、

モテるという単語そのものが、「持ち得る」「持てる」から来ていると認識していましたから、そもそもが「モテたい」=「所有したい」だと思っていました。


>「ミソジニー的復讐でもあり、マザコンでもある」ということになるんでしょう。
>彼らが欲しい社会的承認は、「強者男性に自分も『男』であると承認してもらう」というもので、
「女」はそのための手段にすぎない。問題はあくまで「ホモソーシャルな男同士の絆」です。

主体はあくまで男性、女性は客体って事ですね。結局。
そういう彼らには、ホモソーシャルとホモセクシャルを間違えたフリして、からかいたくなりますね。ホモソーシャル男性集団では、同性愛禁忌が付き物でしたものね、確か。
そして、ネットゴキ系の電波から自由な人は、自分をネタにそういう言葉のゲームを楽しめるらしい、とgegengaさんのところで発見しました。


ところで、harutoさんならご存知ではないかと思うのですが、
多分アメリカの調査結果で「就労女性と就労男性のカップルで、女性の所得が多いほど家事負担率も高い(所得が低い男性ほど家事もしない)」というような話を聞いたのですが(多分 http://k3-net.com/ )、で、ソースを記録しそびれました。今現在、それらしいキーワードを使って検索しても見つかりません。遙洋子さんも、著作にそういうような言及をなさっていたので、多分虚構ではないように思うのですが。
もし、元論文なり書籍なりご存じでしたらお教えいただけませんか?
[ 2007/01/12 18:06 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

ご質問の件で   No. 376

>碧猫さま

>「就労女性と就労男性のカップルで、女性の所得が多いほど家事負担率も高い(所得が低い男性ほど家事もしない)」というような話

すみません。これがよくわかりません。これまでの「彼」がらみの文脈からすると、「家事負担率」は「女性の家事負担率」で、( )内はその外で述べられたことと「=」ということでしょうか?

「女性の所得が多いほど、(女性の)家事負担率も高い」
「所得が低い男性ほど、家事もしない(=男性の家事負担率も低い)」

という2つの傾向が別々に現象として観察されるのはありうるし、わかるんですが、それが他の条件なしで「=」で結ばれるのは、よくわかりません。そのサイトの元記事も読んでいませんし、遙洋子さんの該当著作も読んでいないのですが、彼女は「 」内で示されたことを言っているんでしょうか?

私が何か勘違いしていましたら、「文系」であるということでお許しください。
[ 2007/01/12 23:36 ] mytgKMyM[ 編集 ]

他の条件の例   No. 377

たとえば、「就労カップルの家計所得」についての「階層別データ」があって、しかもすべての階層で「 」内の傾向がある、ということならわからなくはないんですが、でも、そんなことが傾向としてあるのかどうか、よくわかりません。

家事を外部化できる階層もあるでしょうし。
[ 2007/01/13 00:16 ] mytgKMyM[ 編集 ]

すみません   No. 379

>harutoさん

あやふやな質問を、整理できずに書いてしまいまして、解りづらい質問になって大変申し訳ありません。
「彼」がらみで思い出した件ではありますが、、、
カップルの生活費を女性側がほとんど負担している場合であっても、家事を負担するのが女性であるというような話を聞いた事がある+それも、個人の体験談レベルの話ではなく、統計的な裏付けのある話の伝聞として、という事なんです。
ただ、この場合は男性が完全無職の場合ではない、との情報も付随していたように記憶していますので、先のような表現を採ってしまいました。某事例の場合、男性側の所得は低いながら原稿料程度は入りそう、そして家事能力はあらかじめ高いという訳ではない様子である場合のようですので。元もと、男性キャラに、一般的なそういう心の動きがあるモノなら一つの材料(何の?)かと思いました。
たしかに、ご指摘のように、階層ごとにケースが違いそうな話ですね。
ちょっと、遙洋子さんの著作で、まずは該当部分を探してみます。


すみません、まだ分かり難い表現でしたらご指摘いただけますか。
私個人の体験(と、同じ出身学科や交流のあるラボの話)としては「理系」の博士課程教育では、系統立てた論理トレーニングというのは受けていません、正直。私とその周辺は、実験工房で丁稚働きをしつつ、放し飼いで育ってます。
ところが、どうも、遙洋子さんの喧嘩の本(笑)を見るに、文系の博士課程教育では様子が違うみたいだと思っている次第なんです。そして、上野千鶴子さんの著作などを読んでも衝撃でしたので、どういう風に考えを組み立てるのか、どこが違ってどこが共通なのか、非常に興味を持っているという事なのです。
文系でいらっしゃると書くことに、失礼なニュアンスがでておりましたら、大変申し訳ありません。
[ 2007/01/13 12:37 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

ああ、なるほど   No. 380

>碧猫さま

>カップルの生活費を女性側がほとんど負担している場合であっても、家事を負担するのが女性であるというような話

これならわかります。つまり、「ある就労カップルの家計総額に対して女性の所得が男性の所得よりも占める割合が大きい場合」のお話ですよね。

最初の

>「就労女性と就労男性のカップルで、女性の所得が多いほど家事負担率も高い」

だと、それとは2つ違うところがあります。まず「女性の所得」となっているので、これだと「女性の所得が家計総額に占める割合」のことではなくて、「所得額」なのかとも取れてしまいます。なので、これですと、「女性の所得額が多ければ多いほど、女性の家事負担率も高くなる」ということになってしまいます。それは変です。

もうひとつは、今回のご説明ですと「多いほど」「多ければ多いほど」という、「女性の所得(額)」と「家事負担率」との相関関係を表す言葉はありません。なので、たとえば「すべてのカップルの家計所得階層において、女性の所得が家計総額に占める割合が8割でも、女性の家事負担率の方が高い傾向がある」ということはわかるけれど、「その割合が上がれば上がるほど、女性の家事負担率が高くなる」という傾向、変化があるかどうかは、また、別のお話だと思います。

そのうえで、やはり、これはある所得階層に限って観察される現象なのではないか、と思います。家事の外部化ができない階層に限ったお話ではないかと。

そして、そういう理解でいいとして、論文や書籍に思い当たるものがありません。お役に立てなくてごめんなさい。

>文系でいらっしゃると書くことに、失礼なニュアンスがでておりましたら、大変申し訳ありません。

そんなことはありませんので、心配ご無用に願います。
[ 2007/01/13 21:04 ] mytgKMyM[ 編集 ]

曲線の変化傾向と分布図   No. 381

>碧猫さま

「女性の所得額(あるいはカップルの家計において女性の所得が占める割合)」と「女性の家事負担率」との関係を表す曲線の変化傾向のお話と、横軸に「カップルの家計に対して女性の所得が占める割合」、縦軸に「女性の家事負担率」を取ったときの分布図のお話の違い、といえばよかったのだろうか、と先ほど気がつきました。
[ 2007/01/14 18:05 ] mytgKMyM[ 編集 ]

ありますか?   No. 383

元もと、どういう形のデータであるかの記憶が曖昧と言いましょうか、そもそもが掲示板での噂話と、遙さんの本での軽い言及でしたので、、、申し訳ない。

↑のようなデータだと、私がそうと解釈した結論が得られるかと思うのですが、そういうデータが公表されているのでしょうか。
[ 2007/01/15 20:11 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

どうでしょう・・・・・・   No. 387

>碧猫さま

たぶん、その記事の根拠となった元データ自体は、統計をもとに誰か研究者が分布図のグラフを作ったものだと思われます。就労カップルの男女別所得額と家事負担率という基本統計データがあれば作れますから。

なので、お話のようなデータは何らかの論文において筆者が作成、公表してる可能性はありますが、私は寡聞にして知りません。。。
[ 2007/01/16 00:39 ] mytgKMyM[ 編集 ]

遅くなってすみません   No. 389

教えて頂いたキーワードを手がかりに探せそうです。
遅くなって申し訳ありませんでしたが、御礼まで。
ありがとうございました。


追記;ROMってらっしゃる皆様へ
上記のコメントのやりとりは、
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-62.html
のコメント欄のやりとりと平行して行われたものですので、ご参考までに付記しておきます。
なお、そっと閲覧しておくだけにとどめてくださっている皆様の、紳士的な対応に感謝しています。
[ 2007/01/26 12:11 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

いえ、どういたしまして   No. 395

>碧猫さま

いえ、どういたしまして。こちらこそ、あまりお力になれずすみません。

フェミが専門でもありませんし、現在は論文を書く機会もありませんので、統計をチェックすることもなくなりました。
あと、統計にもとづいて何か言う、というのはそれが得意な方々にまかせておこうと。

つまりボケはまかせて、ツッコミに徹そうと。そういう姿勢でおります。
[ 2007/01/26 22:36 ] mytgKMyM[ 編集 ]

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人格障害の解説

人格障害人格障害 (じんかくしょうがい) とは、精神医学における''Personality disorder'' (パーソナリティ・ディスオーダー) に対する訳語であり、「病的な個性」、あるいは、「自我の形成不全」 ともいえる状態を指す。従来の人格異常や精神病質の後身にあたる概念で
[2007/02/16 12:16] URL 症状で知っておきたい病の知識












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