一般に「家庭的」と評価されるいろいろについて、前エントリに盛り込み損ねたもろもろについて、書いておきたくなったので補足。
子どもの頃、確か小学生の頃だったと記憶しているが、母の知人である近所の女性(既婚で比較的年配)が手作りのバターケーキをふるまってくれた。大層美味しくて、それが手作りできることに興味を示した(食い意地の張った)私は、作り方を教えてあげようかとの申し出に飛びついた。母からも、強く勧められたこともあって。
知っている人は知っているだろうが、バターケーキを作るのは簡単だ。小学生でもすぐにマスターできた。
そして、その後、私の作った手作りバターケーキは、我が家の手軽な贈答品となった。
当時、父が自営業をしており、母はそこで経理を担当していた。そして、融資がらみで援助してくれる人物その他に挨拶に行く際の手みやげとして、「うちの娘の焼いた手作りのケーキです」は、肩肘はらずに謝意を表明するのにちょうど良かったようだ。
そういう訳で、その後、要請があり次第、私には手作りのケーキを焼く「義務」が発生した。父の仕事がらみで必要という説明を受けており、必要性を納得した上で協力した訳であるが、同じ父母の子であっても男に生まれついて育った同胞にはなかった義務ではある。ちなみに、男に生まれついて育った同胞は、自分の食べる料理を作って食べるが、ケーキを焼いたりしてると聞いたことはない(多分、できないはず)。
…ケーキ焼き関係のスキルは、自分に無いよりはあった方がいいとは思う。
でも、私が今現在もつに至った視点からみると、「手作り」を肯定的に評価すべき、価値ある事とする世間の風潮やらもろもろに対して、なんとも微妙な気分に見舞われる。ちょうど、先頃、JTの「手作り」餃子の事件が起こったこともあって。
もう一点。
今現在の私は、かなり徹底した自炊派だと思ってよさそうだが、これはやはり、実家で育っていた時についた
内食の習慣があるからだろう。実家時代で食べていた食事には化学調味料も入ってなかったし(もちろん、今現在も使う習慣はない)。
そんな私の、子ども時代の食事時。
よくある光景だと思うが、母が「美味しい?」と訊いてくる。
しかし、だ。
今以上に
(笑)素直であった当時の私は、それに「うん、美味しいっ!」と、言えないこともしばしばあった。そうして、口ごもったり「美味しくない…」と言ってしまうと、なぜか、「せっかく作ってもらった食事を、なぜ美味しいと言えない」と怒られたものだ。
今から思うと、なんだか理不尽な話ではあった。
でも、私の方が成長するに従い、母の作る食事の、美味しい場合or美味しくない場合の傾向を把握するようになった。要するに、彼女自身が好きな食べ物を作る時はハズレが無く美味しく作るし、彼女自身が好きではない食べ物を子ども達のために作る場合は、しばしばハズレがでる。
…家族であろうと、自分ではない人間の味覚は所詮解らない。
どうせなら、自分で美味しいと感じるものを美味しく作って、自分で食べる方がいい、と、私が今現在考えている所以である。
さて。
その母は、現在、かれこれ数ヶ月ばかり独り暮らし中である。つい先頃、電話をかけて様子伺いをし「ちゃんと食事している?」と尋ねたことがあった。すると、出来合いのおかずを買ってきて、ちゃんと食べている、との答。
こまめにいろいろ料理する内食の人だった筈なのに、いつの間に中食の人になったのかと不思議に思い、どうして?と尋ねてみた。すると、「家族が美味しいと言って食べてくれるから料理を作る張り合いがあったけど、一人だと料理を作る気がしない」との答。
端的な言葉で上手く表現できないが、長年、漠然ともっていた謎が解けたような気がした瞬間だった。
…彼女は、そういえば、
こちらや、
こちらで言及されている書籍にある「母世代」に属す。そこで言及されている問題をそのまま体現しているのとは少し違うようには思えるが、別の現れ方をした、同じ「時代の影響」の存在があるのかもしれない。
個人的な体験ではあるが、「
個人的なことは政治的なこと」って事で。