「挺身隊対策協」の略称で知られる韓国の団体は、「慰安婦」被害者の方たちの支援団体として、すっかり目に馴染んでいる。しかし、「挺身隊」とよばれた組織は、本来は「慰安婦」としての労働を強いたものではない、という話は一応、知識としては知っていた。
そして、その、挺身隊に関する報道を見つけたのだが…。
KNB WEB 2008 年 05 月 28 日 16:31 付、
『
第2次不二越訴訟控訴審口頭弁論 』
および、
毎日新聞 2008年5月29日 地方版、
『
勤労挺身隊訴訟:控訴審第1回口頭弁論 原告の羅さんが訴え−−高裁金沢支部 /富山 』(魚拓無し)の報道より。
太平洋戦争中に苛酷な労働を強いられたとして、韓国人女性や遺族ら23人が、当時軍需工場だった機械メーカー「不二越」(本社・富山市)と国に、損害賠償と謝罪を求めた「第2次不二越訴訟」の控訴審第1回口頭弁論が28日、名古屋高裁金沢支部で開かれたとのこと。
今回が第2審であり、第1審は去年九月の富山地裁にて、被害事実は認められながらも、例によって65年締結の日韓請求権協定に基づき「個人の請求は認められない」として、原告の訴えは退けられていたそうである。以下、今回の第2審に関する報道をKNB WEBから引用すると、
(略)
28日の控訴審の第1回口頭弁論では、韓国から来日した原告の羅贊徳(な・ちゃんどく)さん(79)が出廷し、「女子挺身隊として連行され不二越では言葉に尽くせない苦労をしたが、韓国では挺身隊が従軍慰安婦と混同されているため、帰国してから60年間、その苦労を家族にも言えなかった」などと訴えました。(後略)
そして、毎日新聞から
(略)この日に合わせて来日した原告の羅贊徳(ナチャンドク)さん(79)が「どうか弱者に目を向けて、正義に基づいた判決を」と、絞り出すように訴えた。
原告の平均年齢は78歳。既に3人が亡くなっている。この日、羅さんは証言台の椅子に座ると、虫眼鏡を持ち上げ、準備書面をのぞき込むようにしてゆっくりと読み上げた。戦後ずっと胸の中にしまっていたが、黙っていてはいけないと、提訴に踏み切った経緯を説明した。
1枚の集合写真が掲げられた。入社式で撮影した若い羅さんの姿があった。古里の家族に送ったその写真は右端が切り取られていた。羅さんは「挺身隊と書いた旗が写っていました。両親が驚くと思い、私が切り取りました」。そうつぶやいた。
他の原告の仲間たちについても「夫や子に、慰安婦だったと誤解されて崩壊した家庭もある」と証言した。(後略)
この裁判は第二次訴訟であり、これに先立つ第一次訴訟では、平成12年に最高裁判所で不二越側が韓国人女性7人に対し3千数百万円の解決金を支払うことで和解が成立しているという。第二回口頭弁論は9月8日に開かれる予定だそうだ。
追加情報を探していると、こんな魚拓が残っていた。
毎日新聞 2007年9月4日、
『
勤労挺身隊訴訟:「第2次不二越訴訟」判決控え、上野千鶴子さんが富山で講演 /富山』
(略)
戦後生まれの国民が増え、「生まれていない時の責任を取る必要はない」との声があることについて、上野教授は、ドイツのナチ政権とは違い、日本の政権には戦前からの連続性があり、戦時中の負の歴史を背負う義務があると主張した。
慰安婦被害者が半世紀も沈黙せざるを得なかった理由について、「汚された人」と見る風潮が貞操観念の強い韓国内でも強く、身内から「家族の恥を外にさらすな」という風潮が強かったことなどを挙げた。そして挺身隊員が従軍慰安婦と混同されたため、提訴が遅れたと説明。提訴に踏み切った勇気に触発され、支援していることなどを話した。
さらに95年に設立された「アジア女性基金」が中途半端な形で今年解散してしまったこと、在日コリアンへの就職差別が現在も続き、選挙権もないことなど、今も残る人権問題について触れた。
主催した人権問題を考える市民グループ「クローバーの会」では、判決を前に「苦労して帰り着いた故郷でも“日本協力者”として冷遇された人たちの立場を理解し、人道的な見地から自発的に被害者を救済してほしい」と訴えている。
一審判決はカナロコ2007/9/19より、
『
強制労働認定、請求は棄却 不二越2次訴訟で富山地裁』
(略)富山地裁は19日、原告の請求を棄却した。強制連行と強制労働の事実は認めた。佐藤真弘裁判長は判決理由で「挺身隊への勧誘は虚偽や脅迫によるもので、不二越での労働は賃金が支払われず、外出が制限されていた」などと述べた。
一方で、サンフランシスコ平和条約と1965年の日韓請求権協定により「韓国とその国民は日本に対し、請求権を主張できないとされたのは明らかだ」と指摘。被告側は、請求に応じる法的義務はないと判断した。
(略)
判決によると、李さんらは12−19歳だった1944年5月から翌年3月にかけて「上級学校に通える」などとうその説明を受け、朝鮮半島から日本へ渡航。
そして、このサイトを見つけて読み、どう表現していいやら言葉が詰まった。
『
関釜裁判ニュース第46号 女子勤労挺身隊訴訟の経過と現状』から一部
(強調は引用者による);
「挺身隊」被害者の名乗り出を促した時に、「慰安婦」被害者と勤労挺身隊被害者がともに名乗り出たことにこの問題の深刻さがありました。呼びかけた支援者たちは勤労挺身隊被害を想定しておらず、「挺身隊」=「慰安婦」の認識のもとに呼びかけたのです。その韓国社会での認識の混乱が勤労挺身隊被害者を長く苦しめ、沈黙させ、韓国社会に被害事実を知らせることができませんでした。名乗り出てからも日本軍「慰安婦」被害者の名乗り出の衝撃性のなかで、韓国のマスコミはあえて勤労挺身隊被害を無視し、多くの勤労挺身隊被害者は二次被害を恐れ再びの沈黙を余儀なくされました。
…「日本軍慰安婦」被害の悲惨さについては、これまで、できる限り知るように努めてきたつもりだ。だが、こちらはこちらで、もうなんと表現していいやら途方に暮れるしかない。いい加減、未清算の戦争責任を目にして暗澹たる思いをしなくてすむようにならないものだろうか。
…でも、「慰安婦」被害に関してさえ、国際社会が要求しているにもかかわらず、公式謝罪等から逃げ回っている政府だもんな。
『
第二次不二越強制連行強制労働訴訟』から「不二越による強制連行・強制労働に対する第2次訴訟を支援する北陸連絡会声明」の一部;
この裁判で原告の求めているものは不二越で働いた自らの賃金と賞与を払って欲しい、不当な差別的労務と厚生管理に対する謝罪と補償をして欲しいという人間として当然の要求であります。
私たちは日本国民一人一人にも、戦後60年近くにわたり、わが国の戦争責任と企業責任を直視せず、被害者の解決のために立ち上がってこなかった共同責任があることを明らかにしていく必要があります。
その他、参考;
・『
関釜裁判ニュース第53号 判決の問題点と今後』
さらに追記で参考;
「
Apes! Not Monkeys! はてな別館」さんの2007-09-20付「
[戦後責任]第二次不二越訴訟」
CHUNICHI Web 2007年9月19日付報道への魚拓リンク有り。
原告支援団体のサイトへのリンクもあるが、現在はこちらのリンクからアドレスが移転しているようだ(誘導有り)。
新アドレスへのリンク;「
第二次不二越強制連行強制労働訴訟」