Apemanさんの「Apes! Not Monkeys! はてな別館」に気になる記事があったので、この前読んだ本にあった記述をエントリーにしておきたくなりました。
気になる記事とは、8/30付の「
否定論の「性暴力」観」。
記事内容は、「映画『南京の真実』製作委員会」代表の水島聡氏によってスタッフブログに記された「
強姦やり放題だったとすれば、慰安婦など必要無い筈」という見解と、
ほっけさんのブログコメント欄に出てきた「
似たようなことをほんの少し上品ないい方で表現」した人物の見解紹介で、Apemanさんはそれぞれの見解を
水島歴史学によれば旧軍が考えていたのはひたすら“将兵が性欲を充足させること”だけであり、強姦が多発していたのであればそれはそれで結構なことだ、と考えていたことになってしまいます。
(中略)
この(引用者注;似たようなことを表現した人物の)解釈によれば、日本軍は性病への罹患や占領地での強姦の発生といった事態への危惧が存在しないにもかかわらず、将兵の“福利厚生”のために慰安所を設置したということになります。
とまとめた上で、
慰安所制度弁護論の中には目的(=強姦防止)は間違ってなかったんだから…というものがあるくらいで、(中略)保守派・右派ですら多くの場合認めている大前提を否定してまで、この二人が守ろうとしているのは一体なになのでしょうか?
と立てた問いに
ヒントになるのが、二人の議論が性暴力をただただ「性欲」の問題としてのみ捉える態度を共有していることです。
との答を提示してらしたので、以下を抜き出しておきたくなった次第。
若桑みどり氏の「戦争とジェンダー」(大月書店 2005年4月発行)
理論的前提や「若者を死に赴かせる『男らしさ』」などの章を経た後の、第5章から、
「2 暴力と恐怖による他者の支配ーー戦争とレイプの相関 (P.171ー)」
、都合により一部(下線部)を本質的な意味は変わらない別の表現で置き換えています(注1)。
ベティ・リアドンは、この「勝者/敗者」という二分割こそ現代を支配する制度の価値観であり、そこでは「女々しさ」が軽蔑され、「男々しさ」が勝者の気質とされると書いている。この社会では、ベンヤミンが言ったような「こころのやさしさ」は、「女々しさ」であり、敗者の特徴なのだ。この社会の男は、思いやりややさしさではなく、権威と責任を推敲すべく「社会化(既存社会の価値観によって教化)」される。そのことによって、男性においては(中略)公的な世界では最悪の戦争を肯定するのだ、と。
現代社会は苛酷な社会である。というのは、現代を支配する制度は、権威をもつものがもたないものに抑圧的な支配を行うことを肯定し、合法化するからである。その根拠は、権威をもっているものはもたないものよりは優れているという信念にある。(中略)戦争は他者に対して暴力をもちいるということだが、現代社会での男性の訓練と社会化は、平生からこれを準備している。(中略)星飛雄馬は暴力的に野球を仕込まれるが、その父は理想的な父とされる。(中略)(ーP.172)
この前提を提示した上で、リアドンは「強姦の本質は、力と暴力を使って、あるいは脅して、人もしくは人びとに、従属と従順を強いることである」と指摘する。
また、この本では、性暴力に関する認識変化のきっかけも紹介されている。(P.172ー)
1975年、アメリカのジャーナリストで、女性への性暴力、児童虐待などを精力的に取材し調査していたフェミニスト、スーザン・ブラウンミラーが『アゲインスト・アワー・ウィル(我々の意志に反して)』を出版し、世界に衝撃を与えて、それ以後アメリカでは性暴力への法や見解が大きく変化した。
この本によって最も大きく変化したのは「レイプとは何か」という観念である。彼女が書くまでは、レイプは性的衝動に突き動かされた男性が犯す性的犯罪であるとして、ある意味で、男性性の過剰な発現でもあるかのように見なされていた。(この箇所で若桑氏の紹介するスーフリ事件・太田元議員発言・福田元官房長官発言は略)
彼女はこの「レイプ神話」を覆し、レイプとは(中略)ある意味でもっとも原始的な暴力的威嚇であり、それが男性社会で一般的に容認されてきた(中略)『恐慌状態にとどめておく威嚇装置』だとした。
力による他者の従属と支配を維持するための威嚇装置とは、そのまま軍事的国家の戦争イデオロギーに通じる。男が「力」によって他人を支配できるもっとも原型的な行為がレイプであるとするなら、戦争もまたそうである。
若桑氏は、以上のように、レイプと戦争の類似点を指摘した上で、以下のように続ける。
(P.174ー)
強姦がもっともその威嚇装置としての機能を爆発させる場、それが戦争である。なぜなら、そもそも戦争は、相手の財産、土地、奴隷を奪うために敵対し、殺し合う男達の修羅場だから、相手の「女」を奪うことは、戦争の重要な目的であり、かつ手段なのだ。なぜなら、戦争における強姦は軍事的効果が高い。それは相手への威嚇であり、侮辱であり、その士気低下を招く有効な手段であるからだ。ブラウンミラーが記録する戦争の歴史は、実際身の毛がよだつような「性暴力の歴史」である。歴史は告げている。戦争のあるところ、必ずレイプが起こったと。(中略)
「戦争のあるところに必ず」起こったレイプの歴史紹介は略。
(P.175ー)
戦場のレイプは、戦時暴力の一形態であり、「性的表現をもちいた攻撃である。それは、相手に精神的肉体的苦痛と死の恐怖を与えるために集団の面前で行われるのが普通であり、敵である男性に自分らの力を示すと同時に相手の無力を誇示する。(中略)集団による面前のレイプは、戦争の付随現象ではなく、それ自体「形を変えた戦闘」、非戦闘員に向けられた「攻撃と支配の手段」で(中略)「敵」の非戦闘員の男達に「おまえには、妻であれ、母であれ、娘であれ、祖母であれ、女達を守ることはできないのだ」ということを教える。その男性的名誉は完全に失墜する。犠牲者はさらに共同体の名誉、誇りを失墜させられた恥辱の記憶の表象として忌避される。これが「戦術としてのレイプ」である。
ブラウンミラーもまた、「古来侵略された側の男性にとって、自国の女がレイプされることはこのうえない恥辱だった。それは性を武器にしたとどめの一撃であった。強姦は自分たちを滅ぼす敵のもくろみとされた。女を強姦された男性は、男としての無力を思い知らされる。なぜなら、今も昔も、女をものにすることが男の成功のあかしであるのと同様に、女を守ることは男の誇りのあかしであるからだ。」(中略)とする。このことは、近年小林よしのりが「戦争論」で、若い男に戦争に行くように説得するために、「女は自分を守ってくれる男としか結婚してはいけない」とけしかけていること、また中山義活議員が「男は女を守り、国を守る」と発言していることに通じる。(−P.176)
そして、第二次世界大戦下のドイツ軍やソ連軍の強姦事件例とともに、南京事件を主とした日本軍の大量強姦事件が紹介される。また、これら強姦の事実が再び否定されようとしていること、とりわけ日本でその動きが強いことが、「国民の油断」にある記述「南京大虐殺はなかった。性奴隷としての日本軍慰安所はなかった。従軍慰安婦は性奴隷ではなく単なる商行為であり、彼女らは売春婦に過ぎない」といった記述を例に引きつつ紹介したうえで、若桑氏は以下のように続ける。
(P.186ー)
内外の、複数の継続的な調査と証言によって歴史的事実として国際的に認定されているこのことがらを、彼らはなぜ執拗に否定しなければならないのか。最初に考えられる理由は、戦争をこれほどに醜悪で、非人間的で、犯罪的なものだということを隠蔽し、否定するためである。それはむろん、戦争を美化し、肯定するためである。第二に、彼らは強姦を大したことではないと考えているのである。それこそは骨髄に徹した女性蔑視である。(略)
次の項「3 戦地における強制売春ーー従軍慰安婦 (P.188ー)」では、まず国際刑事裁判所規程が紹介され、「日本軍性奴隷を裁く女性国際戦犯法廷」の開催と、NHK番組改竄問題が紹介される(原稿執筆時は2005年1月で、番組改竄問題裁判は控訴中であったとのこと)。さらにアジア女性基金、クマラスワミレポート、教科書問題が紹介された後、この問題における研究概略が紹介され、以下のようにまとめられる。
(略)総合すると、慰安所を作っても強姦の防止にはあまり効果はなかった。それは、慰安所そのものが、女性の身体をモノとして提供するという非人間的な設備だから、そのような組織のなかでは兵隊にとって、慰安婦か強姦かという選択は、モノを内部で有料で使用するか、外部で無料で調達するかという違いにすぎなかったからであろう。
(中略)
死ぬことを前提にして苛酷で非人間的な組織のなかで希望もなく生きている兵士と、その兵士によって一日に70人にも「使用されている」慰安婦、そして死ぬまでに強姦されている占領地の女性、それはもっとも悲惨な構図である。小林よしのりは「明日をも知れぬ兵士の性欲を許せ!」と怒鳴っているが、それでは、その兵士に殺されたり、犯されたりしている植民地の女性の苦しみは見捨てていいのか?日本人の男性の苦しみだけを憐れみ、占領地の女性の苦しみはどうでもいいというのか?
むしろ、家族からも平静な暮らしからも男性を引き離し、明日をも知れぬ恐怖と絶望の極限状況におき、女を抱かせてごまかしていたのは誰なのか、そのすべての根源を暴くべきではないのか。あわれな男とその男に無惨に殺されたり犯されたりした女性のいる陰惨な構図をつくりだしたのは「戦争」であり、この一切に責任をもたなければならないのは戦争の最高責任者達である。歴史修正主義者たちは、なぜ、この自明なことがらにあえて背を向け、慰安婦達の尊厳を回復させることに反対し、彼女らが売春婦だったと喧伝して再度侮辱し、あらゆる汚辱をなすりつけ、すべての罪が戦争とその責任者にあることを認めようとしないのだろうか?(-P. 195)
…というような記述を含む書籍が手元にあったのでご紹介まで。
そもそも、Apemanさんの記事が非常に気になったというか、これをきっかけに、かなり気分がへこみました。
それは、水島氏やもう一人の見解によってではなく。Apemanさんの記事のコメント欄で、憤っている男性達(多分)の意見を読んで、自分が驚いていることに気がついたから。
例えば、とある集まりで同席した医学部の男性教員(60年代半ば生まれで当時30代前半)が、アルコール添加の四方山話で得意げにこんな発言をする「この前うけもった基礎配属の学生がものすごく美人だったんで忠告してやったんだ、おまえが医者になるのは世間の迷惑だって」驚いているのはその場では私一人。あるいは、とある医学系研究組織を訪れて耳にした技術職員の雑談で「○●先生(女性)って美人だよなぁ。医者なんかやるのもったいないよなぁ。銀座でホステスやればいいのに」…そして、周囲の男性達が同意している。
私の前にある社会がこんななので、、、私が「どうせそんなもんだろう」と鼻で笑ってすませた水島見解に怒り出す男性がいるという事実は、、、かなり気分が滅入りました。私個人の体験ですが、こういう件にああいう論旨で憤る男性ってネット上でしか見ないんですよね(^^;
「慰安婦」問題で、何が悪かったかを理解した上で、日本政府が謝罪する日って来るんだろうか……?
と、思わず遠い目になってしまいました。
注1;下線部は「家父長制」