頻繁に閲覧に行くブログって、当然、自分のほしい情報があるから覗きに行くわけだけど、その情報の方向性によっては、ある種の困ったことが発生する。
私がよくお邪魔させていただいているブログの一つは、
一見こんな雰囲気で、
目をくらまされる………ごほごほごほ、善意あふれる心優しい方が運営しているブログだと
とんでもない誤解………こほん、思い込む人は多い様な気がするのだが。
しかし、ここは実は、うっかり閲覧していると
新しいMacは欲しくなるし、
iPod touchは欲しくなるし、
武侠ドラマは見たくなる、危険極まりないブログだ。
油断して閲覧してると、嵌められてこんな事になる。
この記念撮影は、一度やっておきたかった(^^;

「この箱は、クンクンもスリスリもしちゃダメって言われた」…もともと、田中芳樹さんの中国ものも好きだったし、井上裕美子さんの和製武侠小説も読んでたし、皇なつきさんの中国・朝鮮の歴史漫画にも親しんでたからなぁ。。。
という訳で、射蠅呂泙世世韻鼻∧坊豬は少し前に全巻視聴完了。
ストーリーやキャラクターの紹介は、
うちゃさんのブログや
Manboさんのブログで好レビューが読めるので、自分のブログでしようという気には全然ならないが(^^; 視聴完了記念に、なにかエントリの一つはあげておきたくなった。
…実は、1箇所、どうにも気になるシーンがあるのだ。
このお話は、
明朝末期、後金軍の明への侵攻を幾度も撃退した英雄・袁崇煥(えん・すうかん)は、後金の企みによって売国奴の汚名を着せられ処刑された。 皆殺しの勅命により一族が次々と刃に倒れるなか、8歳の袁承志(えん・しょうし)だけが父の部下たちによって救い出される…。
の、12年後に主人公がパパの敵討ちをする話。色々あって、崋山派の武術を習得した上で、物語の現在時点では洞窟の中の白骨死体として登場した金蛇郎君の書き遺した武術を習得して、この主人公、袁承志はお話開始早々からえらく強い。しかし、パワーアップと引き替え(?)に金蛇郎君の因縁も引き継いで、お話が盛り上がる。
気になるシーンは、その、金蛇郎君がせっせと因縁を広げていた、お話の18年前。
このお話の
(性格が悪いと評判の)ヒロインである温青青は、金蛇郎君の娘なのだが、その母、温儀と金蛇郎君との関わり部分が、その気になるシーン。
温儀は、盗賊稼業も兼ねる地主
(謎)のお嬢様で、その叔父がこの時点の十数年前に金蛇郎君の姉を陵辱して口封じに一家惨殺したため、金蛇郎君が「50人を殺し女10人を売り飛ばす」と通告して温家襲撃を開始する。
外出を禁じられお屋敷の中庭でブランコ遊びをしていた17歳
(と台詞では言ってたが、役者さんは40後半ぐらいではないかと(^^; ビジュアル的には苦しかった(^^;)温儀は、襲撃に来た金蛇郎君に拉致される。
最初は「女10人を売り飛ばす」カウントのつもりだったようだが、それまで攫われた女性たちと違って、本気で自決しようとしたりの温儀に金蛇郎君は興味をもち、一方、一家惨殺がらみの悪夢にうなされる金蛇郎君が、心優しい
(設定の)温儀の方でも気になり始める。
それぞれに惹かれはじめる光景が描かれつつ、その過程で、金蛇郎君は、なぜか
白いミニサイズのウサギを持ち帰って温儀に渡す。どうも「心優しい」=「動物好き」というお約束が武侠ドラマにはあるそうで、ウサギをもらった温儀も、嬉しそうに撫で、可愛がっている様子が描写される。
やがて、拉致された娘を取り戻すために、助っ人2人付きで温儀パパが来襲。アクションシーンの後、助っ人2人はお亡くなり、温儀パパは負傷しながら退散、金蛇郎君も負傷。そして、拉致者が負傷したからパパについて帰ればいい、とは考えず、放置すれば命に関わりそうな金蛇郎君に付き添うために居残る、温儀。
介抱しようとする温儀に、
「泣くな。この傷が癒えたら家まで送ろう。約束は必ず守る。腹が減ったろう。食べ物を探してくる。」
そう告げ、金蛇郎君は意識不明に陥る。
画面が切り替わり、温儀が何か調理中。そして、再度画面が切り替わり、温儀は何かのスープ、、、いわゆる羮ですか、を、金蛇郎君に飲ませている。
………ちょっと待て。さっき、金蛇郎君は「食べ物を探してくる」って言ってたはずだ。
ということは、金蛇郎君が失神した時点では、この隠れ家に、食べ物はなかったはずではないのか?
でも、画面に映る羮には、はっきり、
具、らしいものが見える。それも、
なんだか肉に見えるんだが。。。
まさか。
この時点から後、私はある一点に注意を払って、映像を見続けた。
そして確認し、確信した。
金蛇郎君失神時点では、はっきり白ウサギが画面に映っていた。
しかし、それ以降、白ウサギは全然登場しない。
………喰ったな。温儀さんは、盗賊稼業兼務とはいえ、地方では名のある地主の一族の、深窓のお嬢様として描かれているのに。
いざとなったら、ペットのウサギをしめて料理できるのか。
凄い(^^;
一番盛り上がったシーンは、もっと後半にあるんだけど、非常に気になったのがこのシーンって。
我ながら、何故そう斜め上に注意が向くんだろう(^^;
んっ?
…………きゃー、ぶたないでっ。
リンク;
・
碧血剣オフィシャルサイトの、
登場人物相関図 (ここで金蛇郎君のご尊顔が拝せるが、この写真は写りがいまいち)・Wikiの「
碧血剣」
(補足あり)
28日付の、The Sydney Morning HeraldやらBrisbane Timesやら複数のオーストラリアの新聞で、慰安婦に関する論説(多分)が掲載されているようだ。
The Sydney Morning Herald August 28, 2008付
『
Past is still present with crimes against humanity』から、、、相当意訳になっているけど保存。
グルジア(*)の紛争報告では、強姦が明らかに戦争の武器として何度も用いられたと述べられている。これは驚くべき事では無い。強姦は何千年もの間、戦争の武器として用いられてきた。そして今も、国連によって人道に反する罪であり戦争犯罪であると宣言されているにもかかわらず、現在でもその方法に用いられている。何千もの女性が1990年代のバルカン紛争や、コンゴやダルフールの内戦で強姦された。
人道に反する罪や戦争犯罪の結果は、世代を超えて痛み続ける。それが、戦争犯罪者の訴追手続で出訴期限が解除されている理由だ。彼らの年齢も、どれだけ時が過ぎたかも問題ではない。
このような告発は、正義をもたらすことと等価と認識されている。ハンガリー政府は、1944年のブダペストでボール・バラッジュを打擲死させたとして告発されたチャールズ・ゼンタイを、オーストラリアから送還するよう要請した。これは単に、64年前に関与した殺人のために老人が告訴されたからではない。
バラッジュが打擲死させられたのは、ユダヤ人が占領下のヨーロッパ全域で身につけるように強制されたダビデの黄色い星をつけていなかったからだ。彼の死は、第二次世界大戦下の何百万ものユダヤ人殺戮の一部だった。(中略)
そしてもう一つ、来週にラッド政権が直面する、第二次世界大戦下の人道に反する罪と戦争犯罪を含む問題がある。
戦時中、日本軍は政府の認可の元で、征服し占領した国で何百もの「慰安所」を設置した。これらの売春施設は、士官を含む日本軍兵士によって使用された。それら売春施設で奴隷状態に置かれた何千もの「慰安婦」のほとんどは、強制的に家族から離され、多くは何か月も、いくつかの事例では何年も拘束された十代の少女だった。
90年代の初め、何人かの「慰安婦」であった人達が、彼女らの被害を語り、日本政府に公式な謝罪を要求しはじめた。
(中略、アメリカ・カナダ・オランダ・EUの謝罪要求決議の紹介、アメリカ決議においては、採択阻止のロビー活動が激しかったことにも言及)
しかし、日本政府は謝罪を拒絶しただけでなく、売春施設が公的にに認可されたものではないし、「慰安婦」のほとんどは志願したとの主張を続けた。この否定の忌まわしさが、生き延びた『慰安婦』にもたらした痛みと苦しみは想像もつかない。
(中略、オーストラリアでのキャンペーン紹介)
議会決議を要請している嘆願書は、次の二週中には首相に提出される。間違いなく、キャンベラの日本大使館は、ラッド政権にそんな決議を支持しないように圧力をかけるだろう。でも、その努力は失敗に終わるべきだ。
生き残った『慰安婦』被害者女性はどんどん亡くなって逝っている。日本政府は明らかに時間が経てばうやむやになると信じている。この問題は、過去と未来の問題だ。 政府(と、彼らの市民達)が、過去の罪を認められないなら、強姦は未来でも戦争の武器となり続けるだろう。
ラッド政権は、即刻、日本政府から公式謝罪をひきだすよう要求する決議を提出すべきだ。
本当に手遅れになる前に。
まとめ。
・オーストラリアは、戦争犯罪を裁くことに積極的である。
・来週か再来週には、ラッド首相に、「慰安婦」謝罪要求決議に関する嘆願書が提出される。
* コメント欄でご指摘いただいて修正しました (修正前;ジョージア)。
ご指摘ありがとうございました。
補足1;
The Sydney Morning Herald記事の導入部分についての参考、
1975年、アメリカのジャーナリストで、女性への性暴力、児童虐待などを精力的に取材し調査していたフェミニスト、スーザン・ブラウンミラーが『アゲインスト・アワー・ウィル(我々の意志に反して)』を出版し、世界に衝撃を与えて、それ以後アメリカでは性暴力への法や見解が大きく変化した。
この本によって最も大きく変化したのは「レイプとは何か」という観念である。彼女が書くまでは、レイプは性的衝動に突き動かされた男性が犯す性的犯罪であるとして、ある意味で、男性性の過剰な発現でもあるかのように見なされていた。(中略)彼女はこの「レイプ神話」を覆し、レイプとは(中略)ある意味でもっとも原始的な暴力的威嚇であり、それが男性社会で一般的に容認されてきた(中略)『恐慌状態にとどめておく威嚇装置』だとした。
(略)
強姦がもっともその威嚇装置としての機能を爆発させる場、それが戦争である。なぜなら、そもそも戦争は、相手の財産、土地、奴隷を奪うために敵対し、殺し合う男達の修羅場だから、相手の「女」を奪うことは、戦争の重要な目的であり、かつ手段なのだ。なぜなら、戦争における強姦は軍事的効果が高い。それは相手への威嚇であり、侮辱であり、その士気低下を招く有効な手段であるからだ。
(略)
戦場のレイプは、戦時暴力の一形態であり、「性的表現」をもちいた攻撃である。
若桑みどり著「戦争とジェンダー」(大月書店 2005年4月発行)「第五章 女性差別と戦争」の「「2 暴力と恐怖による他者の支配ーー戦争とレイプの相関」」(P.171ーP.176)より当ブログ内のエントリでは;
2007/09/02付『
読書メモ;「戦争とジェンダー」』
2007/12/20付『
「彼ら」が教科書を標的にする理由;若桑みどり氏の「戦争とジェンダー」より』
補足2;
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)ホームページコンテンツ「2000年女性国際戦犯法廷」の「
裁かれてこなかった女性に対する戦争犯罪、戦時性暴力」より
戦場での強かんや性奴隷制などは、戦争につきものとされ、被害者が沈黙を強いられ、世界のどこでも裁かれなかったのです。国際法そのものが、戦時性暴力を被害女性の人権侵害とは見ず、その属する集団、つまり、家族や部族や民族の名誉を傷つける行為と見なしていたからです。
こうした戦時性暴力不処罰の流れを変えるきっかけを作ったのは、「慰安婦」たちでした。九十年代初め、アジア各地で「慰安婦」が声をあげたころ、ヨーロッパでは旧ユーゴの内戦で何万人という女性たちが、1993年ウィーンの世界人権会議で出会い、戦争や武力紛争下の女性に対する暴力反対の声を上げたのです。
相次いで設置された旧ユーゴやルワンダの国際戦犯法廷で、強かんや性奴隷制など戦時性暴力の責任者が初めて裁かれるようになり、ルワンダ法廷では、集団強かんの責任者が終身刑を宣告されました。国家の指導者を戦争犯罪や人道への罪で処罰すべきだという国際世論が高まり、常設の国際戦犯法廷としての国際刑事裁判所を作ろうと、そのための規程が1998年にローマ会議で採択されました。
このように、「慰安婦」問題と旧ユーゴやルワンダなど現代の武力紛争下の女性への暴力のつながりが認識され、1997年に東京で開かれた「戦争と女性への暴力」国際会議(中略)では東京裁判で、なぜ「慰安婦」制度が取り上げられなかったのかが問題になり、戦時性暴力不処罰の克服が再発防止に必要だという結論に至りました。
ほぼ、同じ意味の文章だけど、
これまで戦時・性暴力はほとんど処罰されず、東京裁判でも「慰安婦」制度は戦争犯罪として裁かれませんでした。しかし、90年代前半、旧ユーゴやルワンダの内戦で国連が設けた国際戦犯法廷で強かんなどの性暴力が初めて裁かれ、責任者に有罪判決が出るようになりました。95年の北京世界女性会議の「行動綱領」には武力紛争下の強かんや性奴隷制などは女性への戦争犯罪であり、真相究明,被害者への補償、加害者の処罰をすべきだ」と明記されました。98年には国際刑事裁判所を設立する規定が採択され、女性への戦争犯罪を裁くことが盛り込まれました。続いて国連人権小委員会に提出されたマクドゥーガル報告には「戦時・性暴力の再発を防ぐために不処罰の循環を断ち切ろう」と「慰安婦」問題で国家補償と責任者の刑事責任追及を勧告しました。
これは、「2000年女性国際戦犯法廷」の意義のコンテンツで、『
戦時・性暴力不処罰の循環を断ち切るために』の文章。
補足3;
『
人類猫化計画』さんの2007年04月22日付エントリ『
アフリカの紛争と従軍慰安婦問題』より一部引用;
■2000年12月11日、私は東京・九段会館で開催された「現代の紛争下の女性に対する犯罪国際公聴会」に参加した。
(略)
■2000年の公聴会での証言の概略。
証言者(サバイバー)はブルンジの19歳の女子高校生。
私は「銀行と保険」について学ぶ高校生。99年12月、バス停に向かって歩いている途中、車に乗った若い屈強な男たち2人にいきなり車の中へ引きずり込まれた。彼らがフツ族の反乱軍であることはすぐにわかった。
私は薬をかがされ、気がつくと暗い藪の中を引きずられていた。私は大声で泣き叫び逃げ出したが、すぐに捕らえられて手足を4本の木に縛りつけられた。そして数日間にわたって、彼らをはじめ、そこにやって来た仲間の男たちから激しい性的暴行を受け続けた。
やがて彼らは政府軍のところに私を連れて行くから、どんな暴行を受けたか話してやれ。ただし自分たちの情報を一言でもしゃべったら家族全員を殺すと脅した。
彼らは私を政府軍に近い場所まで引っ張っていき、私は命じられるまま政府軍の兵士にこれまでのことを話して助けを求めた。
ところが彼らは反乱軍の情報よりも私の体に関心を持ち、反乱軍と同じようによってたかって私を強姦したのだ。
あげくに彼らは救出者の英雄きどりで私を病院に連れて行ったので、私は気も狂わんばかりの思いで病院を抜け出し家に戻った。
私は家族には何も話さなかった。そして妊娠している事実を知った。
姉の助けで堕胎し、ようやく家族にことの次第を話したが、結局理解してもらえなかった。
体も心も、私は打ちのめされている。あらゆる犯罪が私に対して犯された。家族にも拒絶され、この社会のどこにも私の居場所はない。
この国の中で戦っている片方のフツ族反乱軍に私は強姦され、それからもう片方のツチ族政府軍にも強姦された。
ではいったい誰が私のために戦い、私を救ってくれるというのだろうか。
(略)
戦争や紛争の中で敵からも味方からも暴行を受け続ける女たちや子供たちにとって「国家の正義」や「大儀」など存在しないし、そんなものは関係ない。ソマリアの証言者からは、国連平和維持部隊による性犯罪の報告もあった。(後略)
…「慰安婦」被害者への謝罪要求の背景にあるのは、こういった発想であり、経緯であるという、補足。
8月24日付のエントリで、
アムネスティインターナショナル・オーストラリアの7月18日付記事にあった「慰安婦」被害者、吉元玉(キル・ウォンオク)さんのメッセージを引用させていただいた。
「日本政府は、全ての『慰安婦』が死ねば、『慰安婦』は葬り去られ忘れ去られると考えています。しかし、そうはなりません。次の世代が知っている限り、忘れ去られることはないでしょう」
26日付で、また、「慰安婦」被害者の訃報がでていた。
韓国で「慰安婦」であったと公表している方の中では、存命被害者中、最高齢だった方だ。
OhmyNews 2008.08.26 13:38付、
『
생존자 중 최고령 위안부' 이옥금 할머니 별세 (『生存者中で最高齢慰安婦』 李玉琴(イ・オックム)ハルモニ死去』
以下、OhmyNewsより概略。
現在生存している「日本軍慰安婦」被害者中で最高齢だった、釜山在住の李玉琴(イ・オックム)ハルモニが23日夜、亡くなった。享年95歳。26日に韓国従軍慰安婦問題対策協議会が、23日の死去の報と、25日に出棺式を執り行った旨、公表した。
李玉琴さんの死去に伴って、「日本軍慰安婦」であった被害を公表している生存者は97人となり、90歳のハルモニが最高齢の被害者となった。
李さんは、これまで療養院で過ごしていた。釜山キュリン病院に用意された殯所は釜山地域で「慰安婦」被害者らを支援している「釜山市民会」所属ボランティアメンバーらによって守られ、葬儀は、李さんの甥が一人とボランティアメンバーらによって質素に執り行われた。
1914年生まれの李玉琴さんは、24歳の時に就職詐欺で日本軍に徴集され、台湾、マカオ、中国、ハイナン、ベトナムなどの地で「日本軍慰安婦」とされた。李さんは、解放後にも1ヶ所に定住できず、全国を転々としながら暮らしたという。
故人の情報を探していて、こんなWEBページに行き当たった。
『
韓国戦後補償速報 No.101 2004.10.31』
*「慰安婦」ハルモニたちの博物館建立基金寄付
日本軍「慰安婦」の被害者であるハルモニ2名が慰安婦の名誉回復のために博物館建立基金として2千万ウォン(約200万円)を寄付した。28日に、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)によれば、「慰安婦」の被害者である黄錦周(ファン・クムジュ、85)、李玉琴(イ・オックム、91)ハルモニは27日、日本大使館の前で開かれた水曜デモの後、「戦争と女性の人権博物館」の建立基金としてそれぞれ1千万ウォンずつを寄付した。黄ハルモニは19歳の時満州に連行され慰安婦生活をしたが、解放後に帰国し、「6.25」(朝鮮戦争)の際に避難する途中で出会った戦争孤児5名を引き取り、勉強させて全員を独立させた。戦後に登録した「慰安婦」被害者ハルモニのうち、最高齢である李ハルモニは最近少しずつ貯めた積立金を博物館建立費用に充てた。ハルモニたちは「私たちが生きている間に記念館が建立され、自分が生きてきたことが無駄ではなかったと確かめられることが最後の願い」だと話した。(10/28、連合ニュース)。
(略)
*日本の国民基金を拒否、フィリピン慰安婦訪韓
10 月20日、628回のソウル日本大使館前での「水曜デモ」には、遠くフィリピンから来たトマサ・サリノグ(76)ハルモニが参加した。14歳の時から故郷のフィリピンのパナイ島で「慰安婦」生活を強いられたサリノグさんは生存している200余名のフィリピン慰安婦ハルモニの中で唯一日本の「女性のためのアジア平和国民基金(国民基金)」を受けていないことで有名になった人物である。サリノグハルモニは日本政府の公式賠償金ではないという理由で基金を受けていない。サリノグさんはこの日、集会で「韓国の『慰安婦』ハルモニたちとともに日本の物質的誘惑を振り切った同志たちと韓国挺身隊問題対策協議会、日本カトリック正義平和委員会など、『慰安婦』問題をともに苦しみながら闘っている団体の力があれば誘惑を拒むことができる」、「日本政府は『慰安婦』問題を公式謝罪し、賠償金を支払わなければならない」と話した。(10/20、韓国日報)
*編集者注:現在までにフィリピンでは約450人の「慰安婦」被害者が名乗り出ており(300名以上が生存)、そのうちの200人前後が「国民基金」を受け取り、200名以上が受け取っていません。トマサさん以外にも「国民基金」に反対して受け取っていない被害者は多数います。
*軍隊慰安婦被害者の40%が死亡
日本軍「慰安婦」被害者ハルモニたちの40%がすでに高齢により息を引き取ったことが明らかになった。現在、韓国政府に登録されている軍隊慰安婦被害者は 215名であり、これらのうち今年に入ってだけで7名が亡くなったのをはじめ、現在までに全体の40%に当たる86名が亡くなったことが確認された。生存者129名のうちでも80歳以上の高齢者が60%の75名に達し、名誉回復と賠償などの解決策が急務であることが指摘された。(10/22、YTN)
…2004年時点の生存者が129人で、この時点でも名誉回復と賠償などの解決策が急務であると指摘されている。それからもう4年。知っている次の世代の一人として、忘れ去らせない為の、ほんの少しの力にぐらいはなれればいいのだけど。
李玉琴さんのご冥福をお祈りします。
ネットでニュースを見て回っていると、気になる単語が目に入ってきた。
毎日新聞 2008年8月25日11時22分付の、ある報道にあった「第三国定住」。
気になったので、報道をお持ち帰りしつつ、ひとまず調べた色々をメモ。
以下、引用。
政府は、紛争などで他国に逃れた難民が別の国に移住する「第三国定住」難民を受け入れることを決めた。(略)これまで日本はインドシナ難民を特例措置として受け入れた以外は、国外の難民の入国を拒んできた経緯があり、難民政策の転換と位置づけられそうだ。
第三国定住は、紛争などで自国に帰れない難民を、欧米などが中心となって安定した生活を送らせる手段。現在の出入国管理・難民認定法は難民認定の可否を日本国内で審査する形を取っており、国外で暮らす難民を受け入れる前提がない。第三国定住はこれと異なり、現在の生活地で行う面接などで審査できる。(略)
日本が受け入れれば、アジアで初の受け入れ国になる。(略)
政府が「第三国定住」の受け入れに乗り出した背景には、国際貢献の一環として難民の積極的受け入れを求める声の高まりがある。(後略)
…なるほど。
「安定した生活を送らせる手段」あたりの表現が気になるが、「国際貢献の一環として難民の積極的受け入れを求める声の高まり」に応じて、国連人権理事会の理事国たる日本は、難民になってしまった人達を受け容れる方針に切り替えたらしい。
しかし。
実は、この報道のタイトルはこんなだったりする。
『
ミャンマー難民:「第三国定住」の30人前後受け入れへ』
…略した箇所を中心に引用し直してみる。
(強調などは引用者による、以降も同じく)(略)
早ければ10年度にもタイで暮らすミャンマー難民を数家族・30人前後受け入れる。今後、ミャンマー難民の受け入れ数をさらに拡大するほか、ミャンマー以外にも対象を広げる方針。(略)
07年に日本政府に難民認定申請した816人のうち、約6割に当たる500人が軍事政権下のミャンマー人。第三国定住を認める対象としてミャンマー難民が選ばれたのは、日本に移住を希望する声が大きいことが背景にありそうだ。(中略)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、タイに逃れたミャンマー難民は国境付近の9カ所の難民キャンプで約14万人がいたが、第三国定住による移住者が6月までに3万人を超えた。このうち2万人以上を米国が受け入れたほか、オーストラリア、カナダにも移住している。(略)
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のまとめでは、先進諸国の07年の難民認定数は、米国1万7979人▽フランス1万2928人▽英国7866人などと比べ、日本は41人。内外の人権団体などからも「日本の取り組みは消極的」との批判は少なくない。
UNHCRへの拠出額をみれば、日本は米国に次いで2番目に多く、難民問題に理解がないという指摘は必ずしも当たらない。ただ、治安の悪化を懸念する向きもあり、積極的政策が取りづらい状況にあるのも事実だ。(後略)
………いろいろとクリアしないといけない難関があるだろうし、急激に沢山は無理なのはわかるが、30人というのは凄い。
関連報道を探すと、今日付で報じているのが毎日しか見当たらず、他には朝日が7月末に報じていた。
asahi.com 2008年7月24日3時6分付
『
難民「第三国定住」導入へ 10年度にも30人前後 (リンクが切れているので、
グーグルキャッシュより引用)』より、
(略)
日本は81年に国連の難民条約に加入したものの、受け入れ数は年間数人〜数十人程度。数万人単位で受け入れている欧米諸国などからは「難民支援にカネは出すがヒトは入れない」と批判されてきた。一方、第三国定住制度を導入している米国や欧州などの14カ国は07年、ミャンマー(ビルマ)やイラクなどからの難民約7万5千人を受け入れた。(略)
現在の難民認定制度は、すでに来日した人が認定を求めるために「不法滞在者らによる悪用」も多いとされ、認定されない割合も高い。これに対し、第三国定住制度は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が推薦する難民が対象で、日本としては難民認定の作業が容易になる。さらに、日本の担当者が現地に赴いて面接するため、財産もなく隣国に逃げて来て、審査のために来日するのが不可能な人たちを受け入れられる。(略)
関係省庁の中には、治安面から慎重な意見もあったが、少人数から試行的に始めることで基本的な合意に達した。(後略)
どうも、何か引っかかると思ってさらに調べる。
RAFIQ WEBSITE (在日難民との共生ネットワーク)の第三国定住関連のコーナーより。
(略)「難民とともに暮らせる街に」をテーマとして、難民支援活動を続けているRAFIQとしては、難民の受け入れが拡大することは非常に喜ばしいことです。
しかし、その受け入れ以前より、庇護を求めて来日し、難民申請をしている人たちにも同じように受け入れ、支援策を講じてほしいと思っています。
彼らについてはいまだに政府は答えを出しきっていません。19年度の難民認定者数は41人と相変わらず二桁前半の数字。
RAFIQの周りにいる難民申請者は一度は不認定され、異議申し立てをしている難民たちばかりです。
難民の「第三国定住」政策がどう向かうのか、しばらく様子を見つつ、日本にも難民申請者がいることを以前にもまして声をあげていかなければならないと思っています。
皆さまにも関心をお持ちくださり、この問題を注視してくださるようお願いします。(後略)
…ここに、朝日新聞の7月24日付報道の解説もあった。
このサイトは、ちょっと文章が分かり難いのだが、
現在の難民認定制度は、すでに来日した人が認定を求めるために「不法滞在者らによる悪用」も多いとされ、認定されない割合も高い。
については、来日した人が
実際は、難民認定制度を知らないで、正規のビザで入国しても、国に帰れないためにオーバーステイ状態になっている人たちが多いことや、難民認定制度を知ることができるのは、入管の窓口ではなく、支援者・支援団体やや収容された時に同室の人や面会に来た支援者によるものが多いのです。
そして、申請してから認定・不認定の結果が出るまでが長く、不認定の結果が出ても、国に帰れない状況は同じなので、異議申し立てや裁判が行われますが、その期間も長いのです(その期間は、法務省の言う「不法滞在」状態にあります)。それらに耐えうる人のみがようやく認定されたり、在留特別許可されたりする現状です。
長期間の不安定な立場で、難民自身の体の調子や、母国に残した家族の状況の変化に耐えられずに自主帰国する人も過去にはあったのは事実ですが、これを「不法滞在者らによる悪用」と政府が受け取っていることにもっと事実を言及してもらいたいと思います。
ということだった。
そして、さらに不思議な話もあったのでお持ち帰り。
「
YUZO'S PHOTO WORLD BLOG II」の2008年7月25日付「
<消えた「ミャンマー難民情勢」のページ>」。
外務省HPにあった、最後の更新日が「平成13年9月」だった「ミャンマー難民情勢」のページが、この時点で消えていたそうな。
そちらのブログ主さんが今年2月に保存して置いたという「平成13年9月」付の「ミャンマー難民情勢」を、主だったところを引用。
1.概観
ミャンマーでは、政府の民族政策及び、経済的苦境を原因として多くの難民が発生しています。ミャンマー東南部では少数民族であるカレン族と国軍の戦闘が続き、多くのカレン族難民がタイへ流出しています。また同時にミャンマー国内タイ国境地域においても、多くの国内避難民が存在していると見られます。一方、ミャンマー西部、バングラデシュ国境から、ロヒンギャ難民と呼ばれる人々が1991年から92年に大量に流出しました。その後ミャンマーへの帰還が進んだものの、依然としてバングラデシュには約21,600人のロヒンギャ難民が存在し、また約23万人の帰還民の再定住支援も重大な問題となっています。
2.難民発生の背景
(1) カレン難民の場合
ミャンマーは約135の民族からなる多民族国家であり、独立後、国軍と一部の少数民族の間で戦闘が続いていました。1980年代前半に国軍がカレン族居住地域に大攻勢をかけたことから、大量のカレン難民の発生が始まりました。1992年に軍事政権は少数民族武装勢力への攻撃を停止し多くの少数民族と停戦合意したものの、カレン民族同盟(KNU)とは停戦合意できませんでした。カレン族居住地域においては政府側による強制移住・強制労働が行われている模様で、現在もタイとの国境付近には多数の人々が避難生活をしており、今後もタイへの難民流出は続きそうです。
(2) ロヒンギャ難民の場合
旧英領時代に沢山のイスラム教徒たちが、ミャンマー西南部のラカイン州に移住しました。独立後、同国政府はこれらの人々を自国の民族として認めず、移動の自由について一定の制限を課しました。1978年3月に当時の社会主義政権が国境付近に居住する不法移民を排除するためと称して、大規模な住民調査を行った結果、22万5千人が処罰を恐れてバングラデシュへ避難しました。その後、国際社会の支援により、また両国政府の合意もあり、約18万人が帰還しました。しかし、1991年3月頃に再度バングラデシュへ25万人の難民が流出し、一時難民数は25万人を超えました。
…7年前の状況を公開しておけない事情が何か発生したのだろうか?
「
YUZO'S PHOTO WORLD BLOG II」のブログ主さんは在ビルマのフォトジャーナリストでいらっしゃるそうだ。ブログには長井健司さんの記事もあった。
その他メモっておく情報;
・
ビルマ情報ネットワーク、および
ビルマ問題入門。
・ヒューライツ大阪8月2日付、「
ミャンマーの人権問題に関するキンタナ特別報告者が、ミャンマー入り」
日本での報道が産経だけだったのであまり注目されていないが、昨年、2007年9月20日、オーストラリア上院で「慰安婦」に関する決議が採択されている。
これは、アメリカ下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会で採択された決議と違って謝罪や補償の要求はしていないが、『河野談話』が第二次世界大戦下での「強制的な性奴隷制システム(a coercive system of sexual slavery)について日本政府と日本軍の共謀を完全にまた公式に認めている」と明言しており、それが歴代日本政府と首相に継承されているものともはっきり言及した上で、被害者との更なる和解を促すものだ
(当ブログ2007/09/27付「オーストラリア上院「慰安婦」和解推奨決議、その後 」)。 この決議は、その前日、19日に野党である
労働党、そして少数派の緑の党&家族党が提出して与党保守連合に否決された「慰安婦」謝罪要求決議の
翌日提出されて、多数派の自由党連合によって支持されて採択された。
その後
2007年11月の総選挙で、ラッド氏率いる労働党が、保守連合に変わって与党となった。そして、ラッド首相は2008年2月13日、それまでの歴代オーストラリア政府が成し得なかった、
先住民であるアボリジニの人達への公式謝罪を行った。
そんなオーストラリアで、最近また『慰安婦』関連の話も動いている。
先だってトラックバックを頂いた「
Stiffmuscleの日記」さんの8月15日づけエントリ『
敗戦記念日の元「慰安婦」たちの声』や、当ブログでも8月18日付でアップしたエントリ「
8月13日に韓国で「慰安婦」被害者ハルモニ達が日本大使館前にて第826回目の水曜デモ 」でも触れたように、そのオーストラリアでキャンペーンが進行中だそうだ。
キャンペーンに先だって、アムネスティインターナショナル・オーストラリアのサイトで、7月18日付の記事として以下のものが上がっている。
『
Comfort Women: Waiting for justice after 62 years (『慰安婦』;62年を経て正義を待ち続けている』
この記事は、「慰安婦」被害者、吉元玉(キル・ウォンオク)さんのメッセージで始まる。
「日本政府は、全ての『慰安婦』が死ねば、『慰安婦』は葬り去られ忘れ去られると考えています。しかし、そうはなりません。次の世代が知っている限り、忘れ去られることはないでしょう」
続けて、日本軍「慰安婦」問題を以下のようにまとめている;
・「従軍慰安婦」として知られている何千もの女性が、第二次世界大戦時およびその前後、日本政府によって軍隊のための奴隷状態を強制された。
・後に「軍用性奴隷制度」として知られるようになった制度化で、女性たちは誘拐され、暴力を受け、強姦され、性的サービスを日本軍に提供することを強いられた。
・「20世紀における人身売買の事件のうち、最大規模の一つ」と記述されてきた事件の中で、「従軍慰安婦」は著しく、かつ反復的な人権侵害(性的暴行、輪姦と強制的妊娠中絶など)を受けた。
・日本政府は、この被害者が20万人にもおよぶと考えられている性奴隷制度の詳細を、完全に明らかにしようとはしていない。
・日本政府は、これら犯罪について、公式に認定することと責任を負うことを拒否し続けている。
と、読んできて、これが、現在、可決が検討されているフィリピンの決議;Resolution 124を採択するように外交問題委員会の委員長;Antonio V. Cuenco氏へ、要請メールを送ることを勧めているものだったりして驚いたのだが(何故、フィリピン(^^;)。
アムネスティインターナショナル・オーストラリアが、フィリピン宛の要請メールを勧めている不思議はともかく。
アムネスティインターナショナル・オーストラリアも後押ししている、日本軍『慰安婦』謝罪要求決議案をオーストラリアでも採択するように働きかけるため、12日から16日まで開催されたキャンペーンの詳報が、韓国語紙で出ていた。
コリアポスト 在外同胞のコーナーで 2008-08-23付、
『
호주 멜버른서 위안부 관련 평화시위 (オーストラリア メルボルンで「慰安婦」関連平和デモ)』
日本軍『慰安婦』被害者の吉元玉(キル・ウォンオク)ハルモニと、韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)ユン・ミヒャン常任代表は、13日にメルボルンに到着し、オーストラリア連邦議会の『慰安婦』関連決議案採択のためのキャンペーンを行った。
キルさんは、この日の夕方、メルボルンのモナシュ大学(Monash University)で「『慰安婦』;その記憶と正義」と題された証言集会に参加し、オーストラリア在住の『慰安婦』被害者であるジャン・ラフ・オヘルネさんとともに辛い記憶を語った後に、日本政府による公式謝罪を促したと、「Friends of Comfort Women Australia」アンナ・ソン代表が伝えた。
昨年3月、シドニーで開かれた初の「慰安婦」問題水曜集会に、台湾「被害者」と友に参加したキルさんは、1年あまりぶりに再開したオヘルネさんと嬉しそうに挨拶を交わしていた。
キルさんと、挺身隊対策協ユン代表、そして、挺身隊対策協法律専門委員のチョ・シヒョン 檀国大教授は、14日の夕方にはメルボルン ロースクールで、「慰安婦」に対する日本人の見解と国連次元での慰安婦関連活動を紹介する行事にも参加した。キルおばあさんは引き続き、光復(解放)63周年の15日正午に、メルボルン シティ広場での「慰安婦:のための国際連帯活動のための平和デモにも参加した。この行事は、オーストラリア社会の意識に「慰安婦」に関する問題提起を行って、連邦議会の決議案採択を促すロビー活動の一環だ。
キルさんと挺身隊対策協関係者たちは、引き続き16日昼間に、シドニー在住韓国人コミュニティで今回の活動に対して懇談会をもち、夕方には韓国人会館で開かれる「戦争と女性人権博物館」建設基金を用意するための集会にも参加する。
…凄い強行軍。
なのはともかく、今後、オーストラリア議会の動きも気をつけてみておかねば。
つい、この前、ネットでの縁は選択縁の最たるものだといった主旨の発言をした。
当然、血縁ではない。もちろん、地縁でもない。これらの(大抵の場合はほとんど)選択のできない縁とは違う、自ら選んだ縁だ。
インターネットを介して、アメリカにいる人やオーストラリアにいる人と話すこともできるが、わざわざ話しかけるのだから、この人と話すことができれば面白そうという動機があるからこそ話しかける。そして、継続して話しかけに赴いて、友人と名乗らせてもらっても差し支えなさそうな関係を築くこともある。
そんな経緯をたくさん経て、あらたに話が合う人と出会うこともある。
あるいは、話が合うと思っていた人の、自分自身の価値観に照らして否定的に評価せざるをえない発言や、不信感をもってしまう振る舞いを見ることもある。その結果、友人と考えて差し支えなかったはずの交友関係が疎遠になることもある。
これは、リアルの友人にだって、しばしば起こることだろう。ましてや、それよりもか細い、ネットの回線を通じた選択縁である交友関係なら、いわずもがな。
では、自分自身の価値観に照らして否定的に評価せざるをえない発言や、不信感をもってしまう振る舞いを見ても、交流を疎遠にせず、我慢すべきなのか?
他の人の価値観は知らないが、私はそうは考えない。初等教育や中等教育で同じような国語教育を受けているらしい者同志といったって、言葉が伝わらない事などざらにある。ネットでの交友関係ならば余計、よって立つ基盤が違うもの同志が出会っているのだから、考えの基本が違っているのは当たり前。同じ言葉でも違ったニュアンスで受け取ってしまうことも当たり前。ましてや、話がすれ違いだしたら。。。
ならば、無理に交流して互いに不快になることはない筈だ。場合によっては、すれ違いの経緯で、言葉の暴力が発生する場合だってあるのだ。一方が暴力的と受け取る事態が生じるのなら、交流を避ける事は危機管理の側面をももつ。
こうして交友関係があった物同士が疎遠になった場合、その双方と交友のある人にとって肯定的に受け取れられる状態ではないだろう。
でも、その疎遠な状態を公に批判する事は、お互いに交友すべきであるという意思の表明として作用しかねない。ましてや、その批判に「袂を別って分断されていくことをよしとする」「勢力と闘う上での利敵行為じゃないのか、という提起」といった強い意味をもつ言葉を使って批判するなら。
「袂を別って分断されていくことをよしとする」事に対して批判的であると読み取れる意見を表明した人がいる。
その人に「
『連帯』を至上命題とすることは、(略)異論や批判を封殺する方向に働きがちです。私はその方をむしろ懸念します。(略)なぜそれほどまでに、批判や対立を問題視されるのか」と尋ねた人がいる。
答として「基本的な方向性を同じくする同志が啀み合って内ゲバに力を割いてどうするのか、それは、自由と民主主義を骨抜きにしようという勢力と闘う上での利敵行為じゃないのか、という提起であって、プライオリティの問題」との返答だった。
(質問した方が「議論するつもりはない」としながら、自ブログに記した見解は18日付のこちらと20日付のこちら) そこで別の人が、『では、
ある人物に対して、その振る舞いに不信感をもったから係わり合いになるのはよそうと判断した。これは「利敵行為」なのか』と質問を重ねた。
そしてあがったのが『
「排除の論理」に与したくない』と題されたエントリだった。
係わり合いにならないようにしようという判断が利敵行為か否かという質問の後、直接のコメントレスポンスがなく、排除の論理に与したくないというタイトルと論旨の文章が公開されている。
「係わり合いにならない」=「排除」という図式は容易に成立するが、「係わり合いに
なる」=「排除」という図式が成立するとは考えにくい。
上記の質問者の振る舞いを利敵行為であると指摘しているのだろうか?
このやりとりが、私にとって気になる理由は、大きくは二つある。
上述の『
振る舞いに不信感をもったから係わり合いにならないように判断された人物』は、私自身も同時期に
係わり合いを避けた人物であることが第1点。そしてもう一点。その頃以降、『
「排除の論理」に与したくない』人自身が
交流していない様子だからだ。
どう受け取ればいいのかと困惑してしまったのだが、まさか、自身もしていることをすべきでないという意図の文章というわけではないだろう。係わり合いを避けた方がいいと判断した人物を避けることは、「排除の論理」やら「全否定」といった大きな話ではなく、単に、話が合う人と話をしたい、話しているとぶつかってしまう相手は避けようという、卑近な話に過ぎないのだから。
ぶつからずに話の合う人と話をしたい、それだけの話だと了承してほしい。
もちろん、私だって(恐らくは私と交流のある人達も)、他の誰が誰と交流しようが口出しをすることは
(超弩級のよほどとんでもなく重い理由がない限り)無い。それを心配しているのなら、そんな心配は必要ない。それぞれの人が話が通じやすい人と話をすればいいだけのことなのだから。
「それはそれ、これはこれ」として?
だが、どれがそれで、どれがこれかは、常に誰にとっても自明で共通のことではない。
一般論として「それはそれ、これはこれ」といった文章を表現することもあるだろう。
しかし、それはそれ、これはこれって、実際に起こった場合でそれぞれ、関係したもの同士で確認しあうものじゃないのか。アメリカ政府が、米軍兵士犯罪はそれはそれで、基地外居住はこれはこれ、とか言い出したら、私はちょっと待てと思うし。
「それはそれ、これはこれ」であっても、どれがそれで、どれがこれかは、個人の主観によって切り分けられる。ある個人のそれこれの切り分け基準が、他の個人に共有されていなくても、そんなの仕方なかろう。
トラックバックは送らないから、レスポンスはいらないよ?
あなたの選択にも、交友関係にも口出しする気はない。

「慰安婦」問題に関心をもって、関連情報を集めるようになって以来、その他の問題も目につくようになった。この方面の問題は、あまりにも未解決のまま放置されているものが多いが、その事実から目を逸らすわけにもいかないだろう。
この社説も、これは持ち帰って記憶しておきたくなったので、いくつかの自動翻訳サイトの仕事を併せてつじつまを合わせ、日本語として調整した意訳なので、誤訳はあり得るのは承知で保存。
ハンキョレ新聞 2008-08-19 08:57:29付、キム・ヒョスン論説委員によるコラムより、
『
[김효순칼럼] 시베리아 억류와 정부의 무관심 ([キム・ヒョスンコラム] シベリア抑留と政府の無関心)』
日帝から解放されて63年が過ぎても心に解放感がわかないが、これは日帝支配下で刻まれた傷が未だに癒えていないためだろう。被害者らが求めるような十分な戦後補償が行われた例はない。多様な被害事例の中で、比較的時期的に遅く知られるようになったのは、「軍慰安婦」問題だ。これは、性的暴行を含む奴隷労働という問題の性格上、被害者らが前面に出て真相究明と賠償を要求しづらかったためだろう。「軍慰安婦」被害者であったお婆さん達が名乗り出て、蛮行を告発しはじめることができたのは、ようやく、90年代のことだ。
一方、朝鮮人シベリア抑留問題は、被害者らの痛みが今でも続いているという点で、我々の現代史の悲劇と矛盾を圧縮して見せる事件だ。それなのに、少数の研究者や支援活動家を覗き、被害者らの辛酸極まりない人生経験を知っている人の方が珍しい。このような背景には、外部的要因も一役かっている。ソ連時代には、戦争捕虜抑留はスターリンの極秘指示に従った措置であったため、ゴルバチョフの改革・解放政策で関連した非公開文書類が公開されるまでは、極秘事項だった。ロシア指導部が、深刻な人権蹂躙を認め、日本に謝罪意思を表明したのは、93年、ボリス・エリツィン大統領が初めてだ。
日本の指導層らは、60万を超える「天皇の軍隊」が捕虜となって長期間抑留されたことが問題化することを避けてきた。自国被害者たちの補償要求に対する対応を誤れば、植民地支配と侵略戦争による被害者への補償要求を巧みに回避してきた戦後日本政府の政策基調が根底から覆されるという恐れもあったからだ。
ならば、侵略戦争の当事国ではなく、加害者でもない我々の社会で、公の議論がほとんどなされてこなかった理由はなんだろう? 答は簡単だ。48年の政府樹立以降、我々の社会がさまざまな部分で成し遂げた輝かしい成果にもかかわらず、日帝時代の清算と分断状況の克服という根本課題を、我々は主体的にやり遂げることができなかったためだ。
被害者らは、1990年の韓ソ国交回復以後、青瓦台(大統領府)や外務省などに陳情書を送り、補償解決を促したが反応は冷たかった。被害者らの集まりである朔風会のイ・ビョンジュ会長は、我々の政府には期待できないと激しい感情を隠さなかった。筆者が一度面会して過去の体験を聞きたいと電話した抑留被害者の一人は、「私の人生は全て壊れた。これから話をしたところで何か意味があるのか?」と、筆者に問い返した。彼は、我々の政府はもちろん、アメリカ、日本、ロシア政府どこも信じられないと、強い不信を顕わにした。
実際に、シベリア抑留者の補償問題が、韓日間や韓露間の外交当局者の会談で真剣に議論されたことはない。
日本で戦後補償運動に幅広く関与している、戦後補償ネットワーク代表アリミス ゲン有光健(*)氏は、韓国政府の消極的姿勢は理解しがたいと語った。韓国政府が、機会があるごとにロシアと日本政府に抑留被害者らの補償問題が未解決で残っていると想起させてこそ、日本人活動家らも日本政府に誠意ある対応を促せるのに残念だと言うことだ。我々の政府によって、抑留問題についての調査が遂行されたのは唯一「日帝強制占領下強制動員被害真相究明委」のみだ。朔風会代表が2005年2月に被害事例を受付したのに、便乗したのだ。
実情がこうであるのに、このところの親日政策は過去回帰的発想であり、8・15を建国節に変えなければならないという主張がイ・ミョンバク政府とニューライトらの間に強まっている。
被害者達には余命はそうは残されていない。これでは、被害者らが歴史の中に跡形もなく綺麗に消え去ることだけを待っている日本の右翼とどこが違うのか、分からない
いろんな意味で凹む社説ではあるが、とりわけ。
…最後の1行が。。。
すでに「日本の右翼」像が確立しているようなのも、あれだな…orz
「朝鮮人シベリア抑留問題」については、日本のWEBサイトを探しても、あまり情報は得られなかった。
以下、ほぼ唯一見つけた『
在韓軍人軍属裁判を支援する会』の、『
シベリア抑留とは?』冒頭から。
第2次大戦後、旧ソ連によってシベリアに抑留された人は旧日本軍兵士、民間人も含めて約63万人余。極寒・飢餓・重労働の「三重苦」の中で約6万4千人もの人が死亡したと言われている。そのような人々の中に、朝鮮半島出身者が含まれていたことを私たちは忘れてはいけない。
8月15日、天皇の無条件降伏で、日本の侵略戦争の幕は閉じられた。ポツダム宣言に基づき日本軍の武装解除が始まり、南方の戦線に配属されていた多くの軍人軍属の帰還手続きが進む一方、満州に駐屯していた関東軍60万人はシベリアへ連行された。その中には3500人もの朝鮮半島出身者も含まれていた。
原告・李炳柱(イ・ビョンジュ)さん(韓国シベリア朔風会会長 )の発言
関東軍60万の内、韓国人は3500名いました。日本人司令官が良心的な場合は、日本軍の無条件降伏の際に、「半島出身は日本軍人じゃないから早く家に帰れ」と言われ、祖国に帰りました。
にもかかわらず、植民地支配の甘さを忘れる事のできない一部の悪辣な部隊長は、われわれを国籍日本で、創氏改名された日本名で名簿を作りました。それで、日本人となってソ連側にわたされたわけです。最初の年の1945年冬に死んだ人が6万数千名いました。その中に韓国人1200名もいました。(後略)
韓国紙社説で言及があった、日本政府による自国のシベリア抑留者に対する対応について;
『
Apes! Not Monkeys! はてな別館』さんの2006-12-27付記事で『
[戦争犯罪]シベリア抑留、引き上げ終了から50周年(追記あり)』より一部お借りします、
保守・右派陣営は戦没者の顕彰には熱心だが、生き残った戦争の犠牲者に対して極めて冷淡であることは、被爆者掩護や中国残留孤児のみならず、シベリア抑留の生存者への対応にも現われていると言えよう。
(中略)
12月7日の毎日新聞(Mainichi Interactive)より。
シベリア抑留者:補償また絶望的 特別給付の野党案否決
旧ソ連のシベリアなどに戦後抑留され強制労働させられた旧日本兵たちが求めていた未払い賃金は、補償されないことがほぼ確実になった。7日の衆院総務委員会で、抑留期間に応じ特別給付金を支給するとした野党3党提出の法案が否決されたためだ。「国のために戦ったのに、見捨てられたまま死んでいくのか」。抑留経験者らからは落胆の声が上がった。
民主、共産、社民の野党案は、1人当たり30万〜200万円を支給する内容だった。一方、補償はせず、10万円の旅行券の支給を想定した慰労品贈呈の与党案は、この日の委員会で可決され、今国会で成立する公算が大きくなった。
(…)
旅行券!
…はぁ〜orz
*、
コメント欄でApemanさんに御教授いただき、修正しました。どうもありがとうございました。
コメント欄で御教授いただいた情報を、エントリ中にも転載しておきます。
御教授ありがとうございました。
・2004年5月7日(金)「しんぶん赤旗」より、『
日韓元シベリア抑留者が座込み 未払い賃金解決求める』
日韓の元シベリア抑留者が未払い賃金問題解決を求めて六日、国会前で座り込みを行いました。(中略)韓国と日本の代表は今回初めて衆参両院議長あてに「シベリア抑留問題の早期解決を求める要請書」を提出。参院議長や衆院副議長からは「与野党ともに何らかの答えをださなければいけない」などと、以前より前向きの反応がありました。(後略)
・『
真実を知りたい』さんの2008/03/02付エントリ『
樺太 棄民 朝鮮人の証言』の冒頭より、
極寒の地”樺太”(現サハリン)で6万から7万といわれる朝鮮人が炭砿や軍事施設、道路建設などの過酷な労働を強いられた。そして、皇国臣民として強制連行された多くの人たちが、日本の敗戦とともに「あなた方は日本人ではないので、引き揚げの対象ではない」と帰国の機会を与えられなかった。(中略)4万3000人の朝鮮人は千人弱が引き揚げたのみで、サハリンに置き去りにされたのである。
私の友人で猫と暮らしている面々には複数飼いのケースが多く、中には猫は3匹以上飼わなくちゃとか無茶を言い出すのはいるし、5匹の猫と暮らしている猛者もいる。私自身は歴代4匹(3匹は健在)の猫と暮らしたことがあり、大学時代には半のらの猫多数とつきあった経験もある。また、猫掲示板での話を見たりの機会もそれなりにあるのだが、それらの経験や体験談の多くでは、猫の女の子はマイペースでクール、男の子は甘ったれという意見ばかりが目に(耳に)つく。
この意見は大抵一致しているので、そういうものかとは思いつつ、ジェンダーバイアスによる先入観が関係する「認知的不協和」なんてあったりもするのかな?とは思うが、全体的な傾向としてそれが本当であっても、実際に「うちの子」になる特別な一匹が当てはまるかどうかは分かったもんじゃない訳では、ある。
そういう、なぜか一致している多数意見に逆らう猫は、現在の我が家にも一匹いる。
さて、一方、話が飛ぶようではあるが、私のPCの嗜好は、なぜかひたすらノート型派である。ノート型はどこにでもおける(?)し、好きな姿勢で使えるのが魅力で、自宅では膝の上に乗せて使っている場合もよくある。そして、膝の上に愛用のMacBookを乗せて使っていると。。。
MacBookの向こうに怪しい影
(影でもないが(^^;)無言であっても賜った御下命に応じるのは、猫様にお仕えする身では義務だろう
(そこはかとなく、選択する単語その他を間違えている気がする(^^;)
でも、できましたら、ケーブルの上でのたうち回るのは止めていただけますと有り難いのですが
(やっぱり、選択する単語その他を間違えてる気がする(^^;)
あのー(^^;だからといって、capsキーを押してのお手伝いは、辞退させていただきたいのですが。
もしもーし?…あーのー。すみませんが、リターンキーを押すの も、自力でさせていただきたいと希望しています。
きゃー、怖い顔。すみませんっ。お気を悪くなさいましたでしょうか?!
…という様に、うちのお嬢様は、(多分)猫的には女の子離れした、ものすごいストーニャーなのであった。
それにしても、やりたい放題ってか、好き放題にやられっぱなしだ(^^;;;;;
リクエストがあったので、追加。
6/23付のエントリの画像とそっくりだが、間違いなく別の日に撮影した画像である(^^;
フィリピンの「慰安婦」被害者ロラ達の日本大使館前抗議デモ報道のメモに続いて、韓国での抗議活動もメモ。しかし、これに関しては、オーマイニュースでしか見当たらず。オーマイニュースの記事中でも「日本に謝罪要求さえしない韓国政府の覚醒を促す」アクションについて言及があるし、彼の地でも関心が薄れているのかと心配ではある。
OhmyNews 2008.08.15 12:29 付より、
『
해방 63주년, 진정한 해방을 꿈꾸다 (解放63周年、真の解放を夢見る)』
サブタイトルに、「세계를 달군 함성- 일본군'위안부' 문제를 해결하라! (世界に響く叫び「日本軍『慰安婦』問題を解決しろ!」)」
…これは、自動翻訳からの超意訳での覚え書きであるのはいつもの通り。
解放63周年
半世紀以上前に光復=解放されたという意味なのに、今もまだ解放を夢見る人達がいる。日本軍『慰安婦』被害者らだ。日本軍『慰安婦』問題解決のための826回目の水曜デモは、解放63周年を迎えて、世界各国で同時に連帯集会が開催された。
13日の水曜日正午
駐韓日本大使館に集まった人達の手には、暑さとともに女性への暴力を吹き飛ばす為の団扇とともに、解放を夢見て高く飛び立つ紫色の風船が持たれていた。休みに入って、水曜デモに参加した学生達の活気に満ちたざわめきの中で始まった集会は、1時間あまりの間、日本軍『慰安婦』被害者らの真の解放と「MV OUT!」を訴えて進行された。
MV OUT
このスローガンは軍国主義と女性への暴力(Militarism and Violence against women)を、まさにアウトさせてしまうという意志を示しながら、日本に謝罪要求さえしない韓国政府の覚醒を促す隠喩的意味ももつ。幼かった少女らを戦場の性的奴隷に徴募した軍国主義が、今現在もまた、他の名前の『慰安婦』を作り出している現実の中、女性への暴力の阻止を叫ぶ参加者らの声は、彼らの背中に照りつける日差しよりも熱かった。
ソウルの日本大使館前で、このように熱い集会が催されている同時期、世界各国で日本軍「慰安婦」問題を叫ぶ声が噴出していた。
シドニーに赴いた、吉元玉(キル・ウォンオク)ハルモニは、オーストラリアの大学生や現地の市民に向けて勇気ある証言を行い、去年のアメリカ・オランダ・カナダ・欧州連合で採択された日本軍『慰安婦』問題の謝罪要求決議案を、オーストラリアでも採択するよう働きかけを継続した。12日から16日までオーストラリアで開催されるキャンペーンは、吉元玉さんが、オーストラリア在住のオランダ人被害者であるであるジャン・ラフ・オヘルネさんと共に、挺身隊対策協のユン・ミヒャン代表をはじめ、アムネスティ・インターナショナル・オーストラリア支部、日本平和女性集会、あるいは在オーストラリア韓国人コミュニティ(この辺の訳、怪しいです)が力を合わせて、メルボルン市庁広場での連帯集会や、モネシュ大学でのセミナー、戦争と女性人権博物館建設後援イベント、あるいは、オーストラリア議員らを対象としたロビー活動を展開する。
ヨーロッパでは「プロジェクト700」と銘打って集まった在独韓国人同胞らと女性たちが、ベルリン中心街で黒い服とプラカードを持って日本軍『慰安婦』問題解決を要求する沈黙デモを行ったし、アムネスティ・インターナショナル・イギリス支部の主催でロンドンでもキャンペーンが開催された。
アジア被害国の連帯はより一層熱く、フィリピンとインドネシア、台湾などで集会や多彩な文化行事が開催された。特に台湾では、伝統追慕儀式の「Pudu」を通じて、日本軍『慰安婦』犠牲者らを追慕する灯籠を灯し、参加者らの要求や追悼の言葉を記して浮かべる行事を行った。
日本ではより一層、特別な蝋燭集会が開催された。10日の夕方、500人あまりの参加者らが集まった、靖国反対のための集会に引き続いて、蝋燭の灯火をもって後進しながら、日本軍『慰安婦』問題解決のスローガンを叫んだ。日本人参加者の話によると、幸い、過激な右翼は現れなかったが、1時間あまり反対意見をのべつづける男性や、慰安婦問題と北朝鮮の日本人拉致問題を連動させるべきと言う意見を提示していった人はいたそうだ。13日には、東京と福岡、大阪でも連帯集会が開かれ、日本市民らの良心と人権侵害への警戒心を覚醒させる、小さいが力強い叫びが連鎖した。
解放から63年。真の解放を迎えることができないのは、日本軍『慰安婦』被害者だけではないだろう。さまざまな収奪と圧政の下に倒れざるを得なかったこの地の民衆と犠牲者ら、そして相変わらず軍国主義と帝国主義に蹂躙される女性や弱者らも、同様に、真の解放へ羽ばたける瞬間を待っている。
この記事には写真が二枚、ついている。
1枚目の写真には「日本大使館前、世界連帯水曜集会参加者らが、日本軍『慰安婦』らの真の解放を祈って風船を飛ばしている」との説明。紫色の風船が飛んでいく写真だ。
もう1枚は「オーストラリア・モネシュ大学のセミナー。『日本軍"慰安婦"記憶と正義』と題されたセミナーで、大学生や市民らに向かって証言する吉元玉さん」の写真。
関連;
「
Stiffmuscleの日記」さんの2008-08-17付エントリ;『
敗戦記念日の元「慰安婦」たちの声』。
August 15, 2008付の『LIVENEWS, Australia 『
WWII sex slaves demand apology from Japan 』(ジャン・ラフ・オヘルネさんと吉元玉さんによる、オーストラリアでの「慰安婦」問題解決アクションの報道)の紹介。
台湾の「慰安婦」被害者阿嬤達の抗議書手渡しに続けて、フィリピンの「慰安婦」被害者ロラ達の抗議アクションをエントリに、と思っていたら、「
Stiffmuscleの日記」さんから、The Associated Press August 15, 2008 付の『
Filipino women seek Japan's apology for WWII rapes』の訳を含むエントリ、『
敗戦記念日の元「慰安婦」たちの声』をトラックバックいただきました。
ありがとうございました。
で、リンクを貼って紹介だけにしようかと思ったら、
なぜか、英語版AP電記事より、連合ニュース経由の韓国語版記事(ネタもとはAP電)は微妙に違う記述もあるような?
そこで、そのマニラ AP=連合ニュース配信の毎日経済 2008.08.15 17:49:35付「
比 위안부들, 자국 日대사관 앞 시위 (フィリピン「慰安婦」ら、日本大使館前でデモ)」と、これまたネタ元AP電っぽいニューシース 2008.07.25 14:48:26 付「
위안부 끌려갔던 필리핀 여성들, 日 대사관 앞에서 시위 (「慰安婦」として徴集されたフィリピン女性ら、日本大使館前でデモ)」と、
Stiffmuscleさんのエントリを併せて、以下にまとめ。
63回目になる日本の敗戦記念日の15日、フィリピン、マニラの駐在日本大使館の前で、「日本軍慰安婦」だったフィリピン女性20人あまりと支持者達が、第二次世界大戦当時に「日本軍慰安婦」として連行され強姦にあうなどの性奴隷生活を強いられた蛮行に対する明確な謝罪と賠償を要求するデモを行った。
日本は、第二次世界大戦当時の自国軍隊が、アジア女性たちを売春施設に動員し、強制売春させた事実は認めているし、日本指導層はこれに対する謝罪は行っている。
しかし、昨年、安倍晋三前総理の発言が、生存『慰安婦』被害者たちの憤りを噴出させた。安倍首相(当時)が「日本軍が、第二次世界大戦中に、慰安婦を連行した事実を証明する証拠はない」と発言した事が、「慰安婦」被害者の心を再度傷つけたのだ。
アメリカ下院と、オランダ、カナダ議会が、日本政府に『慰安婦』被害者たちへの謝罪を要求したが、日本はこれを拒否した。
フィリピンの「軍慰安婦」支援団体であるリラ・フィリピーナ事務総長のレチルダ・エクストレマデューラ氏は、この日、「日本政府は『軍慰安婦』被害者たちに、公式謝罪をしなけらばならないし、被害女性たちが強制されて『軍慰安婦』として性奴隷制度下に置かれた経緯を、自国の歴史として認識しなければならない」と要求した。エクストレマデューラ事務総長は、また、「『軍慰安婦』を動員したことは戦争犯罪なのに、日本政府はとぼけている」と責めた。
リラ・フィリピーナに登録されているフィリピン籍の「軍慰安婦」被害女性は174名で、この内、生存者は100名だ。エクストレマデューラ事務総長は「『慰安婦』労働を強要する行為は戦争犯罪」と述べながら、「しかし、日本政府はこの事実を黙殺しようとしている』と非難した。
バージニア・ビラルマさん(79)は、1943年から1944年の間、日本軍「慰安婦」として徴集されたと語った。ビラルマさんは、「私たちは、日本軍が私たちにした仕打ちを忘れられません。今でもまだ、あの時の記憶が、私の心には傷として残っている」と語った。
マニラの日本大使館は、その場での対応は拒否して質問等をメールするよう求めたのみで、この日、これという反応は見せなかった。
日本は「慰安婦」被害者達に対する個人補償の要求は拒絶しているし、日本の裁判所も「慰安婦」被害女性ら6名が提出した訴状は受け容れなかった。
この日のデモでは、日本政府だけではなくフィリピン政府に対する批判も出た。フィリピン左派女性団体であるガブリエル党は「フィリピン政府は、日本の謝罪を引き出すための何らの行動もしていない」と政府に対しても、非難の刃をつきつけた。
もう一件。
Philippine Daily Inquire, 01:18:00 08/17/2008「
63 years after WWII, ‘comfort women’ await justice (第二次世界大戦から63年後、「慰安婦」らは正義を待ち続ける)」から一部、
「戦争は半世紀以上前に終わったかもしれません。でもロラ(お婆さん)の多くにとっては何も変わっていない。彼女らは、戦争中に暴力を受け、虐待を受けた。そして、今に至るまで彼女らは日本による絶え間ない正義を否定する態度や、フィリピン政府が問題に沈黙し続けることによって苦痛を強いられている。」と、リラ・フィリピーナ事務総長のレチルダ・エクストレマデューラ氏は語る。
リラ・フィリピーナは、「日本軍慰安婦」の生存者の支援団体で、15日、日本大使館前でデモを行った。
エクストレマデューラ事務総長は、「他国は『慰安婦』被害者の闘いを支援するのに、我々の政府は日本政府に対して弱腰なのが残念だ」「アメリカ、カナダ、オランダ、EUのように、多くの国がアジアの『軍慰安婦』のための正義を支持する決議を可決した」「日本の議会さえ、宝塚や清瀬の市議会のように『軍慰安婦』にたいする支持を宣言している」と語った。
ガブリエラ党のスポークスマン、ジョムス・サルバドルによると、「日本政府に公式謝罪と『慰安婦』に対する責任を認めるよう求める下院決議案」があるが、4月から棚上げにされているとのことだ。(後略)
…その他、決議を棚上げにするアロヨ政権は困ったものだ、とか、第二次世界大戦敗戦後に軍国主義を放棄したはずなのに再軍備している日本は約束を破っている「Japan broke its promise」、この日本の方向性では「慰安婦」の悲劇が繰り返されるのではといった懸念が述べられているようだった。
やや遅ればせながら、8月15日やその前に、各国で『慰安婦』問題解決を求めるアクションがあったので集めて保存。
日本(政府)が、抗議を受けている立場だって事は、人目につくところにメモしておこうか、と。
まず、台湾で。
自由時報 大台北新聞 2008.08.14付より、
「
慰安婦阿嬤 向日遞交抗議信 (「慰安婦」阿嬤(=おばあさん)日本に向けて抗議の手紙)」
…例によって自動翻訳の手直しで、超意訳にして保存だけど、今回の自動翻訳は、これまでのと違ってえらく妙な訳を返してくる。どうも、自動翻訳は北京語対応で、広東語だとつらい、とかそういうことらしい。というわけで、意訳の要素が非常に強いので念のため。
明日は、第二次世界大戦における侵略国の一つ、日本が投降した63周年にあたる。この日、韓国、フィリピン、アメリカ、ドイツなどの人権団体が「慰安婦」運動を開催するが、我が国では婦女救援基金會などの婦人権利団体が支援して「中元慰安祭」を同時開催する。
13日には、日本交流協會前で、老齢の台湾籍「慰安婦」被害者に同行した百人近い参加者が「日本は謝罪して、私の尊厳を還せ」とスローガンを叫び、日本交流協會職員に日本政府が早急に正式謝罪と賠償するよう求める抗議書を手渡した。
日本交流協會で接見した人物は、抗議書を受け取ると、即座に立ち去った。
婦團與民進黨(党)の立法委員である黄淑英らは、立法院が「日本が一刻も早くに、『慰安婦』問題を解決し、被害者に賠償し、戦争責任を負い、被害者の名誉を回復するよう求める」決議を、一會期中に提案し通過させ、日本政府に圧力を加えると語った。
その他;
中央廣播電台_新聞 2008/08/13 付より、
『
要求道歉、賠償 慰安婦阿嬤到日本交流協會抗議 (謝罪・賠償を求めて、「慰安婦」阿嬤(=おばあさん)日本交流会館に抗議)』
…この記事は、本気でさっぱり、自動翻訳が歯が立たない(^^;
Radio Taiwan International 2008/08/13 付より、
『
Comfort women demand apology from Japan (「慰安婦」日本に向けて謝罪を要求)』
…URLをみると、中央廣播電台と同じ組織らしい。
英文を補助に併せて解読して、一部、日本語にしてメモ。
日本交流協會では、末端の職員を接見させ、阿嬷らの抗議書を受け取った。
抗議に出向いた活動的な阿嬤の一人、鄭陳桃(Cheng Chen-tao)さんは今年すでに86歳。彼女はインドの安達曼群島( the Andaman Islands)で、三年間、日本軍「慰安婦」とされた。彼女は今日、日本に抗議するに当たって「完全に見えない、聞こえないふりを装って、私たちに取り合おうとしない」と語った。
婦女救援基金會の集計によると、過去の1年で4名の台湾籍「慰安婦」被害者が世を去り、現在20名ほどが生存するのみであるという。
鄭陳桃さんの抗議の言葉は、原文では『都裝聾作啞,都不理我們,實在是結尿,忍無可忍,我就罵他們,還遭到日本反對黨的反制。』なのですが、読めなくて短く省略してしまいました。
読めなくて申し訳ない思いです。
北海道新聞08/14 11:59
『
戦後63年「戦争犯罪」89歳法廷へ ドイツで続く追及』より
第二次世界大戦の戦争犯罪を追及し続けるドイツで、八十九歳の男性が九月、イタリア人を虐殺した罪で法廷に立つ。(中略)
男性はバイエルン州在住の元村議、ヨーゼフ・S被告。ナチス軍がイタリア北部に展開した山岳狙撃部隊のリーダーだった。(中略)
報道によると、S被告は、一九四四年のパルチザンとの戦いで隊員二人を失った報復として、イタリア中部のトスカーナ地方ファルサノ村で村民十四人の虐殺を指示したとされる。同村はパルチザン活動と無関係だったが、四人を銃殺、十一人を農家に閉じこめ、爆破した。生き残った村民(79)が一昨年、告訴し事件が発覚した。(中略)
ミュンヘンの非政府組織(NGO)「ナチス独裁の犠牲者連盟」は「高齢戦犯の出廷はドイツが過去を直視し続けることの証左。罪は何歳になっても消えない」と主張、今後も戦犯の追及を強める姿勢だ。
この報道の冒頭では、ワイツゼッカー元大統領の演説「過去に目を閉じる者は現在に対しても盲目となる」が引用されている。
ドイツでは1979年に戦争犯罪追及のため計画的で悪質な殺人罪の時効を撤廃しているそうだ。しかし、被告の高齢化や、証言者の減少から近年は公判そのものも少なく、98年以降で公判が開かれた戦争犯罪は5件中3件では被告が死亡または体調を崩したそうで、公判を疑問視する声も出ているという。なお、報道中で被告の名がイニシャルなのは、人権保護のために公表されていないそうだ。
この報道は、国内紙のネット版で他に探してみたけど、北海道新聞以外では見当たらない。