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アイデンティティとかの話に何か投げてみたくなった 

 とある方向(笑)を見ていて、以前読んだ本の一節が思い浮かんだので、読み返してみた。

さまざまな身体計測や人種的特徴、指紋や声紋など固有性を持った特徴による個体の同一性の認知は、「おまえは何者か」という支配権力の「呼びかけ」に対して、「はい、わたしはその者です」と応じるためにある。IDカードとは、管理の技術のために存在し、わたし自身のために存在するわけではない。

これは、上野千鶴子氏編の「脱アイデンティティ」の「序章 脱アイデンティティの理論」P.34にある一節。
 この本では、上野氏はアイデンティティと同一性という言葉を互換的に用いており、この一節に先立つ文章で、

個人的同一性とは、「わたしとは何者であるかをめぐるわたし自身の観念」であり(中略)社会同一性とは、「わたしとは何者であるかと他者が考えているとわたしが想定するわたしについての観念」をさす。このふたつの間にはずれがあるが、これが一致した状態がアイデンティティの安定した状態であり、この間に不一致が起きるとアイデンティティの危機が起きる、とエリクソン(引用者注;フロイト派の社会心理学者、アイデンティティの概念を初めて使った)は見なした。(中略)
エリクソンの考えのなかには、個人的同一性と社会的同一性のあいだのずれが一致することをつうじて、アイデンティティは統合され、安定したものになると言う見方がある。(中略)とはいえ、エリクソンは単純に両者が100%一致した状態をよきものとしたわけではない。社会的同一性は、しばしば職業的役割と重なっており、これと個人的同一性がぴったり一致した状態は奇怪ですらある。たとえば、家に帰っても教師的役割を演じ続ける父親を考えてみればよい。(後略)

(序章 脱アイデンティティの理論 P.7ー8)

と説明している。そして、アイデンティティに「存在証明」との訳語を与えた研究者が紹介され、

ここで重要なのは、だれが存在証明を強迫的に求められているのか? という問いである。社会的アイデンティティは社会的カテゴリーと結びついているが、優位のカテゴリーに属する者は、アイデンティティの証明を迫られることがない。劣位のカテゴリーに属する者だけが、存在証明の脅迫のもとにおかれる。

(序章 脱アイデンティティの理論 P.23ー24)



 いや、某所で、国旗や国歌を自分(なんだろうな、多分)の属する集団のアイデンティティを高揚させるものであるという概念を開示しているらしい人物がいたから。それも、似たような認識(推定)の人物が複数。面倒くさがりで不親切なわたしは、邪魔くさいから、あえてリンクは貼りませんので解る人だけ解っててくださいな。
 自分の属する集団に象徴が必要なんだなぁと見ていると、つい、この一節が思い出されたもので(笑)。いえ、そんだけの話。


 なお、この本は、上野千鶴子氏は編者であるので、他の人も寄稿している。この辺りの本になると、読んで十分理解しているかにかなり自信がないが(爆)、面白かった一節をついでにメモ。
 三浦展氏の寄稿で『第三章 消費の物語の喪失と、さまよう「自分らしさ」』から。

 明治以来、日本の国民は、近代化、富国強兵という「大きな物語」を共有していた。戦後は、国家主義的なアイデンティティは否定されたが、新たに高度経済成長、中流化という「大きな物語」が登場した。そこでは、戦前のムラと軍隊という共同体が企業という「生産共同体」として再編され、かつその従業員は「消費共同体」としての家族を形成し、(略)、国民は、(略)二つの共同体への所属感情を持つことによって、自らのアイデンティティを獲得した。 (P.103)

そして、ここで筆者は、「仕事と消費」が戦後日本人のアイデンティティになったと述べる。また、高度経済成長期には、その「大きな物語」と消費が密接に結びつきながら補強もし、より多くを消費することが社会を構成する人としてのアイデンティティ形成にもつながる効果もあったとものべる。

しかしその両輪が今、どちらも溶解している。高度成長はとうに終わり、(略)家族は(略)かつての「理想型」とは変質している。よって、われわれは高度成長期のように「大きな物語」に支えられながら自らのアイデンティティをもつことができない(だからこそ「最後の絆」として愛国心と愛郷心と歴史教育の復権が声高に叫ばれる)。消費がアイデンティティに結びつくこともない。いまや、消費者は自ら物語を創出しなければならなくなったのである。 (P.104)

この時期に、「個人として生きる意味」つまり自分らしさと消費することの意味を結びつけるようなマーケティングがなされるようになってきたという。

言うまでもなく「自分らしさ」もまたひとつの「小さな物語」である。しかし現実にはその「自分らしさ」という物語を十全に生きることのできる消費者ばかりではない。(略)すると、そういう消費者たちのために消費することの意味(物語)を手とり足とり教えるマニュアルが生まれることになる。 (P.105)

そして、80年代以降に盛んになった、ファッションやデートの仕方などを事細かに教授するマニュアル雑誌の存在が指摘される。

しかし、こうしたマニュアル化傾向が極限まで進んでくると、当然のことながら、マニュアル通りに生きる自分と、それに満足できない自分との間に分裂が生じ、「本当の自分」「本当の自分らしさ」への希求をますます強めるという循環構造がうまれ、「自分探し」ブームが拡大することになる。 (P.107)

この状況を背景に90年代以降、企業の広告・マーケティングのテーマが「自分探し」となり、

消費者は企業が発する自分らしさ情報を受信し、自分でフィードバックする。すると消費者の中には、今ある自分らしさへの疑念がつねに生じるようになり、さらに本当の自分らしさを探し出すというように、自分探しの循環運動が拡大してしまうのだ。(略)本当の全面的な自分らしさは獲得できない。(略)実現できるのは自分らしさのほんの一部でもよい。(略)部分的な自分らしさの上にまた別の部分的な自分らしさを重ねて描き続け、(略)こうして、ここに「複数の自分」という現代独特の自己意識が生まれることになるのである。 (P.115)

こうして、三浦氏は、若者を中心とした現代の消費者は「複数の自分」を持っているという説を述べる。そして、そのうち一つを必ず「みんなと同じ自分」として持っていて、その「みんなと同じ自分」に訴求できた場合に、メガヒットが生まれる、のだそうだ。

…そして

ところで「複数の自分」による最大のメガヒットはなんだろうか。(略)それは「ぷちナショナリズム」であろう。(略)彼らの中には必ずどこかに国家がある。だからこそワールドカップのような特別なイベントに際して、ぷちナショナリズムは一気に発現する。そこには強制はないが、横からの同調圧力はあるのかもしれない。(略)「複数の自分」たちは、衷心から国家を崇拝することはない。しかし同様に国家に抵抗する力も弱い。ある一時に国家をメガヒットさせることはある。

この箇所には脚注がついている。その脚注によると、ちょうどこの原稿執筆時に自民党の衆議院選大勝があったそうだ。

 三浦展氏が、終始、断定的な調子で述べているのには多少引くというか、かなり気にはなるのだが、符合する状況や、それらしい言説を放つ人物には心当たりがある(^^; もちろん、自分自身が「複数の自分」を全然もっていない訳でもないようには思うが、もっと極端な心当たりを最近どこかで見た。
 一番大きな心当たりとして、もしかして、ある種の人達にとっては「規則や職務命令」は「マニュアル」なのでは無かろうか、と思ったことがある。そして、その「ある種の人達」が、きっちり「ぷちナショナリズム」傾向を示しているように見えることも、この心当たりを補強しているのだ。
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[ 2008/03/22 00:00 ] 四方山話 | TB(8) | CM(18)

こんにちわ   No. 3806

はてなりんぐ「歴史修正主義に反対します」の皆さんにコメントしています。
はてなキーワードに対して歴史修正主義者から攻撃がされています。是非幣ブログの事情を読んでご協力ください。
http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080322
[ 2008/03/21 23:21 ] mQop/nM.[ 編集 ]

日本国憲法を日本国職務命令と改名すれば「ある種の人たち」も従うのかなあ   No. 3807

「ある種の人たちがよく行く」方面に私もよく行くわけですが、規則や職務命令をマニュアルとして受け入れながら、それよりも長い歴史の葛藤の末に結晶化した、より上位に位置する普遍的行動倫理体系、たとえば憲法とか世界人権宣言とか子どもの権利条約とかを受け入れない人たちの心理を説明する手がかりがほしいです。
[ 2008/03/21 23:37 ] 6fyJxoAE[ 編集 ]

むむ~   No. 3809

『自分が自分であって、その自分が今生きている』
アイデンティティーなんてそれで充分じゃないかなぁなんて俺は思うんですが、
なにかアイデンティティーを保証してくれる依り代というか外部?寄りかかれるもの?そういうものを欲しているのかなぁ?
それが、ある人々にとっては国だったり国旗や国歌だったりするのかな?
他人に認められなくたって、自分が自分を自分自身で認めてあげればいいのになぁ。
そういうのって結局心の持ち方次第だし、理由や理屈なんていらないような気がするんだけどなぁ。
他者にいくら認められても、結局自分が自分を自分で認められなくちゃ何も解決しない筈だしね。
[ 2008/03/22 03:06 ] -[ 編集 ]

子どものころに言われた、ひどい罵倒語   No. 3810

ウチの実家には、口の悪い人間がそろっていまして。
何も考えずにマニュアル的な行動をとると、メチャクチャに罵倒されました。
「おまえの首の上に付いているのは、そりゃ、なんだ?
使わねぇ頭なら、とっちまえ!!」

「ある種の人たち」を見ていると、このひどい罵倒語をぶつけたくなる(笑)
[ 2008/03/22 08:40 ] Tk1SCyj2[ 編集 ]

抜け雀や竹の水仙を思い出した   No. 3812

>師匠

使わねぇ頭なら取っちまえって…思わず、抜け雀や竹の水仙を
思い出しました。

見えない目なら刳り抜いて銀紙でも張っておきな!
[ 2008/03/22 10:53 ] UfXhsPQ6[ 編集 ]

のび太君によれば   No. 3813

穴の開いたグラスは、喉が乾いていない時に使える。
壊れた扇風機は、暑くない時に使える。
だから、ゴミに見えても捨てられないのだとか。

さしずめ、使わない頭は飾っておく時に使えるのでしょう。
だから、いつまで経っても捨てられない。
[ 2008/03/22 11:14 ] 5X5MRA9A[ 編集 ]

   No. 3817

>abesinzouさん

ようこそ。はてな事情(キーワード編集とか)はよく解らない上に、ちょっと現実の方で立て込んでいるのですが、できることで協力できればと思います。



>玲奈さん
>心理を説明する手がかりがほしいです。
<
陰でこっそりあてつけ記事に走ったに過ぎない私には、高尚な目的はありませんし、手がかりは持ち合わせていませんねぇ(^^;




>た~んさん
>なにかアイデンティティーを保証してくれる依り代というか外部?寄りかかれるもの?そういうものを欲している
<
うーん、そんな感じでしたねぇ。
『この国を象徴する国旗国歌に感謝の気持ちを捧げ、歌い敬うことはこの国に住まわせてもらっている上で最低限の気持ち』『日本国が存在するから我々は日本人』との迷台詞がでたもんで、いっそ感心しましたから。
あ、ちなみに、私が生温かく見ている方向は、こちらでお書きの「かの地」ふたつのことです(^^;
http://ameblo.jp/voodoo32kpci/entry-10081553208.html
これに先だって、面白い関連エントリが複数あがってます^^
きっと主観的には、自分で自分を認めているんでしょうねぇ。自分で認めている自分の意見を聞かない「左翼」(爆)を教導しようと燃えているんですかねぇ(^^;
押し付けボランティアの一種かしらん。



>gegengaさん

え?そんな程度でひどい罵倒語なんですか?
院生時代、面倒見ていた後輩があまりにも自分で考えようとしないので「君の肩の上に乗っているそれは帽子の台か?」っていっちゃったんですけど、、、まずったかな(^^;



>まっくん
>見えない目なら刳り抜いて銀紙でも張っておきな!
<
うんうん、よく言うよね^^
あと「頭ドついてめりこまして、臍から外見るか?」って言うよね。
え? あたし、何かまずいこと言った?



>人生アウトさん
>使わない頭は飾っておく時に使えるのでしょう。
<
飾るには、見目麗しいかどうかが大問題だけど。
もし、
前半二文字で自分の頭の中身を自己申告している漢字四文字HNの人物が、見目麗しかったとしたら、、、文字抜き・自画像のみのブログを運営してくれると平和かもね。
[ 2008/03/22 12:52 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

なるほど~   No. 3818

そっかぁ、いわゆるそういった傾向の方達は、自分の中では『主体的に自分で自分を認めている』と思っているわけで、
外部というか依り代に寄りかかっているという自覚はないのかもしれないんだなぁ。

端から見てると、外側に自分を保証してくれる『何か』を求めすぎて、それに寄りかかろうとしているように見えるし、
それをちょっと批判的な形で論じられたりすると、たちまち強烈な拒否感を批判的に論じた対象に対してぶつけようとしているように見える。

こういうのって、その外部に頼ったアイデンティティーの弱さ故にハリネズミになってしまっている状態なのかもしんないなぁ。

しっかし、アイデンティティーなんて結局自分自身の問題でしかないわけだから、
自分が依存している所の『アイデンティティー体』みたいなものをやたらと押し売りされても困る。

なんていうか、そういった方達は、もうちょっとおおらかに、曖昧な部分、灰色な部分なんかも呑み込めるよう、思考の幅を広く取れればいいのかもしんない。

[ 2008/03/22 17:11 ] -[ 編集 ]

   No. 3819

>社会的アイデンティティは社会的カテゴリーと結びついているが、優位のカテゴリーに属する者は、アイデンティティの証明を迫られることがない。劣位のカテゴリーに属する者だけが、存在証明の脅迫のもとにおかれる。

3/22付けbogusnews
http://bogusne.ws/article/90459220.html
のコメント欄から

"鯛しょってんの さん
住所:皇居
職業:自室警備員
「日本のチベット」に気を取られる前に考えていただきたい。「日本の日本」はどこなのか、そもそも国内に存在するのか、ということを。"

なるほどと思いました。
[ 2008/03/23 07:57 ] bAt7Emrw[ 編集 ]

   No. 3820

>た~んさん
>自分の中では『主体的に自分で自分を認めている』と思っているわけで(略)自覚はないのかも
<
と思うのは、彼らが自分と考え方の違うブログのコメント欄に降ってきて説教するから(^^;
なにか勘違いしてないとそれはできんでしょう。しかも、今回の観察対象のうちの少なくとも一つは、挑発されてブログ作っちゃってる(^^;
自分は論理的にコメントを書いており、非論理的なのは自分と相対している側と考えているようでした。

>自分が依存している所の『アイデンティティー体』みたいなものをやたらと押し売りされても困る。
<
何かにつけて「オレ様定義」なんですよねぇ、「ある種の人」は。ヒトが人それぞれ多様な考え方を持っている事が受け入れられないのかも。自分が、大勢と一致した好悪の情をもてなかった時にどうするんだろうとも思うのですが、その時は、大勢の示す好悪の情を自分のものとすり替えるのかもしれませんねぇ。そもそも「ある種の人」は、これまでの観察から判断して想像力が乏しいようです。

>曖昧な部分、灰色な部分なんかも呑み込めるよう、思考の幅を広く取れればいいのかもしんない。
<
はい、「白か黒か」思考なのも、これまでの観察で共通した傾向だと思います。
現実で、それじゃすまない状況にぶつかっていただければ何か進歩するかもですが。



>書を守るものさん

情報量が多くていらっしゃるとかねがね感服していましたけど、bogusnewsのコメント欄まで、全部、チェックなさっているのですか~? (^^;

以前、華氏さんが「自分探し」に関するエントリを上げてらっしゃったことを思い出して、探してみました。
http://blog.goo.ne.jp/bebe2001pe/e/6f3b47431eb2e1a6c11d967b0cde9567
http://blog.goo.ne.jp/bebe2001pe/e/0d08e2db68bf5a6eebbce9284c79c454
コメント欄で、華氏さんの意見に賛意or違和感を示す面々が、年明けの騒ぎの面々にかぶるのが興味深いです。なお、ここで「Azury」のHNで書き込んでるの、私です(本当にうろ覚えで書いてたなぁ…爆)。
…ここにTBが入っている、今はもう閲覧できない某ブログで、華氏さんの「自分探しなど必要ない、私は私でここにいる」という感覚を、男性の感覚だと評してらしたことがあって、(私も華氏さんと同感なんだけどと思いつつ)へぇ~と思った記憶もあります。
[ 2008/03/23 11:43 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

All those moments, will be lost in time like tears in rain...   No. 3821

自分は「普通の日本人」であるといい、自分とは異なる考えを持つ相手を反日だの、日本から出て行けだの威勢のいいこと言ってるくせに、国家がなくなっちゃうと日本人じゃないとはずいぶんと情けないよなぁ。

なんか、奴の主張はずいぶんと後退を続けているようですね、
とうとう対象は公立学校の教師だけに絞られてしまったようです(^^;

華氏さんのエントリー、タイトルのセリフを最期にしゃべった某有名キャラクターをちょっと想い出したりしました。


[ 2008/03/23 17:37 ] 9fUrC8Yk[ 編集 ]

なんだつまらない   No. 3822

>うちゃさん

みんな大喜びの素晴らしい言い回しに限って、発言者が主張を後退させていくもんですねぇ ->『この国を象徴する国旗国歌に感謝の気持ちを捧げ、歌い敬うことはこの国に住まわせてもらっている上で最低限の気持ち』

>対象は公立学校の教師だけに
<
にしたって、これだけの考えを背景に持ってやるなら、それは立派な教育だと思いますし、
http://www.labornetjp.org/news/2008/1205995920431staff01/view
こんな話もあるようでは、処分が本当に妥当なのかは疑わしい。
http://www.labornetjp.org/news/2008/1206249964057staff01/view

アレが日本人って言ってるのも、日本国民のことですかねぇ。なんか定義が不明確なまま、言葉を無造作に使っているような印象があります。
…日本人といえば、こんな話を拾ったばかりですので、ご参考までに(^^;
http://blog.dandoweb.com/?eid=25362
[ 2008/03/23 19:36 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

基本的に   No. 3823

「国旗・国歌を敬いなさい」なんて法は作れないはずなんですけどね。
ましてや、「敬わない奴は処罰」なんてのは、それこそ、「お前、ホントに日本人か? ちゃんと小学校行った? 社会の時間寝てたんじゃねえの?」レベルの話のはずなんだけどな。

これを、教育行政のトップに向かって言わないといけないというのは、いったいどうしたことなんだろう。
[ 2008/03/23 21:10 ] 9fUrC8Yk[ 編集 ]

   No. 3830

>「国旗・国歌を敬いなさい」

いい歳した偉いさんがはらわたが煮えくりかえるんでしたっけ。
本気で君が代が大好きな人は、強制の道具に使われる君が代が可哀想とおっしゃってるんですけどね。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou1121.html

>教育行政のトップに向かって言わないといけないというのは、いったいどうしたこと
<
憲法第19条;思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
憲法第99条;天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
…うーむ。
[ 2008/03/24 02:11 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

   No. 4578

碧猫さん、トラックバックをありがとうございました。
「自己啓発セミナー」のようなブログも、「自分らしさ」にこだわりいいかげんさを発揮する蘇るブログも、みんな大きく「ある種」をつくりだしているように思います。犯罪的なまでに人様に不快な思いをさせて阿修羅モードと洒落る連中も。
なんかフクザツ…、、、「無責任」さが「ある種」の共通項であり、その「無責任」さが日本国民のアイデンティティの共通項のような気さえしてくる。
peopleを国民などとして、そこから捨象される人々に思いを馳せきれない。
人権を剥奪したかのような「象徴」をいただくことに違和感も持たない。
なんか土台からおかしいような気がしてなりません。

あっ、私はアイデンティティなど知らないし、運転免許証のこと?と思ったりしています。注意すべき自発的隷属のように感じていることを補足。
[ 2008/06/23 15:15 ] hiiZJbic[ 編集 ]

   No. 4581

>なごなぐさん

なにか、思考の礎になる余地があれば、と思ってTBさせていただきました。

自分の中の善意を確信している人ほど、善意が通じなかった場合には、時系列順の事実関係の検討をすっ飛ばして、善意を受け取らない相手の責任と思い込むのかもしれませんね。南郷さんの「フェア・公正さ」における位相の違いの考察も面白いです。

華氏さんは「自分探しなど必要ない、私は私でここにいる」でしたが、私は「自分らしさ」すらも必要ないかもと思ったり。
今、こうある自分が、自分らしさの表現に他ならないし。

それと、みんなが仲良くする、も、ある種の人が共有したいと考えている「物語」の一つなんでしょうね。
[ 2008/06/23 20:37 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

   No. 5013

TBありがとうございます。

いろいろ触発されるのですが考えがまとまらず直接には関係ないんですがこの碧猫さんのエントリを読んでいて思い出したことを書きます。

昔「愛国心」がらみの議論をしていた時に「私は誰をも何をも愛さない」と言ったところ、「私は自分の子供をそんな風には育てたくない」とかわいそうな私を正してくれようとする見知らぬお母さんたちから非難ごうごうでえらい目にあいました。で、そのお母さんたちはおおむね、君が代には反対だったりしました。いやわし、あんたの子供ちゃうし!なんて今ここで言ってもしかたないんですが。

またゆっくりまとまったらまたここに書くかTBさせていただきます。
[ 2008/08/28 20:48 ] Qi8cNrCA[ 編集 ]

Ping TB...   No. 5020

>とらこさん

コメントありがとうございます。
面白い議論をなさっているので、興味深く拝見させていただいてます。話がこっち方面になってきたから、ちょっと投げてみました。
私も、この方面、ものすごく気にはなるけど、議論に参加できるほども考えがまとまっていないし、でも、ものすごく何かが触発されます。

ただ、
>「私は誰をも何をも愛さない」

にも関連して、「属さない」にしても「愛さない」にしても、各個人がそれをどう定義づけているのかに当然「ずれ」はある訳ですよね。そして、言葉を尽くして「ずれ」の存在や距離や方向を確認しても、自身がその言葉を発している時には自分定義しばりなしで言葉を使うのは難しいだろうなというのを、少し思いました。
[ 2008/08/29 12:36 ] fYTKg7yE[ 編集 ]

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