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『産経の感覚は独創的』 パート6;キャンペーン継続中だったらしい 

 きっかけは、「かめ?」さんが15日付エントリで取り上げてらした件、小田急線での痴漢事件について最高裁が無罪判決を出した件だ。これについては、書きたいことがあるがまとまらないので、うろうろと関連エントリを読みあさり、結果、色々と目にすることになって、フラッシュバック混じりに凹みっぱなしの自縄自縛状態だ。

 その内、凄いエントリが上がった。
土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。」さんの2009-04-18付『「気の毒な冤罪被害者を出さないために、世の女性には痴漢くらい大目に見て欲しい」』。

 もちろん、Prodigal_Sonさんというべきか、放蕩息子さんというべきか、瑠璃子さんというべきかの、ブログ主さんの意見ではなく、別ブログエントリについたコメント採取である。もはや乾いた笑いしか浮かばないレベルで、ブログ主さんの『少数意見どころか、かなりどうしようもない意見であることを自覚されたほうが』に、多数意見かつどうしようもない意見というパターンも有り得ると思いながら『この界隈には少ないだろうと思いつつ、実は、本音はそれかな?のヘテロ男性って相当数居るんじゃないかって気がしてるorz』とブコメを置いてきた。ちなみに、その後の関連エントリやコメント類の論調を追った後の今現在は、「この界隈には少ないだろうと思いつつ」部分の撤回を検討中である。

 そして、上記、『青瓢箪』さんのコメント欄に気になるコメントがついた。自分の家族である女性が被害にあった場合も、これが言えるだろうか、と。
ん?と思った、この路線で考えることには落とし穴に気をつけなければいけなかったはず。記憶を辿って、元情報を探す。
…あった。
Imaginary Lines」さんの2006-08-26付『想像できる(できる気になる)ということ』。抜粋して引用させていただくと、

セクハラが絶えない理由の一つは被害者に対する想像を働かせないことにあるのだろうなと思う。で、「自分の妻や恋人や娘が~」というのは想像力を働かせようとする一つの試みなのだろう。

しかし、これでいいのかと問いを立てるdebyu-boさんはこう続ける。

つまり、「自分の妻や恋人や娘が~」という言い方をされて初めて自分の行為の問題に気づくような人間の想像力がおよぶ範囲というのはせいぜい「自分の妻や恋人や娘に手を出されちゃった男」の悔しさとか情けなさまでであって、セクハラされた「自分の妻や恋人や娘」の悲しさや悔しさではないのではないかと思うのだ(略)。だからこそ「自分の妻や恋人や娘が~」という言い方は理解されやすいのではないか。けれども、そのような想像の仕方では決して被害者本人の悲しさや悔しさには到達しない。

このところの、痴漢関連の後発エントリを見て回っていると、この「一つの試み」における限界の輪郭が見えてくるように思えてならない。


 それはともかく。
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ユーザータグ:  『ま・た・産・経・か』
[ 2009/04/21 07:57 ] 四方山話 | TB(2) | CM(0)












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