さて、わたしは手元に「戦争と性」(第25号)『特集「慰安婦」問題の現在』(2006年5月30日発行)をもっているが、ここには戸塚悦朗氏による「日本軍性奴隷問題への国際社会と日本の対応を振り返る」という文章が掲載されている。
そしてこの以降に“戦後処理の立法を求める法律家・有識者の会『政策資料冊子・「慰安婦」問題早期立法解決のために』二〇〇二年五月"の戸塚氏の「官僚に操られた政治の誤り?」が再掲される。
見出しがそれぞれ、
III 官僚に操られた政治の誤り?
一 失政の原因はどこにあるのか?
二 外務省による情報操作の実態
「一」では戸塚氏は以下の四点を挙げる。
1,「慰安婦」は性奴隷であり、当時の日本刑事法にも、強制労働条約など当時の国際法にも違反していた。戦争犯罪・人道に対する罪だったから、時効は連用されない。民間によるものではない軍という国家機関による犯罪だから、被害者側は国家補償を要求し続けたにもかかわらず、それを回避しようとした政策に誤りがあった。
2,国連とILO(国際労働機関)は、日本の国家としての法的責任を肯定し、被害者への国家補償が必須と指摘し続けたが、日本政府は無視した。
3,重要な局面で被害者側と交渉を開始する機会はあったのに、これを逃したのが外務省。一方的な政策の立案・実施過程に誤りがあった。
4,最大の問題として、外務省が重要な情報を隠匿し、歪曲し、時には虚偽まで述べて、日本政府首脳や国会議員を“裸の王様”にしてしまった。
そして、この後の「二」で4の詳細説明がなされるが、それが呆れるようなものだった。
(以降、強調は引用者による)二 外務省による情報操作の実態
(1) 国連の決議・勧告を一貫して黙殺
国連人権委員会の諸機関は、(中略)九二年五月以降継続して、性奴隷に関する勧告・決議・報告書公表を継続した。しかし、外務省は、それらを「旧ユーゴスラビアに関する決議で、日本は関係がない」などと歪曲して政府首脳、国会議員、マスコミほかの日本関係者に報告し、黙殺し続けた。
外務省ルートの情報は真実として受け取られやすく、国連に入っているNGOが情報を伝えても、その情報は政府首脳の判断に活用されなかったし、後に事態が明確になって外務省ルートの情報に偏りが確認されても訂正されたことはないとのこと。
(2) ICJ最終報告書の隠匿と虚偽報告事件
村山首相が民間基金構想を公表したのは、94年8月31日だった。その直後の9月2日に国際法律家委員会(ICJ)が「慰安婦」問題に関する調査団報告書の草稿を公表前に日本政府ジュネーブ代表部を通じて日本政府あてに送付した。ICJ調査団が、日本と南北朝鮮・フィリピンを訪問調査した上で作成した報告書草稿で、日本政府の法的責任を指摘し、被害者への国家補償を勧告しており、後に国連やILOの意見の基礎になった。
これが、ただちに政府首脳および与党三党に提出されていれば、失政を回避できた可能性がある。ところが、外務省は、同報告書公表まで80日間以上もこれを隠匿し、首相をふくむ政府首脳にも自民・社会・さきがけの連立与党三党議員にも提出しなかった。
ICJが報告書草稿を公表前に送付したのは、日本政府のコメントを求めるためだけでなく、公表までの間に政府首脳に政策転換の時間的余裕を与えるためだった。(中略)ICJ報告書草稿は村山首相ら政府首脳に届けられなかった。それを首相官邸筋から確認した筆者は、ICJの許可を得て、(中略)報告書草稿の一部(日本語訳)を与党議員に届けたのである。
ICJ報告書の存在を知って、与党プロジェクトチームは民間基金構想の審議を中断し、外務省から事情を間いた。ところが、外務省は、「報告書は受け取っていない。外務省を訪問せずに報告書を書いた」などと与党議員に虚偽を述べて、その信用を失墜させるという裏技を使ったのである。(中略)
これを知ったICJは、抗議団を送った。(中略)外務省高官は、抗議団に対して「報告書を受け取っていた。前任者が訪問を受けていた」事実を認めた。後日、外務省はICJに謝罪文を送ったが、ときすでに遅く、民間基金政策は与党の承認を受け、既成事実化していたのである。
この一連の事実は、『日本が知らない戦争責任』(現代入文社刊)で公表済みとのことである。まだ未読なんだが。ちなみに、アメリカ下院決議採択後の8/12に出した「
ICJ報告書や戸塚氏に関して、メモ 」でエントリにしておいた情報であるが、
参議院会議録情報 第132回国会 外務委員会 第6号で、このICJ報告書秘匿事件の追及がなされている。
という訳で、ICJの件だけでも大概じゃないかと見えるのだが、まだまだ。
(3) 国連報告書・決議の歪曲事件
96年4月19日国連人権委員会は、女性に対する暴力撤廃に関する決議を無投票で採択した。この決議は、女性に対する暴力に関する特別報告者であるラディカ・クマラスワミ氏がこの年間委員会に提出した報告書に関する決議であった。
(中略)
日本政府は、この報告書の扱いが「国民基金」に重大な影響をあたえると憂慮し、国連人権委員会および主要メンバー国政府に文書を送るなど世界的な大キャンペーンをおこなって、同報告書の拒絶を求めた。(中略)日本政府の拒絶キャンペーンは失敗した。その結果決議が採択されたのである。
ところが、外務省が決議を歪曲し、あたかも同報告書が拒絶されたかのように国会・マスコミなどに説明したため、日本では同報告書が拒絶されたのか、採択されたのかが論争になり、混乱した。日本政府は(中略)これを契機にして、国家補償への政策転換をはかることができたはずであったにもかかわらず、外務省による情報の歪曲による混乱により現状維持が継続してしまった。結局、民間基金政策という既成事実はそのまま進行した。
(中略)
参議院外務委員会における同年5月28日の審議のことだが、質問者は、本国昭次参議院議員(当時折緑風会)、回答者は、朝海和夫外務省総合外交政策局国際社会協力部長(当時)であった。
第一に、朝海氏は、国連人権委員会において、「採択されたのはクマラスワミ報告書ではなく、女性に対する暴力撤廃についての決議である」と発言した。決議の題名は、朝海氏の言うとおりだ。
しかし、この発言は、論弁だった。決議に至る経過の説明抜きで、「クマラスワミ報告書は採択されていない」と発言することで、「クマラスワミ報告書(ことに第一付属文書)が実質的に拒絶された」というような誤解を国会議員に与えようとする不適当な説明だ。(中略)決議主文パラグラフ五は、戦時女性に対する暴力の典型である「性奴隷」(「慰安婦」制度の国連用語)を非難したばかりか、これが国際人道法違反であることを指摘し、特に効果的な対応を求めた。これを無視した朝海発言は、国会を誤らせる歪曲である。
また、
日本政府は、国連人権委員会に公式配布を予定して公式文書(引用元注によると、「日本政府の見解」と題する50頁におよぶ、クマラスワミ報告書を誤りだらけと激しく攻撃し、国連人権委員会による明文の拒絶を要求するもの)を一旦は国連に公式に提出したのに後に撤回し、短い文書(引用元注によると、「日本政府の立場」と題する、大部分は民間基金の説明で、クマラスワミ報告書の法的判断につき重大な留保するとしたもの)を提出した。だが、朝海氏は、前文書の存在もその国連公式提出の事実も否定し、「もともとの文書を撤回したという事実はない」と発言した。
外務省官僚は、軍事的性奴隷に関するクマラスワミ報告書を「公式に拒絶すべきだ」と要求した事実(国運も世界中の政府も知っている)を隠蔽しようと、虚偽を述べ続けていたとしか考えられない。(後略)
そして、「(4) 今も続く外務省による情報操作」として、その後に確認された例が示される。
(略)
02年3月19日参議院内閣委員会で、岡崎トミ子(民主党)、吉川春子(共産党)、田嶋陽子(社民党)の三女性議員が「女性のためのアジア平和国民基金」に関して質問した。三議員が最近インドネシアで調査してきた最新情報に基づく質問だが、答弁にあたったのは、福田官房長官である。
質問に先立ち、外務省などの官僚は、文書で国会議員にたいして情報を提供する。提供された文書はその典型である。
同文書は、その末尾で次のように主張している。
三、国連人権フオーラムでの議論
(略)"本問題に解決に向けてこれまでなされた『前向きの措置』であると評価する趣旨の決議がなされている。さらに、平成10年(98年)のクマラスワミ報告書(引用元脚注によると、対女性国家暴力の報告書(E/CN4/1998/54)と第一付属文書・ルワンダ調査報告書(E/CN4/1998/54/Add1))も、わが国の慰安婦問題に対する取り組みを『歓迎すべき努力』と評価しており"
そのうえで同文書は、「我が方としては、本問題に関する我が国のこれまでの取り組みに対し、国際社会が一定の理解を示していると考えている」と結論づけている。
この後に戸塚氏の危惧が表明され、以降、第一から第四までの説明が続く。
第一として、
予備知識なしに外務省文書の結論を見た人には、国連が民間基金政策をこの問題の解決策として支持しているように読める。ところが、国連の人権小委員会決議もクマラスワミ報告書も、この外務省文書とは連に日本政府に対して国家補償による解決をはかるよう勧告してきたのであって、その基本方針は変更されていない。そこに着目すれば、この文書は、歪曲性より、虚偽性のほうが強いといってよいだろう。
第二として、
これは、外務省の歪曲の手法の典型例である。情報操作の手法の秘密は、前半部分から結論部分への論理の飛躍と「本を見て森を見ない」論法にある。まず前半部分で国連文書のごく一部、それも日本政府に対する外交辞令とも言える重要性の小さい記載だけを引用し、主要な結論ではあっても外務省にとって都合の悪い部分は無視して、存在しないかのように見せている。(後略)
ちなみに、98年版クマラスワミ報告書のみに言及し、
もっと怖い内容のマクドゥーガル報告書(98年8月採択)に言及しなかった訳である。
この後、第三として、「97年差別防止・少数者保護小委員会(人権小委員会)の現代奴隷制部会報告書に関する決議(E/CN.4/Sub.2/RES/1997/22)」内容でも、外務省は「この問題の解決に向けて当時とられた肯定的な前進をみとめつつ、第二次大戦中の女性性奴隷問題に関連してとられた行動に関し、日本政府およびその他の関係当事者によって提供された情報に留意し、」と主張しているそうだが、原文には『「日本政府による措置」とも明記されていない。「日本」などの限定もない。』ので、『「国民基金」だけが歓迎されたかのような、外務省などの主張は決議の歪曲というべきである。』
さらに第四として、クマラスワミ氏は、98年の対女性国家暴力の報告書(E/CN4/1998/54)と第一付属文書・ルワンダ調査報告書(E/CN4/1998/54/Add1)で、パラグラフ37で『慰安婦』被害を対女性国家暴力の典型例の1つとして取り上げ、ロビーでは前回報告書で国家補償などを日本に求めた点を『今後も議論されるべき課題だ』として問題が未解決であるとの認識を示していたという。さらに、パラグラフ38で、法的責任について「しかし、日本政府は法的責任を認めていない」とまとめているとのことなので(原文未確認)
クマラスワミ特別報告者が前記した九六年の報告書のフォローアップとして日本軍性奴隷問題に言及するかどうかであった。日本政府の反対にもかかわらず日本軍性奴隷問題に言及したのだから、それは日本政府の政策に対する批判を継続し、被害者に対する国家補償などを求めた九六年報告書の主張を維持する姿勢を強調したと解釈すべきである。
こうして、外務省からでた文章によって情報を得る閣僚ーこの例だと福田官房長官(当時…笑)ーは歪曲した情報に基づいていろいろと政策を決定していた危惧が強い…らしい(←婉曲表現)。
そして、戸塚氏の稿の結びにこうある。
これまでの日本外交は、虚偽の上に成り立っていた。少なくとも日本軍「慰安婦」問題については、常に虚偽、隠匿、歪曲があり、政治家は「裸の王様」にされてきた。
日本軍性奴隷問題に関して、外務省は、「補償問題は、条約によって解決済みだから国家補償はできない」と主張し続け、これが民間基金政策の最大の根拠とされた。しかし、この条約の抗弁は、法的検討に耐えず、崩れてしまった。
中国、韓国に関してだが、米国の裁判所もこの抗弁を認めなかった。外務省は最近のこの情報を政府首脳に報告したであろうか。
「条約の抗弁は、法的検討に耐えず、崩れてしまった」箇所にひいてあったのは、引用もとによると、「禁止されていた重大違反行為被害者の個人請求権放棄」。『季刊戦争責任研究』三〇号、二〇〇〇年冬季号、11-19頁。
という訳で、こういう話を既に知っていたので、今さら外務省がじたばたしているんだなぁと、生暖かく見てしまっている訳でした。
戸塚さんつながりで、おまけメモ。
戸塚悦朗氏の2004年6月22日付けの講演;
「日本が無視する不処罰問題ーー司法改革と日本軍性奴隷問題をめぐってーー(De-facto impunity: the problem that Japan ignores: -- Reforms of administration of justice and military sexual slavery by Japan -- )」レジュメ(pdf)より
(略)
講演者は、日本軍「従軍慰安婦」の募集を日本の司法が犯罪として処罰した ただ一つの事例に関する早期の下級審判決を発見した。(中略)日本軍の「慰安所」に女性を拉致して、「慰安婦」にした加害者の処罰に関する今のところ最初の公文書、それも1930年代という戦前の第一審判決がそれである。以下その詳細を報告する。
(1)見つかった歴史史料は、以下の日本の裁判所の判決二つである。
國外移送誘拐被告事件に関する長崎地方裁判所刑事部昭和一一年二月一四日判決及び同 上判決に対する控訴審長崎控訴院判決第一刑事部昭和一一年九月二八日判決がそれである。
長崎地方裁判所判決からわかることを要約すれば、同地裁は、被告人らが共謀の上昭和 七年(一九三二年)に起こした事件について、上海に設置される海軍の「慰安所」で「醜業」 に従事させるために日本内地の女性を騙して誘拐し、これらの女性を長崎港から乗船させ て国外に移送したとして有罪と認め厳しく処罰した(判決の言い渡しは事件発生から四年後の昭和一一年(一九三六年)二月)のことである。また、長崎控訴院は、刑期を短縮したも のの、基本的にこの地裁判決を支持した。
(中略)
(3)不処罰問題の典型
(略)これまでも警察関係資料の分析研究があった。従来これらを根拠に警察は「強制連行」 や「強制徴集」の事例を一件もつかんでいなかったと結論されていた。しかし、前記警察資料は長崎地裁判決に関わる情報を含んでいない。
原審段階ならともかく、確定して後に判例集に登載されたような重要事件であったこの事件の場合は、一般人には知られていなかったとしても、政府関係者(政府中枢部はもとより全国的に軍、外務省、司法省、内務省・警察関係者にとっては、特別に調査をしなくても、広く当然知られていたはずの情報だったといってよい。当時の法から見れば、「海軍指定慰安所」への長崎の被害女性らの拉致は犯罪であったことが確定したのであって、「当時は許されていた」などという見解は、到底支持しかねる状態にたちいたったのである。
(中略)
ところが、結果的にとられた対応措置としての結論は、一九三七年二月二三日内務省警保局長通牒であった。この通牒は、このような女性の拉致問題が存在することを認めており、本来であれば「このような犯罪は厳重に取り締まらなければならない」という結論になるのが立憲法治国としては自然である。 (中略)しかるに、通牒はそのような女性の移送を禁止・制限するどころか、逆に(中略)認めてしまったのである。
そのうえで、「警察当局ニ於イテモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルル・・」とした。法に従えば犯罪として摘発すべき場合であるのに、超法規的に異例の措置として処罰しないことを必要とするという意味としか解釈できない。
これが、「不処罰」の歴史が始まった決定的瞬間となった。
(大幅に中略)
このようにして、軍「慰安婦」の拉致犯罪を不処罰にする体制が完成したのである。
なお、この情報を見つけたのは、
The Australian Network for Japanese Law (ANJeL) (オーストラリアの日本法ネットワーク、略称ANJeL)のサイト。つまり、これもまた、欧米では前提として知られている情報と考えた方がよろしいでしょう
。
追記(07/12/13 19:40);
はてなの「従軍慰安婦問題を論じる」グループの
kmiuraさんがトラックバックしてくださった情報によると、 平成八年五月七日(火曜日)の 第136回国会 法務委員会において、第五十二回国連人権委員会のクマラスワミ報告について「朝海和夫外務省総合外交政策局国際社会協力部長(当時)」と類似した答弁をした外務官僚が、現在、9月27日にストラスブール総領事に着任しているそうです。
…EUでの謝罪決議が討議されている、ストラスブールに。