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東条元首相手記が国立公文書館に所蔵されているとの報道 

 8月12日に出ていた報道だが、東条元首相が1945年8月10日から14日に記した手記が、国立公文書館に所蔵されていることが解ったとのこと(2008年8月12日付 日経NETより)。これは、A級戦犯被告中に巣鴨拘置所で記されたものとは別で、その方面に詳しい方達から「終戦直前の手記が公になるのは初」と評価されているものの、「昨年から一般公開の扱いとなった」とも報道されている。

 …いつの時点で、この手記の存在が解ったのだろうと思ったりして。報道するタイミングをはかっているのだろうか。
それはともかく。


 手記は東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎氏が法務省へ寄贈した資料の一部だそうで、同省は東条氏の「直筆」として内容を転写し、99年に、原本とともに国立公文書館に移管していたそうだ。手記は、はがき大の用紙30枚に日付順に鉛筆書きされた肉筆メモのほか、60年代に和文タイプで打ち直された資料も含まれるという。また、肉筆部分も本人の直筆とみられつつも、筆跡が異なる個所も含まれていると、報道されている。

 内容については、朝日と読売が詳しい。

 「国体護持を条件に連合国側のポツダム宣言の受け入れを御前会議が決めた」10日のメモ;

すでに首相を辞めていた東条氏を含む首相経験者らは重臣会議で経緯を説明され、意見を求められた。「メモ魔」の異名をとる東条氏は、天皇に上奏したとする内容を「奉答要旨」として細かく残していた。

 中心は、ポツダム宣言が求める「日本国軍隊の完全武装解除」への懸念だ。「手足を先(ま)づもぎ、而(しか)も命を敵側の料理に委する」ようだと例えながら、武装解除に応じてしまえば、国体護持は「空名に過ぎ」なくなると訴えた。「敵側」が国体護持を否定する態度に出れば「一億一人となるを敢然戦うべき」と上奏したとしている。

 戦争の目的は「自存自衛」「東亜の安定」にあり、目の前の戦況に心を奪われないように求めたとも書いている。


 「長崎原爆投下から2日後の」11日のメモ;

「無条件降伏を応諾」すれば「稍(やや)もすれば一段安きに考えたる国民として軍部をのろうに至るなきや」と記し、見下ろすような考えを示しながらも国民の反応を気にする姿が見える。さらに日本軍は「相当の実力を保持」と見解をつらね、「簡単に手を挙ぐるに至るが如(ごと)き国政指導者及(および)国民の無気魂なりとは、夢想だもせざりし」と当時の内閣や国民に不満をぶつけた表現もある。

(以上二日分は2008年8月12日付 asahi.comより)

12日のメモについては、
ポツダム宣言に触れた12日の記載だけは、ほかより大きく丸みがある字体で筆跡が明らかに違うが、公文書館は「東条以外の人物が書いたかどうかは判定できない」としている。(共同通信 2008/08/13)』
ポツダム宣言の条項について記した12日の記述は、他とは筆跡が異なっていた。 (日経NET 2008/08/13)』
とのみ、報道されている。

 13日のメモ;

「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判している。


 14日のメモ;

「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感する。事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申上ぐる」と自らの死を決意している。東条元首相は終戦後の9月11日に拳銃自殺を図り、一命を取り留めた。

(以上二日分は8月12日13時42分配信 読売新聞 (via yahoo)より)

 その他、時事ドットコム 2008/08/12-13:49では、『当時の政府の講和姿勢を「屈辱和平」「屈辱降伏」と批判する一方、「持てる力を十二分に発揮することをなさず」などと、戦争継続へのこだわりを見せている』とも報じられている。


しかしまぁ。
「簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」って、その時点でも、そんな無茶をメモっていたとは。
参考;
・「大日本帝国データベース」@「旧日本軍弱小列伝
・当ブログ2007/06/11付『「貧国強兵」読後メモ
・当ブログ2007/06/14付『軍服と日の丸の戦前体制って



エントリ中のリンクとかぶるけど、引用および参照した報道;
・日経NET 2008/08/12 07:00
東条元首相、終戦直前の手記みつかる 責任転嫁の言葉も

・読売新聞 2008年8月12日13時42分
東条元首相の終戦直前手記見つかる…14日に自殺決意記す  (魚拓無し)』

・読売新聞 (via yahoo) 2008年8月12日13時42分
東条元首相の終戦直前手記見つかる…14日に自殺決意記す

・時事ドットコム 2008/08/12-13:49
東条元首相の手記発見=終戦直前、責任転嫁も-国立公文書館  (魚拓無し)』

・ asahi.com 2008年8月12日15時7分
東条元首相の直筆メモ公開 無条件降伏「国民がのろう」(1/2ページ)
東条元首相の直筆メモ公開 無条件降伏「国民がのろう」(2/2ページ)

・共同通信 2008/08/13 12:10
東条元首相の手記公開 国立公文書館  (魚拓無し)』

・日経NET 2008/08/13 12:48
東条元首相メモ公開 直筆、一部筆跡異なる



 捜しものをしていて、『Apes! Not Monkeys! はてな別館』さんの2006-10-29付記事で『日本軍の戦死者に占める餓死者の割合』にて、以下の情報を得る。

「現代史家・秦郁彦 東条宰相「復権」は慎重に判断を」(Sankei Web 【正論】、平成18(2006)年10月15日[日])

 〔サイパン陥落~東条内閣崩壊から〕半年後、和平を模索しはじめた昭和天皇は個別に重臣を呼んで収拾策を尋ねたが、東条は「陛下の赤子(せきし)なお一人の餓死者ありたるを聞かず」と開き直り、戦局は「今のところ五分五分」だとして、徹底抗戦を主張した。侍立した藤田尚徳侍従長は「陛下の御表情にもありありと御不満の模様」と記録している。

 終戦はそれから半年後のことだが、ガダルカナル、ニューギニア、レイテ、インパール戦など戦陣に倒れた約230万の兵士のうち、広義の餓死者は私の試算で60万に達する。内外の戦史に類を見ない高比率だ。天皇が不満どころか、不信の思いをつのらせたとしてもふしぎはない。

「陛下の赤子(せきし)なお一人の餓死者ありたるを聞かず」って、実際にはたくさん餓死していたわけだが。「餓島」と呼ばれたガダルカナルの戦いは42年から43年にかけてのことである。

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[ 2008/08/14 17:30 ] 自爆史観 | TB(2) | CM(6)

   No. 4951

 終戦直前の頃には、原油や鉄鉱石といった資源どころか、食料輸送もままならず、あのまま抗戦を続ければ、遠からず国民に多くの餓死者が出るという事態に陥っていたのではないでしょうか。
 国体護持などという寝言もたいがいにしろ、というより「腹が減っては戦ができぬ」という古今東西共通する真理を無視してはどうあがいても勝利など望めはしなかったでしょうに。

[ 2008/08/15 15:26 ] 9fUrC8Yk[ 編集 ]

   No. 4955

>「腹が減っては戦ができぬ」

できると思ってたみたいですね。というか、自分達は餓えない立場だし。

何年か前ですが、東条由紀子氏がテレビ出演中に、父上の刑死後に米屋がコメを売ってくれなくなったと、憤りながら発言していたのを見たことがありました。…その当時は、庶民は米を食べるなんて、とてもできない時期だったはずでは。

うちの母は、疎開中の主食でイモの茎を喰わされたと言ってましたよ。その時期だって、米を食べている人は食べていたんでしょうね。
[ 2008/08/15 17:08 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

   No. 4957

>自分達は餓えない立場だし。

 これは前線でも似たようなものらしく、兵は飢えても士官は食べていたという話もあります。補給が途絶えた島嶼戦での、生き残り比率なんか見てもそういう事情は良くわかります。
 
[ 2008/08/15 18:28 ] 9fUrC8Yk[ 編集 ]

   No. 4961

>兵は飢えても士官は食べていたという話
<
兵が飢えるの餓死するのなんて戦争をはじめたのは誰だ、という話は、この界隈以外ではあまり目にしませんね。生き残った人が発言する、という要因もありそうな。
[ 2008/08/16 12:17 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

魚拓保存;『東条メモが発見、最後まで捨て切れない戦争の妄想 』   No. 4965

東亜日報 AUGUST 13, 2008 07:05
http://s03.megalodon.jp/2008-0817-1910-49/japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2008081379418

(略)
東条英機はメモで、「屈辱和平」、「屈辱降伏」、「新爆弾に脅え、ソ連の参戦に腰をぬかし」などの表現で、無条件降伏の方針に対する不満を露骨に表わした。

東条英機は、日本が降伏に至った背景として、「国政指導者及び国民の無気魄(むきはく)」を挙げ、無謀な戦争を起こした自分の過誤は認めなかった。

東条英機は当時の戦況について、「(日本は)相当の実力を保持」と綴り、日本に勝算があるような認識を表わした。
(中略)

『東条英機と天皇の時代』を書いたドキュメンタリー作家の保阪正康氏は、「このメモは、戦争を主導した人物の視野がどれほど狭かったかを如実に物語っている。日本が、東条英機の考えどおり戦争を続けていたら、想像に絶する惨禍にあっただろう」と指摘した。(後略)
[ 2008/08/17 19:14 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

魚拓保存;『東条英機・陸軍大将:手記を確認…終戦直前の心境つづる 』   No. 4966

毎日新聞 2008年8月12日 12時38分
http://s04.megalodon.jp/2008-0817-1914-47/mainichi.jp/select/wadai/news/20080812k0000e040052000c.html

(略)
戦争目的を「東亜安定と自存自衛」としたうえで、ポツダム宣言受諾を「敵側の隷属化に立つに至る」とつづっている。また、敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」としながらも、開戦に及んだ指導者としての責任に触れている。(後略)
[ 2008/08/17 19:17 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

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[2008/08/16 02:17] URL ザ・のじじズム












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