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「自由」ってどういうものなのか、よく解らない 

 このところ読み返している何冊かの内の一つで、遙洋子さんが男女共同参画社会基本法をこんな風に表現していた。

これはみんなで平等になりましょう。で、平等というのはね、という法律だった。そして気づいたことがある。それは、平等というのは、平等を定義しなければならないほど、人は平等がなにかわからないということだった。「平等はいいことだ」はわかっていても、じゃあ、なにが「平等?」と聞かれて、いったいどれぐらいの人がそれにこたえられるだろう。(略) なにが平等かを定義することとはつまり、なにが平等でないかを指摘することから始まる。


遙洋子「働く女は敵ばかり」朝日新聞社2001年五月一日第1刷発行、P125-126より


 そうして、2001年の正月に、遙さんはこの法律に関するテレビ番組に出演し、旧知の番組スタッフに問われたいう。

「で……どうしたらよろしいのん?」
「え?」
「いや、だから、基本法の理念はわかるんですが、で、……僕らどうしたらよろしいの?」
 彼らは下請けのスタッフだった。つまり、市場経済でいう周縁部の位置に属する。働いても働いても経済的強者になりにくい位置だった。(略)「どうにも出来ないよね」という言葉を飲み込んだ。

 平等に生きることなど、たった一人の心がけや努力程度じゃ困難すぎる話なのである。差別は社会に歴史的に長く深く構造化されている。そこで生まれ育つと、それが自然にも見える。僕が働き、君が家を守るのが自然で、そうとしか生きられない社会制度や慣習があれば、役割分担の歴史性は「そう生きたい私」という個人の意思にまで作用するだろう。(略)
「どうすればいいんだろうね」
次のシーンが始まる。
「二十一世紀は女性も自由に職業を選べる時代になりました。自立して女性も生きられるようになりました」(略)
カメラが止まった。(略)
また、ディレクターが私に近づき言った。(略)
「女性も自由になれるんですか?」(略)
 一体、女性の何割が自由に職業選択できているだろう? 自己実現を期待し仕事を選んでも、やめていく理由は相変わらず子育て・家事・介護だ。(略) 不景気においては、いつでも首を切れて低賃金の女性労働で企業はその命をつなぐ。中高年女性はパート。(略)いったい何割の女性が「自由な選択」など実現できているだろう?


遙洋子「働く女は敵ばかり」朝日新聞社2001年五月一日第1刷発行、P128-130より

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[ 2009/07/15 17:34 ] ジェンダー関連? | TB(5) | CM(10)












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