私の手元に、1992年1月21日に第1刷が発行された、当時、弁護士であった女性が著した新書がある。
岩波新書 「結婚と家族」 福島瑞穂著
買ったのは5-6年ほど前だったか。当時、上野千鶴子さんの本を読みあさっていた頃だった筈で、どこかのネット掲示板で上野さんと並び称されていたフェミナチ(笑)が、福島さん。その時点では知らない人だったのだが、上野さんと並び称されるほどの人(笑)の本を読んでみたくて、本屋で探したのがこの本。まさか(弱小野党とはいえ)後に党首になる人とは思わなかったなぁ、当時すでに議員だったけど。
この本は、戸籍・家族法・改姓・事実婚などについて、法律の専門家からの視点ながら気軽に読める文体で書かれており、私はこの本を読んですぐに福島瑞穂さんに好意を持った。なかでも、事実婚については、実際に実践している福島さんの経験が語られており、
水葉さんのこちらの記事や、
gegengaさんのこちらの記事を読んだ直後なので読み返したくなったのだが。。。
なんだか、改めて暗澹とした気分になった。そこで、gegengaさんや水葉さんのエントリーや
当方の11/3付エントリーのコメント欄で言及したあたりに絡め、気になる箇所を紹介しておきたくなった。
…それにしても、
15年も前の本である。なのに、内容が古くなってないってどういう事だ。この本で福島さんが明るく、きっと数年後にはもっと良くなっているといった雰囲気で書いていることは、15年後の今、良くなった様には見えない。
この本の214ページにこんな一節がある。
(強調は引用者による、以降も同じく) 1979年に効力の発生した国際人権規約B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)24条は、子供の権利を規定し「すべての児童は……出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって、家族、社会及び国による措置についての権利を有する」とした。(中略)
国際人権規約B規約24条の解釈として、法定相続分の差別も含めあらゆる非嫡出子差別は許されないのである。
(IV 新しい関係に向けて、4 こんな場合はどうなるか)
…ここは、非嫡出時差別の相続に関する項なので、こういう表現になっているが。。。なんだかねぇ。
15年前ですよ、この本(しつこい)。
一方、141-142ページにこんな一節がある。
最高裁判所は、1988年2月16日、「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権(憲法13条)の一内容を構成するもの」として、個人の氏名に対する権利を認めたのである。
氏名権が人格であるとすると、結婚するときに夫婦の一方が必ず姓を捨てることを強制されることは、人格権である氏名権を侵害されることである。
(III 姓を変えること、3 夫婦同姓の問題点)
これは「NHK日本語読み訴訟」という、ある在日韓国人の方がNHKを相手取って、「母国語読みを知りながら日本語読みをした」ことを、現代の創氏改名であるとして損害賠償し敗訴したケースではあるそうだが、最高裁で、
氏名権が人格権である事を認めているというわけだ。
当然ながら、結婚して姓を変えたい人はその選択肢が保証されるべきだが、今の法律では変えたくない人まで同姓を強制され、改姓する大多数が女性であるのが現実だろう。ここで福島さんが実際に遭遇して、紹介されている例は興味深い。
先日、ある大学に講演に行ったところ、男性の大学生から質問が出た。「形式的な事にこだわりすぎではないですか。愛情があれば、だんなさんの姓になっても大丈夫ではないですか」。
「そうですね。そうしたら、あなたは、彼女が『私の姓に変えてくれる? 愛情があるからいいじゃない』といったら、変えますか」と聞いたところ「変えない」という返事が返ってきた。
(III 姓を変えること、3 夫婦同姓の問題点 P.144-5)
…15年前の例
(実にしつこい)だが、今はどうだろう?(笑…、遭遇した実例を一つ後述)
そして、
民法の条文は、「夫または妻の氏を称する」と規定する(750条)。(中略)しかし、現実は、(中略)ほとんどの女性が姓を変えている。結婚のときに夫の姓を選ぶ夫婦は97.7%である(1990年厚生省人口動態統計)。(中略)
別姓(厳密に言えば「結合姓」であるが)という点では、企業は大変はっきりしている。太陽銀行と神戸銀行が一緒になって、太陽神戸銀行、(中略)協和銀行と埼玉銀行が一緒になって協和埼玉銀行になった。
企業が合併などする場合、一方の企業の名前が無くなってしまうのは、両者の力関係に大きな差がある場合である。私たちのイメージ、顧客との関係からいっても、AとBが合併して、もしAの名前が落っこちたら、AはBに吸収合併されたと思う。対等な合併ならば、名前も対等にするのである。
つらつらと日本の夫婦の姓を考えたら、ほとんどの女性が姓を変える日本の結婚は、男性に対する(中略)吸収合併的な結婚ではないか。女性の性は必ず落っこちるのだから、対等ではない。
(III 姓を変えること、3 夫婦同姓の問題点 P.152-4)
そして、諸外国の例が紹介されているのだが、この一節はかなり笑った。
夫婦同姓を強制している国は、日本くらいで、世界でもまれな制度であるが、昔々は、諸外国でもそうではなかった。
イギリスのコモン・ロー(慣習法)の世界では、妻は夫の姓を名乗っていた。その理由がおもしろくて「妻は、夫の動産だから」というものである。確かに、妻は、土地・建物といった不動産ではないのだから、動産といったのかもしれないが。
(III 姓を変えること、3 夫婦同姓の問題点 P.156)
…いや、もう、笑うしかない。さすがは、上野千鶴子さんと並び称されていたフェミナチ(笑)。
そして、自分の姓を手放す事を避け、パートナーに自分が嫌なことを強いるのを避けるなら、、、事実婚という選択肢になるが、子供が生まれれば非嫡出子差別に直面するというわけ。そして、それが
「仮に子に不利益があっても父母の信条によるもの」なんて、裁判所のお墨付きがでるそうな。実にうまくできたシステムだと感心する。
さて、締めに遭遇した実例を一つ。
私の大学の後輩で、気の合う女性がいる。
彼女がある時、連絡してきた。今度結婚して関東に移住するから、一度、ご飯一緒に食べようと。
もちろん二つ返事で、都合を合わせてご飯を一緒した。
彼女は関西で地方公務員をやっていて、仕事にやりがいをもって取り組んでたのは知っていた。
そして、私と気が合う以上(笑)そっち系。職場でも女性問題関係にヒト噛みし「この前、こんな女性問題の講演会をやった〜」とメールで自慢してくるような子だ(爆)。もちろん、以下のような会話における前提は共有している間柄だ。
仕事やめたの?と訊いた私に、彼女はそうだと答える。
相手が関東住まい、恋人同士だったら遠距離でもかまわなかったが、子供を産みたかったので同居する必要はあったのでやめたと。
相手に仕事やめさせる選択肢はなかったの?とつっこむ私に、言葉を濁す。
それで、名字はどうするの?と尋ねると、相手の名字を名乗る、と。
なんで?とさらに尋ねると、いろいろ考えたけど、まぁ名字ぐらいどうってこと無いかなと結論したと。
アンタ、それでほんとうにいいの?と追求すると、、、怒られた。
それを訊くな、と。先方の両親、彼女自身の両親からは「当然夫の姓になるもの」と最初から扱われ、それに抗して事実婚も検討したが、4人の親たちに反対された、と。
ジェンダーフリーを実践していたの彼女でさえ抵抗できない圧力がかかるのかと、呆然としたものだった。
どうやら、この社会は15年の間、あまり変わらなかったようだ。
少しは社会の構成員がもつ意識は変わっているはずだが、随分ゆっくりのようだ。