沖縄「集団自決」訴訟関連報道を探していて見つけた話。
こういう話もあったんですね…。
アジア・太平洋戦争中におこった「旧南洋群島で起きた日本軍のハンセン病患者虐殺事件」を調査している研究者の報告会が11日に行われたとのこと。
沖縄タイムズ 2007.9.10付報道(夕刊9面)にて「
パラオ虐殺 沖縄戦と共通/藤野准教授、あす報告会」
(略)
今年三月、藤野准教授はパラオ共和国で療養所生存者に聞き取り調査を実施。県出身の被害者男性の氏名や職業、さらに一九四四年の空襲後、軍に食糧を奪われ、療養所を逃げた結果殺害されたこと―が分かった。
藤野准教授は「パラオでも日本軍は住民が捕虜になり、米軍に情報が伝わるのを恐れ虐殺した。ハンセン病患者虐殺もその中で起きた」と沖縄戦との共通性を指摘した。
しかし、旧南洋群島の被害実態の掘り起こしは、韓国や台湾が裁判の結果、究明が進んだのと違って、十分ではない。藤野准教授は、療養所の存在、強制収容を裏付ける公文書の発掘など事実を積み重ね、国に対して調査の徹底と謝罪を求めてきたが、具体的な動きは見えない。
その一方、日本国内では、親日感情が強い南洋群島の戦争を美化する動きも出てきた。「地元から責任を追及する声が出にくいことを利用し、戦時に人々が積極的に日本軍に協力したと美化する風潮がある。沖縄の『集団自決』歪曲の動きと似ている」と指摘する。(後略)
(強調は引用者による)そういうわけでこの報道を見つけたのが10日、報告会が11日夜だったそうなので、12日にでるであろう続報を探していたんですが、辞任報道ばかりで見当たらない…(^^;
ようやく出たこれが、その流れでしょうか?
沖縄タイムズ 2007.9.12付報道(夕刊4面)にて「
ハンセン病療養所/ポナペ島に補償外施設」
日本の統治領だった旧南洋群島のハンセン病療養所で、戦後補償の対象とは別の療養所があったことが分かった。(中略)
同群島におけるハンセン病患者への補償をめぐっては、パラオやサイパン島などにある四療養所が対象。国はこれ以外の療養所があることを把握しておらず、藤野准教授は「世論を盛り上げ、補償対象とするよう国に要請したい」としている。(後略)
なお、虐殺事件の報道はすでに三月時点にあったようです。私がこの系統の話題を探すようになった時期が比較的最近なので、気がついていませんでした。
気がつきはじめるとあれもこれも目に付くのですが。。。
沖縄タイムズ 2007.3.30付報道(朝刊31面)にて「
パラオ虐殺 県人犠牲/1944年 ハンセン病施設」
ハンセン病患者の方が強制収容された島である「ゴロール島の対岸には、日本海軍基地があった。四四年には陸軍守備隊が駐屯し、軍事上の重要性をさらに増し」ていたのだそうで、「患者が逃走したため、米軍の捕虜になると情報が漏れると殺害した。沖縄戦の住民殺害と同じ構図」と研究者が指摘している模様。
アジア・太平洋戦争中、旧南洋群島のパラオで、日本軍がハンセン病患者を虐殺した事件があり、沖縄県出身男性も犠牲になっていたことが、三十日までに分かった。(中略)
コロール市在住の男性、オデュ・レンゴスさん(86)の証言で、県出身男性が虐殺されたこと、氏名や教師だったことも分かった。一九四四年にパラオの大空襲後、隔離されていたゴロール島から逃走した。藤野助教授が入手した南洋庁文書には「沖縄人一人アリタルモ昭和十九年七月二十五日空襲以降所在不明」と記録されていたが、氏名は判明していなかった。
藤野助教授の聞き取りでは、レンゴスさんは患者が逃げた理由を「日本陸軍に食糧を奪われ、島で生活できなくなったため」と説明。逃走した患者十六人はバベルダオブ島のグラスマオ村に潜んでいた時に日本兵と警察に捕まった。
レンゴスさんらは、その場に穴を掘るように命じられた。それが自らを殺害し埋める穴と気付き、慌てて逃げたが、逃げ遅れた二人は殺害された。その後、(中略)沖縄出身と朝鮮半島出身の二人は、ゴロール島に戻ったところを日本軍に殺害された。レンゴスさんはその事実を地元民の警察官助手から聞いた。
降伏後、南洋庁が米軍に提出したハンセン病患者に関する報告では、逃走患者中、十人が「嘉留島守備隊長ニ引渡シ同島ニ収容セルガソノ後ノ消息不明」と説明。しかし、レンゴスさんの証言では戦後に生存していたのは四、五人、残りは虐殺されたと見られる。(後略)
追記;
「親日感情が強い南洋群島の戦争を美化」の例;http://www.tamanegiya.com/paraototujimoto.html
ちなみに↑で引用されていた
辻元清美さんのブログ記事はこちら。
かつて、太平洋の島パラオで、おばあさんからこんな話を聞きました。
「日本の兵隊さんは、島を守るために武器を持って来たといっていたが、武器を持った兵隊さんが島に来たから、攻撃の対象になって、攻められ、民間人がたくさん死んでしまった。」
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