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『男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分』 

 先に書いたエントリ、『一番最近読んだ怖い本;「母は娘の人生を支配する」』で、私の引用した一節に、とある方から疑問を呈された。この一節だ。

 ファルス(ペニス)中心主義という「偏見」にさえ陥らなければ、精神分析とフェミニズムはきわめて相性がよいのですが、このことからもおわかりの通り、私は「ジェンダー」の考え方を全面的に肯定します。男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない。精神分析フェミニズムに近い私は、これまでこの前提を疑ったことは一度もありません。


 この、『男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない』との文章は、『「男性であり、女性であるということは」100%環境による』という主張と読め、それならトンデモ主張のたぐいではないか、と疑問をもったとの指摘だ。

 私は、斉藤環氏自身では当然無く、氏の著書を複数読んでいる訳ではないので、もしかしたら斉藤氏がそう主張している可能性は0だとは断言できない。ただ、この一節に違和感をもたなかった読者の一人として、上記のような疑問を表明された方が少なくとも一人いらっしゃると言う事は、実はこっそり他にも複数(たくさん?)いらっしゃるかもという事で整理してみたい。はっきり言うと、荷が重いのだが(^^;

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[ 2010/05/14 22:00 ] ジェンダー関連? | TB(0) | CM(14)












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