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河野洋平衆議院議長が政界引退へ 

 自民党の残り少ない良心(注;私の主観です、念のため)、河野洋平氏(神奈川17区)が政界を引退するという報道が流れていた。次の衆議院議員選挙には立候補せず、政界を引退する意向だそうだ。12日に後援会関係者に引退の意向と伝えていたそうで、22日の総裁選後に最終判断した後に正式発表予定という。

 asahi.com 2008年9月17日11時19分付、『河野洋平衆院議長、政界引退へ』より

(略)
 河野氏は今月初め、広島市で開かれた第7回G8下院議長会議(議長サミット)の議長役を務めた。被爆地での開催を自らの政治家人生の「集大成」として実現させ、「政治家としての区切りがついた」(周辺)という。

 67年に自民党で初当選。(中略) 平和・軍縮に取り組み、新自ク時代に米国と旧ソ連に単身乗り込んで広島の被爆フィルムを上映したこともある。93年には宮沢内閣の官房長官として、従軍慰安婦への軍当局の関与と「強制性」を認めて謝罪と反省を表明する談話を発表。外相時代の94年には国連総会で「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮に関する決議」を日本として初めて単独提案し、採択された。

 今年8月の全国戦没者追悼式では、議論が停滞している無宗教の追悼施設設置の検討を提唱。議長サミットは「平和と軍縮に向けた議会の役割」をテーマとし、ナンシー・ペロシ米下院議長らG8各国議長と平和記念資料館(原爆資料館)を訪れた。


 日刊スポーツコム2008年9月17日2時40分付、『河野衆院議長が今期限りの引退で調整

(略)
 河野氏は、67年初当選し、連続14回当選。76年にロッキード事件で自民党の金権体質を批判し離党、新自由クラブを結成したが、86年に復党した。

 93年衆院選で自民党過半数割れ後に党総裁に就任、95年の総裁選には出馬せず、首相には就任しないままだった。03年11月に衆院議長に就いた。

 06年12月に旧河野派を解散し、事実上、派閥を麻生太郎幹事長に譲った。

 宮沢政権の官房長官時代の93年に戦時中の従軍慰安婦問題の調査結果を発表、「心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」と謝罪する河野談話を出した。

 02年4月、C型肝炎悪化による肝硬変治療のため、息子の河野太郎衆院議員(自民党)から生体肝移植を受けた。

 洋平氏の父は故河野一郎元農相、叔父は故河野謙三元参院議長という政治家の名門。(共同)

…事実上の派閥の後継者は、麻生太郎氏になるのか(<-そういうことには、疎いもので)。。。

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[ 2008/09/17 12:30 ] 四方山話 | TB(1) | CM(12)












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