時事通信 2007/09/11-12:51 より「
『家庭だんらん法』に言い換え指示=『残業代ゼロ法』で舛添厚労相」(via.「
こころはどこにゆくのか?」、たびたびすみません)
「『残業代ゼロ制度』と批判を浴び法案提出を見送った」「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション制度(WE)」を言い換えて、「「残業代が出なければ、早く帰る動機付けになる」と評価」
あほ?…あまりのあほらしさに、ツッコミが出てきません。
誰かお願いします。
なお、なぜか9/11 18:20時点では時事通信以外では見当たらないニュースです。
スポンサーサイト
琉球新報2007.09.10付報道にて「
金城氏、軍強制を証言へ 『集団自決』訴訟(魚拓無し)」
沖縄戦中、渡嘉敷・座間味両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、岩波新書「沖縄ノート」などで日本軍の隊長命令だったと記述され名誉を傷つけられたとして、戦隊長だった梅澤裕氏(90)らが岩波書店と作家の大江健三郎氏に出版差し止めなどを求めている訴訟で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は10日午後、福岡高裁那覇支部で所在尋問(出張法廷)を開始した。
渡嘉敷島の「集団自決」の当事者だった金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(78)が被告・岩波側の証人として出廷した。(中略)渡嘉敷島では米軍上陸翌日の1945年3月28日に「集団自決」が起き、住民329人が命を落とした。当時16歳だった金城氏も母や妹、弟を手にかけた。(中略)
高校の歴史教科書から「集団自決」に対する日本軍の強制の記述を修正・削除させた文部科学省の3月の教科書検定が、原告の陳述書を一方的に検定意見の根拠とするなど、訴訟は沖縄戦の史実をゆがめようとする動きに大きな影響を与えている。沖縄現地に赴いた裁判官が体験者の言葉をどう受け止め、判決に反映させるのか。金城氏の出廷に関心が高まっている。
沖縄タイムズ2007.09.10付報道にて「
沖縄法廷 軍命存在強調/『集団自決』訴訟(魚拓無し)」
(略)「住民は崇高な犠牲精神で自ら命を絶った」などと主張する原告側に対し、被告側証人として渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が出廷。(略)
七月に大阪地裁で行われた証人尋問では、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の元副官や部隊の中隊長が、原告側証人として「住民への命令はなかった」などと証言した。金城氏はこれに相対する被告側証人となる。
金城氏は当時十六歳。米軍の上陸を受け、渡嘉敷島の住民は軍の陣地近くに集められ、「天皇陛下万歳」と叫んだ村長の一声を皮切りに手榴弾による「集団自決」が始まった。手榴弾を持たない家族は互いに家族を殺し合った。金城氏も兄とともに母や弟、妹に手をかけた。
同訴訟は今年三月にあった高校の歴史教科書検定で、「集団自決」への軍関与の表現が削除される際の根拠の一つになった。検定撤回に向けて開かれる県民大会を二十九日に控え、自身の体験を語る金城氏の証言にあらためて注目が集まる。
なんでも、「原告の元戦隊長側が、隊長命令の有無だけを争点とし」ているそうなのに、原告側が「住民は崇高な犠牲精神で自ら命を絶った」とも原告が主張しているのもよく解らない事態ながら、11日分の報道をピックアップ。
琉球新報2007.09.11付報道にて「
金城氏『軍命出た』 岩波『集団自決』訴訟」
(略)「(島に駐留していた)赤松嘉次隊長が指揮する軍の命令なしに『集団自決』は起こり得なかった」として、日本軍の強制を証言した。
金城さんは約2時間、原告・被告双方の代理人の尋問に答えた。法廷は非公開で、終了後に双方の代理人が会見し、証言内容を明らかにした。
渡嘉敷島では米軍上陸翌日の1945年3月28日に「集団自決」が起き、住民329人が命を落とした。当時16歳だった金城さんも母と妹、弟を手にかけた。 軍の命令で陣地近くに集められていた金城さんら住民の下に軍の自決命令が出たようだとの話が伝わり、村長の「天皇陛下万歳」の号令で「集団自決」を始めたと具体的に証言した。
「『天皇―』は玉砕の掛け声。村長が独断で自決を命じるなどあり得ず、軍命が出たということ」とし「集団自決」の直接の引き金に軍の強制があったと明言した。(中略)
金城さんは、高校日本史教科書から「集団自決」について軍の強制の記述を削除した3月の文部科学省の教科書検定に対しては、「多くの体験者が軍命や軍の強制を証言してきた。戦争の残酷な部分を隠ぺいする文科省の責任は大きい」と批判した。
岩波側の代理人は会見で「体験者しか話せない実相を述べ、軍命があったと考えていることもはっきり証言された」として、軍の強制についての立証ができたとの認識を示した。
原告代理人は会見で「村長が自決命令を出すはずはなく、軍命だったという金城氏の証言は推論にすぎない」などとして「金城氏は集団自決の隊長命令を語る証人として資格がないことがはっきりした」と述べた。
沖縄タイムズ2007.09.11付報道にて「
戦隊長下の軍命証言/『集団自決』沖縄法廷、軍曹が手榴弾配布/金城さん体験証言」
(略)
渡嘉敷島で「集団自決」を経験した金城重明氏(78)が被告岩波側の証人として出廷。兵器軍曹から住民に手榴弾が配られ、「一個は敵に投げ、もう一個で死になさい」と訓示があったと、後になって当時の兵事主任からじかに聞いたと証言。自身の経験とも併せ、戦隊長指揮下の軍命令なしに「集団自決」は起こり得なかったと訴えた。
一方で原告・戦隊長側は、島にいた金城氏自身が手榴弾が配られた現場に呼ばれていないなどとして、兵事主任の話の信用性に疑問を提起。金城氏が指摘する軍命令について、何を軍命ととらえ、具体的にどう伝えられたか証言するよう求めたという。(中略)
被告代理人によると、金城氏は、当時の兵事主任だった富山真順氏から「米軍が上陸する約一週間前に、兵器軍曹が役場に青年団や職員を集めて手榴弾を一人二個ずつ渡した。『一個は敵に投げ、もう一個で死になさい』と訓示していた」という話を聞いた、と証言した。
また米軍の上陸時に、軍が住民を危険な陣地のそばに集まるように命じたことは、逃げ場のない島で住民を死に追い込んだことになると指摘。集まった住民の間で軍による「集団自決」命令が出たとささやかれる中、軍の伝令が村長に伝えられたとする元職員の証言などを軍命令の存在の根拠に挙げた。
渡嘉敷島では、村長の発声で「天皇陛下万歳」が三唱され、手榴弾による「集団自決」が始まった。
金城氏は「村長が独断で住民に『集団自決』命令を出すことはあり得ず、軍の命令なしに、『集団自決』は起こり得ない」と強調。「住民は軍の命令によって死んだのであり、その責任者は戦隊長」と訴えた。
(略)
証人尋問を終えた金城さんは、こぶしを握り締め静かな口調で法廷の様子を語り始めた。愛する者に手をかけた過去を「手をかけなければ、非人情という思いがあった」と目を閉じながら語った。
三百二十九人が「集団自決」の犠牲になった渡嘉敷島。座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(90)が自決命令は出してないとの証言に、金城さんは「六十二年前の本人の言葉だから、(命令していないという)うそは誰でも言える。私は六十二年間苦しんできたのに、隊長は苦しんだのか」と疑問視した。
体調面も心配される中、原告側の反対尋問では、「痛いところに針を刺されるような気持ちだった」と苦悶の表情を見せる場面もあったが、「言いたいことは言えた」と振り返った。
(後略)
全国紙では読売ぐらいしか見当たらず。
2007.09.11付報道にて「
沖縄集団自決の大江氏賠償訴訟、体験者『軍命あった』証言」
(略)
金城さんは、「(状況的に)軍命があったとしか考えられない」と述べたという。
尋問終了後に記者会見した原告、被告双方の弁護団によると、金城さんは米軍が島に上陸後の1945年3月28日、駐留していた旧陸軍海上挺身(ていしん)第3戦隊の陣地近くでの集団自決で、母や兄弟に手をかけたことなどを話した。
軍の命令があったとする根拠として、金城さんは村長の「天皇陛下万歳」のかけ声で集団自決が始まったことを挙げ、「『天皇陛下万歳』という言葉は(軍命により)玉砕する時の合図。村長が独断で命令することはあり得ない」と述べたという。原告側は反対尋問で、「村長は自決しておらず、軍命であることの立証にならない」と指摘した。
なお、これに先立つ経緯として、毎日新聞2007.07.28付報道にて「
沖縄集団自決訴訟:『軍の命令あった』と女性史研究者証言」
著書「母の遺したもの」(00年)で戦隊長による自決命令を否定した女性史研究家、宮城晴美さん(57)が出廷し「戦隊長が直接命令を出したかは不明だが、軍の命令や指示はあったと思う」と自らの認識に変化があったことを明かした。(中略)
今年3月の06年度教科書検定で旧日本軍の強制・命令の記述に検定意見が付される根拠の一つとされた。(中略)
今年6月に助役の妹から「兄は軍の命令で玉砕するよう言われていた」と新証言を得たことを明らかにした。その上で「住民は軍から日常的に、米軍が上陸すれば玉砕するよう訓示されたとの証言もあり、多くの住民も軍命があったと信じている」と語った。(後略)
沖縄タイムズ2007.07.28付報道にて「
『命令主体は戦隊長』/裁判の核心著作 宮城さん証言」
(略)
座間味島の「集団自決」について記した「母の遺したもの」の著者で、女性史研究家の宮城晴美氏(57)が被告側の証人として出廷。宮城氏は「住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官。戦隊長命令がいつどこで具体的に出されたかは分からないが、命令の主体は戦隊長」と証言した。
母・初枝さんの手記を基に記した「母の遺したもの」で、住民の「集団自決」が梅澤裕戦隊長による命令ではなかったとした点について「(村の幹部が梅澤氏を訪ねた)一九四五年三月二十五日の夜のやりとりのことで、あくまで母の個人的な体験。自分の目の前では命令がなかったということです」と述べた。
初枝さんから託されていたノートの手記の中に「あの晩の後のことは私には皆目分かりません」との記述があることを明らかにした。
「母の遺したもの」では、住民に「集団自決」を命じたのは兵事主任兼防衛隊長(助役)の宮里盛秀さんだったと、反対尋問で従来とは認識が変わっていることを指摘された。宮城氏は盛秀さんの妹の宮平春子さんから、盛秀さん自身が軍の命令を受けていたとの証言を今年六月になって直接聞いたと説明。(後略)
同じ記事にあった沖縄タイムズの解説によると
(略)原告、被告双方の焦点は宮城晴美氏の証言だった。座間味島の「集団自決」について記した宮城氏の著作「母の遺したもの」は、戦隊長命令を否定する原告側主張の根拠だったが、被告側の証人として宮城氏が反論し、切り返した。
主尋問と反対尋問にはそれぞれ約一時間が費やされたが、座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏が住民にじかに命令したかを争点にする原告側と、軍の存在や関与といった全体状況から問題の本質をとらえるべきだとする宮城氏との間で、議論はかみ合わず平行線をたどった印象が強い。
(中略)
戦隊長による命令については、「(母親の初枝さんの体験だけでは)隊長命令があったかどうかは分からない」とする一方で、「集団自決」は日本軍の指示・命令で、同時に最高指揮官である戦隊長の指示・命令であることを強調した。
原告・戦隊長側の代理人は「梅澤氏が住民の『集団自決』に責任がないとは言っていない」と述べるなど軍の関与や責任があることを認める一方で、訴訟の争点はあくまで、戦隊長による住民への直接的な命令があったかどうかだとしている。
原告側が「戦隊長による命令があったかどうかは分からない」という宮城氏の認識の一部を使って、新たに主張を重ねてくる可能性もある。
その他、同じ記事から;
・当時の慶良間諸島は空も海も陸もすべて敵に囲まれている『合囲地境』の状況。そこに民政はない。『集団自決』は軍が全権を握っている中で起きた。赤松氏が渡嘉敷島、梅沢氏が座間味島で全権を任されている状況であり、赤松氏の副官だった知念氏も当然、その認識を持っていたはずだ。
・原告側証人の知念氏は米軍に投降して伊江島から渡嘉敷島に移された住民を殺害している。また、赤松隊は朝鮮人軍夫、学校の教頭をスパイ容疑や敵前逃亡の理由で殺害している。「集団自決」と「住民虐殺」は表裏一体。「天皇の軍隊」である日本軍が島にいたからこそ起きた。
・皆本氏は手榴弾は軍が管理し、防衛隊員には配ったが、民間人に配布していないとしている。だが、防衛隊も軍隊。防衛隊は、命令なくして住民に手榴弾を配ることはできない。住民の証言によると、赤松隊は軍の命令を伝える兵事主任に手榴弾を持ってこさせて住民に配っている。すべての責任は、全権を握っていた赤松氏にある。軍命なしに「集団自決」が起きたわけでないことは明らかである。
・座間味島での『集団自決』は日本軍の命令で起こった。当時、駐屯していた海上挺進第三戦隊の最高指揮官は戦隊長で、住民にとって天皇に匹敵する存在だった。絶対的な責任がある。
・当時、村の行政は完全に戦隊長の傘下に入り、戦隊長から村長や兵事主任に命令が伝わっていた。また、軍官民共生共死の一体化方針などもあり、住民は誰もが「集団自決」が戦隊長からの命令だと認識していた。
なお、ついでに拾った情報。
琉球新報2007.06.19付報道で「
『集団自決』検定 調査官『つくる会』と関係」
文部科学省の高校教科書検定で「集団自決」の日本軍関与について断定的記述をしないよう検定意見が付された問題で、日本史を担当した同省の教科書調査官の1人が、「国粋主義的」「戦争賛美」などの批判がある「新しい歴史教科書・改訂版」(扶桑社)の監修者と同じ研究グループに属していたことが18日、分かった。同教科書の関係者が検定過程にかかわっていたことで、その中立性が問われそうだ。布村幸彦文科省審議官が衆院沖縄北方特別委員会で明らかにした。川内博史氏(民主)への答弁。
文科省は1999年度に「新しい歴史教科書」の監修者、伊藤隆東京大学名誉教授を代表とする研究活動に科学研究費補助金(科研費)を助成。その研究グループの資料に、今回の教科書調査官の名前が研究分担者として記載されていた。この調査官は2000年4月から現職に就いている。
布村審議官は「扶桑社の中学歴史教科書の監修者として、伊藤隆という教授がいる。調査官になる前に、伊藤教授と科研費の研究グループのメンバーに加わっていた者がいる。現在は科研費グループとは一応離れているという形になっているが、そういう調査官が日本史を担当している」と存在を認めた。(後略)
はぁ、そういう方が教科書検定に関わっていたわけですか。問題は「つくる会」教科書の通過だけじゃないようで。