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「女という快楽」読書メモ 

 上野千鶴子氏の著書「女という快楽」(勁草書房 ISBN4-326-65066-4)
第1版第1刷の発行は1986年11月30日、手元にあるのは第1版第14刷。
ちなみに、あとがきの日付だと1986年10月。

 もう、20年以上前の書籍だ。でも、上野氏の書籍のうちで非常に興味深かったものの一つ。社会的背景が変わっても、この時点での分析をふまえると、いろいろな出来事が読み解ける様な気になるので読み返してみた。

 この本は書き下ろしではなく雑誌執筆原稿を収めたもののようで、対幻想を含む性愛論、母性や主婦論争関連、近代家族論などが収録されている。

 そのIV章の14で「女のかしこさ」。
これの初出は、原題「女のかしこさ 男のかしこさ」『現代かしこさ考』別冊発達2、1984年、ミネルバ書房という。4半世紀近い前の文章だ。その点には留意の上、そこにある文章を抜き出してみる。
 『3 「かしこさ」とは何だろう?』P.234から

 偏見を覚悟で、かしこさの性差を言えば、女はやっぱりかしこくないのである。ここでは、どういう事態が、「賢くない」かを説明することで、かしこさとは何かを、裏側からあぶり出してみよう。
 女性には、男性と比べて一般に、他者に対する理解力が乏しい。

 ここで上野氏は、『男性にもオレがオレがのワンマンがいて』と保留をつけつつも、女性の場合についてを1984年当時よく言われた(今はどうだろう、あまり聞かなくなった気もするが)「女性ドライバー」の運転っぷりを挙げる。そして、それが実際より目につく認知的不協和な理由や、当時はペーパードライバー女性が多かったことが言及した上で、しかしそれだけを割り引いてもやはり、同条件のドライバーで女性と男性を比較すると、女性が下手だと思われると述べた上で、こう続ける。

 それはたぶん、女に状況感覚が乏しいせいだろう。走行中は自分と同じように他のドライバーも車を走らせている。そこでどう出るかは、他のドライバーの動きを測りながら判断していかなければならない。他人も自分と同じような意思と能力を持った主体で、その主体相互の間で状況が決まっていく、という視点の複眼性を、女性は持ちにくいようだ。航空パイロットの用語に、インサイド・アウトとアウトサイド・インというのがあるそうだが、インサイド・アウトは自分の方針を周囲に適応していくこと、アウトサイド・インは周囲の状況に応じて自分の動きを調整していくことを言う。その意味では女性はアウトサイド・インが苦手だといえよう。
 もちろんインサイド・アウトの運転は、事故を誘発する。ここ数年来、女性の間でミニバイクが急速な勢いで普及するにつれ、ミニバイクの事故も急増している。女性のミニバイク事故の特徴は、危険な事態になるととっさの判断や事故回避の行動がとれず、そのまま判断停止の状態で事故に突入していくことだと言う。


 続くP.236からの『4 女はかしこく育たない』の項で、上野氏はさらに考察を続ける。

 「女はかしこくない」と女の私が結論しなければならないのは哀しいが、もちろんそれにはそれ相応の理由がある。第一は、女性の社会化プロセス自体が、女をかしこくするようには出来ていない、という問題がある。第二に、女性の置かれた社会的状況の中では、女はかしこくなりたくてもなれない、という問題がある。

…くりかえして恐縮だが、これは1984年の文章。もちろん、年代が下がるにつれて、女性の置かれた社会的状況に変化はある。だが、いまだに、企業に『ガラスの天井』があったりするのも、知られた事実ではある。

 社会化プロセスの問題点とは何か。
 他人に従うように、周囲にあわせてしつけられる女性の社会化が、女性に自己中心的なインサイド・アウトの行動様式しか与えないというのは、矛盾に聞こえる。女性はしかも、他人の苦しみや痛みを理解する共感力を持つよう促される。(中略)
 だが、この共感能力は、他者を自分に、もしくは自分を他者に、同質化する力であって、異質な他者を認めて、自分を他者へと異質化する力ではない。だから女性は、自分より優位にある他者に自己を滅して同質化する(夫に随き従う)ことや、自分より無力な存在を抱きとめて同質化する(子どもの痛みをわがことのように苦しむ)ことは得意だが、自分と同等で、ちがった意思と能力を持った他者と、折り合いをつけながら状況を作っていく、という能力を持たない。なぜなら、自分自身がそういう意思と能力を持った一人の主体として取り扱われた経験が、女性にはないからだ。

下線部分は、原文での傍点部分。
 女性が女性として育てられる過程において他者への共感をもつように(男性が育てられる過程においてよりも)促されることはよく指摘される事実。当ブログでおいて以前取り上げた、若桑みどり氏の著書「お姫様とジェンダー」でも、親は女の子に「素直で思いやりのある」様になって欲しがる、つまりは女性は子ども時代に「他者への共感をもつよう」親から望まれるとの指摘があった。また、共感力の高い女性は、共感力の低い女性よりも、「女らしい」という評価を得やすいだろう。すなわち、ジェンダー「女性」に求められる特徴といいかえてもいいだろう。

 さて、この辺りで、私には少し気になることが出てきてしまった。まだ考えがまとまってはいないのだが、近頃よく、社会の有り様の見直し等の文脈で、女性原理をより重視すべきといった意見が目立っているのではないだろうか。このような場合に言われる「女性原理」とか「男性原理」の概念が、どうも私にはよく解らないのだが、すくなくとも女性原理を重んじる社会といった表現の時には、共感と寛容の社会という意味づけで用いられているように見受けられる。そして、これと、「共感性」を他の事柄よりも優位に重視する人達が目につくようになったことと、連動しているように見受けられる、ような気がするのだ。
 とはいえ私は、『今までの「男性原理」を重んじる社会に問題が出たから「女性原理」』的な用法で使われる場合には、非常にうさんくささを感じてしまう。特にこれを男性が発言している場合には。申し訳ないけど。これまでの社会だって女性と男性の双方が創ってきた訳なのに、女性に任せたらうまくいくものでもあるまい。もちろん、女性には、稲田代議士や山谷代議士といった方々だっているのだ。

 それはさておき、上記引用箇所の後には、こう続く。

 他者と世界を発見して、自己を形成していく発達のプロセスを、ピアジェは「脱中心化」となづけたが、脱中心化とは、たんなる同質化とはちがう。べつな中心に出会って自己の主体が「脱中心化」したとき、もとの中心は無くなるのではなくそのまま中心化して保存されるからだ。
 自分が主体的な個人として取り扱われた経験がなければ、他者を同じように主体的な個人として遇することもむずかしい。たとえ、母親から盲目に近い絶対的な愛情を受けた(「たとえ人殺しでも我が子は我が子」)としても、それは母親から個人として理解されるということとはちがう。この母親の愛情は子どもを成熟させる方向には働かない。自分じしんが意思と責任ある主体として扱われたことがないために、他者を同様で同等な個人として扱うことができない、という女性のこの社会化上の欠陥は、子どもの発達のプロセスに、阻害要因となるだろう。(後略)

1984年に「…なるだろう」と表現されたこの箇所、2008年現在にどうなっていると考えるべきだろう。

 ついでにもう1箇所、印象に残った箇所を抜き書き。P.162の「10 家族の空想社会科学」の「2 両性具有のユートピア」から

 もちろん、鬼子母神伝説やユングの「グレート・マザー」説に見るように、母性にはその闇の面もあるから、手放しで礼賛できる訳ではない。私じしんは、母性のネガティブな面に、さんざん被害を受けてきたという思いがあるから、母性型支配は、内面支配の抑圧型寛容の代名詞にすぎない、と思っている。

実は、私はこの箇所に多いに首肯したりする。
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[ 2008/05/05 14:00 ] ジェンダー関連? | TB(1) | CM(2)

   No. 4126

ショーペンハウアーには、「一家に天才が二人もいるはずはない」というお母様にさんざん悩まされたという逸話があります。
このお母様など、まさにグレートマザーの典型なのでしょう。
最近ではウェーバーもお母様に悩まされていたという説もあるそうですね。
「マックス・ヴェーバーの哀しみ―一生を母親に貪り喰われた男」(PHP新書)
これは未読ですけど。
[ 2008/05/06 01:58 ] 5xkAihd.[ 編集 ]

   No. 4134

>かつさん

卑近な話としても、あまり母性を賞揚されると、危惧の方を先に感じてしまうのですよね。

日本の場合だと、阿闍世コンプレックス(この概念も上野さんの本で仕入れているのですが(^^;)なんかも、いろいろと読み解くキーワードにならないかな、と思ったりもします。
http://imago.blog64.fc2.com/blog-entry-405.html

現代のサブカルチャーでも、宮崎アニメが普及させた定型的な『「大人の男たち」が破滅させた世界を救うのは「少女」である』という図式が、若桑みどりさんによって、現代日本人の発想の大元に根付いているのではといった指摘がされていますが、これも延長上であるように見えます。
[ 2008/05/06 11:32 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

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[2008/05/06 01:16] URL 遠方からの手紙












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