歴史に語られなかった時代、「従軍慰安婦」という言葉は日本人に馴染みがなかった。(中略)かたや、戦記ものには「売春婦」さながらの「慰安婦」が描かれ、戦友会では酒に酔いながらノスタルジックに「疑似恋愛」を語る者やら「慰安所は心の洗濯場だった」などと懐かしがる者すらもいた。(中略)
「新しい歴史教科書をつくる会」やそれに同調する人々は(中略)「慰安婦」だった女性たちが語る体験については耳をかそうともしない。女性たちの証言の一部を取り上げ「矛盾がある」などと言ってはその証言の全体を否定、あるいは破壊しようとする。しかし女性たちが語る体験の中にこそ、日本軍「慰安婦」の実像がある。(中略)
加害側の元軍人や軍関係者らの証言はあまりにも乏しい。加害体験どころか元軍人からも「慰安婦は売春婦だったのだから何の問題もない」という発言すら飛び出す始末であった。(日本人「慰安婦」の中には公娼制度下の女性たちの姿もあったが、この論法はそうした女性たちを切り捨てるものであり容認してはならない視点である)
加害者が姿を現さない日本社会にあって、戦後、一貫して自らの加害体験を語り続けてきた人々がいる。中国帰還者連絡会(以下中帰連)の方たちだ。(中略)「平和のために過去の体験をありのままに語り継ぐことこそが私たちの責任だ」と(中略)
婦女誘拐
一般に、「慰安婦」の徴集形態はいくつかのパターンをもっている。植民地であった朝鮮や台湾などでは、就業詐欺や甘言による連行が多かった。しかし中国や東南アジアなどの占領地ではカづくの拉致的な連行が特徴的であった。
占領地での「慰安婦」連行の特徴は、1.日本軍が拉致したケース 2.日本軍がブローカーなどを通じて女性を集めたケース 3.地元の村幹部などに「慰安婦」集めを強要したケースに整理される。(中略)
昨年、洪祥進氏が発見した1937年の大審院判決は、上海の軍慰安所に女性を「慰安婦」として送り込むために誘拐して移送した事件について、国外移送目的の誘拐罪を認め、実行に当たった人だけでなく計画を立てた人も共同正犯として裁いている。(中略)刑法学者の前田朗氏は、大審院判決の意義について「(慰安婦徴集において)誘拐は犯罪と認識していたことが確認される」と指摘している。この場合は国外移送を目的にした誘拐罪(略取・誘拐・売買・移送)が問われた。南方の慰安所に船で移送された女性たちの証言には、誘拐罪=国外移送を目的とした誘拐に当たるケースが確認されている。
強姦所
元軍人の中には「慰安婦」を「商売の女」と言う者もいるが、その一方で戦後の早い時期に慰安所は「強姦所」であったと認識していた人もいる。撫順戦犯管理所に収容されていた時期、そう供述していた日本兵がいたのだ。(中略)
そこには「慰安婦」を確保し慰安所を設置することを村長に強制したことや、中国人と朝鮮人の2人の女性を拉致したこと、「慰安婦」の食事代100円は村民に支払わせたこと、2人を監禁し隊員15名が1ヵ月間にわたって女性を強姦したこと、「慰安婦」には昼間は洗擢をさせ、ときには酒宴の席に「慰安婦」を連れていき凌辱したこと、中国人女性は性病のため一カ月後に「追い返した」ことなどが記述されている。(中略)強姦ばかりか「慰安婦」に兵隊のための洗濯をさせたり酒宴に連れ出したりしているが、これまでにも「慰安婦」にされた女性たちの話には、こうした強制がたびたび出てきた。これらもまた、被占領民の女性に向かった性に基づく暴力であり、自尊心が破壊され恐怖のどん底の一体験として、深く心の傷(トラウマ)になっている。
性奴隷であった「慰安婦」
日本軍の「慰安婦制度」が性奴隷制として指摘されるようになったのは、国連人権委員会にこの問題が提起されてからのことだ。(中略)人権委員会は「慰安婦」を性奴隷(Sexual Slave)であると位置づけた。国連人権委員会で「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷制及び奴隷類似慣行の状況に関する特別報告者」に任命されたリンダ・チャべスさんは、(中略、予備報告書として)「強姦」を「物理的力、威嚇または脅迫の使用による同意のない性交」と定義し、「膨大な強姦の犠牲者を含む女性の尊厳と安全への基礎的権利の享受に特別に破壊的な結果をもたらす」と指摘している。
「慰安婦」だった女性たちが受けた被害は性搾取という強い側面をもっている。奴隷条約一条二項には「奴隷取引とは、そのものを奴隷の状態に置く意思をもって行う個人の捕捉、取得または処分に関係するあらゆる行為を含む」とある。また強制労働に関する国際労働機関のIL0条約(二九条)によれば、強制労働とは「ある者が処罰の威嚇のもとで強要され、かつ自己の任意に申し出たのではないあらゆる労働または役務である」と定義づけている。「慰安婦」が強いられた行為を「労働」と呼ぶにはあまりに実態的ではないが、しかし強制労働の定義にみられるように「慰安婦」は軍人の暴力や制裁に怯えて抵抗や拒絶ができない状況に追い込まれて性の強要を受けた、いわゆる組織的に集団強姦された女性である。「慰安婦」の徴集は「奴隷条約」に禁止されている実態、つまり性奴隷の状態に置く意思をもって捕捉されたのであり、まさに「慰安婦」は性奴隷であった。
日本軍「慰安婦」にみられる性奴隷制は、侵略戦争の下に女性に対して行われた性暴力を犯罪と認識せぬままに行われたものである。そこには女性に対するセクシズム(性差別)があり、アジアの国々に対するレイシズム(民族差別)があり、帝国主義イデオロギーがそれを推進させていったといえよう。(中略)
日本の責任
(略)日本政府は「女性のためのアジア平和国民基金」(以下国民基金)による解決を強行しているが、国民基金がまだ設立される前から、その提案を聞いた(注;『慰安婦』被害者の)女性たちは反対の意思を現してきた。「国民が募金したお金を支給するというやり方は、国家責任をはっきりさせないままに『国民の償い』という形でこの問題がうやむやにされてしまいかねない。私たちが求めているのは名誉の回復であり正義の実現だ」と。
女性たちは戦後、「慰安婦」体験を隠し続けてきた。それは家父長社会が生み出した女性の価値は純潔であるという貞操イデオロギーが、「慰安婦」体験をもった女性に「汚れた女」という烙印を押し、そうしたスティグマ(社会的烙印)に怯える女性たちもまた、自らその「価値観」を受入れて自己否定を続けたといえる。
しかし(中略)、女性たちの体験は彼女たちの個人的な「恥じ」ではなく、それは日本軍が組織的・制度的に推し進めた「慰安婦制度」下の女性に向けられた加害であり、かつ当時の国際法に違反した戦争犯罪であり、女性たちは重大な人権侵害を受けた被害者だという認識転換が起こった(中略)
戦時下における女性に対する暴力・性犯罪は、日本軍の「慰安婦」問題に止まらず、戦後も世界各地で繰り返されてきた。(中略)戦時下、武力紛争下、女性が強姦されることは「戦争だから仕方ない」「当たり前だ」との「普遍」に解消されることはあっても、それが戦争犯罪として裁かれることはなかった。(中略)被害を隠そうとする共同体の沈黙と封印があった。被害を受けた女性は、権力者の作り出す男性中心の価値社会の中で、自らを否定して生きるという不条理を覆すことができなかった。
「慰安婦」問題に象徴される不処罰、責任逃れをこのまま罷り通させてしまうのであれば、武力紛争下の女性に対する暴力は今後も止むことなく続いていくだろう。だからこそ、女性たちは、「慰安婦」問題の解決に戦時下の女性に対する暴力の根絶を訴え、「正義と公正の実現」を強く求めているのだ。(後略)
______________________引用終了
朝鮮新報 2007.6.2より、「
琴秉洞著『告発 従軍慰安婦』を読む」
______________________
1990年に韓国の「慰安婦」被害者金学順さんが名乗り出てから、17年という長い歳月が流れた。金さんは名乗り出た時に「私は民間業者に連れ歩かれたのではない。日本軍により駐屯地に連れて行かれ、動物以下の生活を強いられた。生きた証人がここにいる」と訴えられたが、その言葉は今も忘れられない。その後、金さんに続いてアジア各地から被害女性たちが名乗り出たが、よもや17年を経てもなお、日本の首相により「強制的に集めて管理した証拠はない」「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」などという発言が飛び出すとは、当時、誰が想像することができたろう。
泥靴で蹴散らす行為
本著でも紹介されているように、この十数年で発見された資料や積み上げられた調査、研究は枚挙に暇がない。日本軍が慰安所設置を発案し、慰安所の設置を指示し、「慰安婦」の徴集を統制し、アジア各地の慰安所に「慰安婦」を移送し、慰安所経営を指揮、監督したことは否定しようがない。しかし安倍首相は、こうした調査、研究を、そして血を吐くようにして語った被害女性たちの証言を、まるで泥靴で蹴散らかすかのように切り捨てた。
本著の第9章で取り上げられている中国雲南省拉孟の「慰安婦」については、私も数年かけて調査を行い、写真のお腹の大きな朝鮮人「慰安婦」が朝鮮民主主義人民共和国の朴永心さんであることを確認し、3年前に彼女と共に現地に調査に出かけた。
口封じ誰にもできぬ
朴さんが最初に連行されたのは南京市内にある「キンスイ楼」という陸軍の慰安所だったが、南京でその建物を見つけ、かつて入れられていた2階の「19号室」に足を踏み入れた時、朴さんは立っていることができずに床に崩れ落ちた。そして、「なぜ、私がこんなところに入れられ、慰安婦にされなければならなかったのか!」と、床を叩いて号泣した。あの日の朴さんの絶叫に似た嗚咽は、今も私の耳に鳴り響いている。いかなる権力を持っても、いかなる詭弁をもっても、誰も被害者の口を封じることも、この歴史を消し去ることもできない。
日本政府に「明確で曖昧でない謝罪」を求めるアメリカ下院決議を提出したマイク・ホンダ議員は、私のインタビューに対してこう話した。「一番大切なのは被害者の癒しです。決議に明記した謝罪が、長い間正義を得られずに苦しんできた被害者を癒すことができると、私は信じています。決議案は日本に恥をかかせるためのものではありません。その蛮行に苦しみ耐えて生き抜いてきた女性たちの正義を取り戻すことが目的なのです」と。
17年前、60代だった被害者たちは80代になり、「生きているうちに正義の実現を!」と訴えてきた女性たちも、かつてのように日本に来て自らの体験を証言することも体力的に難しくなった。被害女性たちに残された時間は少ない。それは、日本がこの重大な犯罪の責任を果たす時間も限られているということなのだ。
和解は、被害者にとって必要な癒しのプロセスである。しかし、真実と正義の希求なき和解はない。本著から、そんなメッセージが聞こえてくる。(後略)
______________________
在日韓国民主女性会 4・14女性国際戦犯法廷報告集会より、「
『女性国際戦犯法廷』は何を裁き、何を目指したのか」
______________________以下、抜粋引用
「女性国際戦犯法廷は何をめざしたか」
今回の法廷はもちろん50年前の戦争犯罪を裁く、日本軍「慰安婦」制度を裁くということで行われたものです。この法廷が、女性国際戦犯法廷をなぜ50年もたった今、このような形で裁きということで私たちが準備してきたのか、それはもちろん国際的な大きな流れのうねりの中にあった出来事でした。(中略)
今までだったら戦争のもとで強かんというのはもう「つき物」なんだと、戦争とはそういうものだ、というような考え方が支配的だった中で、これは「慰安婦」制度もそうですけども、レイプが、あるいは性奴隷が、戦争犯罪だということが認識されないままにきていて、(中略)処罰されないし、責任も問われない、それが戦争なんだ、戦争に強かんがあるのは当たり前なんだ、というような中で、繰り返されてきた。つまり不処罰が戦時性暴力を繰り返させてきたんだ、ということが指摘されるようになってきたわけです。
もともと女性の人権というのが国際的に「女性の権利が人権である」と、"women`s right are human`s right"これがスローガン化されたのは、たった7年前のことなんですね。私たち人類は女性男性が半々であるにも関わらずに、なお女性の権利が人権として認められるように声をあげられたのはたった7年前1993年の事でした。
この1993年のウィーン世界人権会議でこれがスローガン化され、そしてその年に「女性に対する暴力撤廃宣言」というのが出され、そしてここで初めて女性の人権、女性に対する暴力というのの、カテゴリー化が明確にされたんですね。(中略)
この国家による暴力というのが戦時下の、たとえば強制妊娠とか、強制移住のもとの性奴隷とか、そうした国家が組織的あるいは制度的に女性達に対して暴力を行う、これも一つの暴力として認定されてくるということになりました。つまり戦時下の性暴力を、明確に女性に対する暴力だと、ジェンダーバイオレンスだということをはっきり位置づけたのがこのときでした。
そして95年北京女性会議、このときもセクシャルライツ、性的権利について明確にされてきたわけですね。つまり女性の権利には、セクシャリティーに関して女性が自由に責任を持って決定していく権利があるんだということ、つまり性行為と女性の人権を結びつけていく視点、というものがはっきり明確にされました。その中で紛争下の女性に対する暴力というのは戦争犯罪である、というところがここで打ち出されたわけです。
ですから北京行動綱領の中では、日本の慰安婦問題に対して日本政府がいかなる責任をとる必要があるのかということで、3つを提起したわけですね。
その一つが十全な真相究明。二つ目が十全な謝罪補償。そして三つ目が十全な責任者処罰、つまり犯行者の訴追でした。(中略)しかし日本社会の中で「何を今更」、「日本はドイツとは違うんだ、日本の中で今更50年も前の責任者を裁くなんて処罰するなんて、戦犯を追及するなんて日本にできるわけがない、今そんなことをしたらかえって右翼を刺激するだけで、非現実的だ」という声も一部にあったんですね。(中略)
「戦時性暴力は戦争犯罪」
日本の中では民事裁判が、慰安婦裁判は8件提訴されましたが、次々にそれが否定されてしまうという状況の中で、もはや女性達が長らく求めてきた正義の実現ということは、現実的には非常に出道なき正義というような状況があったわけです。
こういった中で1997年、東京で世界中の今の現在の武力紛争下の下で、闘っているあるいは被害を受けた女性達をケアしている女性達が、東京に集まりました。その時に今現在世界ではどのようなことが起きているのかということを交換し合った中で、あまりにも今現在世界では大変な状況が繰り返されているということ。そしてそのような状況というのは、「処罰がされてこなかったということに非常に大きな原因があるんだ」ということが明らかにされたわけです。(中略)
「民衆法廷が持つ意味」
このように今現在おこっている状況を見ると、やはりこれはきちんとした責任が問われていないということが。なんとかこの不処罰を断ち切ることができないかということがひとつのきっかけになり、そして私たちは日本にいる女性として何かできないだろうかと考える中で、民衆法廷というのがひとつの案として発案されたんですね。
今回女性国際戦犯法廷は民衆法廷だったんですけれども、法廷が終わってからの方がむしろ右翼の攻撃が激化してまして、中には『諸君』だの『正論』などでは盛んに書きたてられてますけれども、ひとつには「民衆法廷は法的拘束力も権威もないだ」っていう、つまりまずは権威を落とすというので、法的拘束力がないんだっていうことを中傷として使ってるんですね。
実は民衆法廷というそのもの自体に非常に大きな意義を持っているものでした。(中略)民衆法廷としてやろうというひとつのきっかけになったのが、かつてベトナム戦争犯罪の下でアメリカの戦争犯罪を裁いたラッセル法廷という案だったんですね。このラッセル法廷というのは哲学者のバートランド・ラッセル、そして哲学者のジャン・ポール・サルトルは会長ですけども、が提唱しそしてラッセル法廷を開きました。このラッセル法廷を開いたこのときに、ラッセル達がまず確認し合ったことは、「沈黙の犯罪を許してはならない」ということだったんですね。(中略)「私たちは黙っていることによって犯罪に荷担してはならない」と、つまり「沈黙の犯罪を破る」ということで、このベトナム戦争でひどい事が起こっていることを告発するためラッセルを中心に世界の人々が集まって民衆法廷を開きました。
この法廷の中では法廷はもちろん、いかなる政治にもいかなる権力にもいかなる権威にも支配はされないし影響されない、そしてこの法廷の唯一の権威は、正義であるということ、そして民衆法廷であるからこそより正義を追求できるんだということ、そしてこの法廷の唯一の力は真実の力であって、人間の良心に訴えるのだということを、法廷の中で位置づけていったんですね。(中略)しかし残念なことにラッセル法廷でさえ、ベトナム戦争下で繰り広げられた女性に対する暴力、レイプというのは全く裁かれていない。裁かれないどころか、日本の中でも調査委員会をつくり、これだけ世界の人々が戦争犯罪許さないと立ち上がったにも関わらずに、女性に対する暴力というのは捜査対象に入っていなかったんですね。ですから裁かれることもなかった。
ということで東京裁判もそして戦後のこうした民衆法廷ですらもまた抜け落としてきたジェンダーという視点で、もう一度戦争犯罪を裁き直そうということで今回の法廷が設置されたということが言えます。
20世紀というのは、人々が、社会が暴力によって破壊された世紀だったということが言えますけども、こうした破壊からの再生、あるいは分断されそして壊された関係性を、いかに修復しいかに再生していくかという具体的な取り組みの中で、「和解」ということが取り上げられています。
しかし「和解」というのは、それに対して行った加害側が何も自分たちの責任を負いもしない責任を認めようとしないで、一足飛びに「和解」なんていうことが、おこるはずがないわけですね。責任を明確にしていくということなくしては謝罪もありません。責任があるから、罪を認めるから謝罪があり補償があるわけで、やはり責任を明らかにするということはさけて通れないということだったわけです。(中略)
「被害回復から見た「法廷」の意義」(略)
「『慰安婦』制度は人道に対する罪」
私は先日3月20日の東京での法廷報告集会の時にもお話したんですけども。まず一つ、この「慰安婦」制度が人道に対する罪であることが、この法廷では明らかにされました。このことは何を指すかというと、「慰安婦」制度というものの強制の図式というのは、まさに暴力による奴隷化であったという事、そして「慰安婦」とは明らかに性奴隷であったという事。ある一部の人達は未だに「慰安婦」は商行為だというようなことを繰り返していますが、明らかに性奴隷であったということ。そして国際法違反だったという事をあらためて明確にしました。これは判決文 summary(まとめ)予備手続き事実認定の中で明記されました。
共和国からいらしたキム・ヨンスクさんが証言に立ちました。まだ幼かったときに連行され、もちろん性体験はしてないわけですね、軍人があまりにも幼かったため、キム・ヨンスクさんの膣をナイフで切って切り開いて強かんしたと、その時のあまりの痛みに失神してしまうんですが、そのヨンスクさんを軍人はレイプをした、というところから彼女の「慰安婦」生活が始まったということを話をされました。
先ほど出てきたハ・サンスクさん中国に連れて行かれ、そのまま中国に暮らしている方ですが、ハさんも、もちろん体験はないわけですから、次から次へと軍人が来る中で火が燃えるように熱くて痛くてトイレにいく事も出来なかったけれども、軍人はたとえ生理の時であっても容赦しなかったということ。
あるいはムン・ピルギさん、この方は韓国からいらした方ですけど、奴隷のように連れて行かれ、いうことを聞かないとやきごてを体中に押しつけられた。ムンさんは体にやきごてのケロイドのあとが残っていました。
それからチョウ・オクスンさんは逃げようとして棒で殴られ、舌や性器や胸に入れ墨をされた。舌は麻痺して話をすることも出来なかった。あるいは1日に何回も強かんされた、裸になって踊れといわれたこともあった、殺されるかも知れないといつもおびえていた、という証言をされた方。あるいは脅されて避妊の薬を飲まされ軍医に強かんされた事もあった。他の女性と話すことも出来ないで言葉もわからない土地で逃げることさえ出来なかった。
よく右翼の人たちは「いやなら逃げればいいじゃないか」という言い方をするんですが、とにかく逃げることが出来ないということ、これは「あなたはなぜ逃げなかったんですか」と質問された検事もいましたけども、「逃げることなんか出来なかった、出来ないんだ」ということを女性達は非常に強く言ってたんですね。 またある方は慰安所にいたときに梅毒になってしまって、戦後解放されてから結婚したけれども、産まれてきた子供に梅毒が感染して、耳の聞こえない子どもがうまれてきたという戦後の苦しみ話をされたり。
あるいは台湾の高寶珠さんは「逃げるなんて出来なかったんだ」と、「逃げるということは自殺するしかなかったんだ、で私も自殺しようとしたけれども成功しなかったんだ」という話。
また中国の袁竹林ンさんは、この方は優しい軍人もいたという事をひとつの事例としてお話になりましたけども、しかし慰安所にいた中で「軍人達は私を愛してなんかいなかった、軍人は私を快楽の対象、性のおもちゃにしただけだった」というお話をされました。
それから証言途中に倒れられた万愛花さんは、逃亡してまた連れていかれ、ということを繰り返すんですが、ひどいときは木に縛り付けられてその状態で暴行された、最後は瀕死の状態で川に捨てられた方ですけども、そんな話もしたんですね。
台湾の廬満妹さん、この方も先ほどビデオに出てきた海南島に連れて行かれた方ですが、17才の時に給仕の仕事だとだまされて海南島に連れて行かれますけども、「慰安所はチケットが売られており私たちの生活はチケットを何枚売るかそれだけだった。脅され自殺することも出来ず生きていくために仕方なく彼らの命令に従った」と、そういう風にいわれました。
つまり、生きていくために命令に従うしか生きることが出来なかった、ということなんですね。
それとインドネシアのスハナさんは「抵抗したら軍人は『生きたいかそれとも死にたいか』と脅した、私は生きたかったからあきらめるより仕方なかった。まるで刑務所に入れられた囚人のような生活だった」っていう、これは本当にたったいくつかの例ですけど、このような壮絶な体験の証言が次々に繰り返されました。
このように被害女性が証言で明らかにしたのは、まさにこの奴隷化の正体というのは、暴力と脅迫によって命令の絶対性を確立し、そして女性達を精神的身体的に支配し、そして降伏状態に陥れたという、こういうことではなかったかと思います。
「ジェンダーと沈黙の関係性」
それから2つ目はジェンダーと沈黙の関係をこの法廷は明らかにした、という事が大きかったと思うんです。「沈黙を破る」というのはひとつはもちろん被害者の沈黙を破るということはもちろんあります。これは言い換えれば、被害者の沈黙は、被害者が自ら破ったんですね。自ら破って被害者は自分の体験を語った、その声に対して耳を傾けるということが、この法廷の大きなひとつの目標でありましたけども、しかし今回の法廷がめざした「沈黙を破る」というのは、ひとつは「加害者の沈黙」、そしてもうひとつは「法の沈黙」だったんですね。
ジェンダーと沈黙の関係を明らかにしていくとはどういうことかというと、これは判決文のサマリーの中にも書かれましたけれども、女性達の苦痛が、自らの地域社会にかえったときから、人々に拒否されることで一層ひどくなったと。つまり慰安所にいたときはもちろんですけども、戦後女性達被害女性が地域にかえったその途端に、さらにその被害が一層ひどくなった、ということをこの判決が明確に指摘したんですね。
これはなぜかというと、性暴力被害女性に「汚い女」あるいは恥の烙印を押し、女性達を周縁に追いやってきたものはいったい何だったのか、そうした家父長制下の、女性の価値を貞淑、あるいは純血、あるいは貞操と、そういったところでとらえていく貞操イデオロギー、あるいは男性中心主義の仕組みと秩序、家父長制パラダイムと、そういったものを再定義していくということが、この法廷の中でも行われたわけです。
この前9月に来たときに少し話したかも知れませんけど、この「ジェンダーと沈黙」のところで非常にわかりやすいのが、「慰安婦」は性奴隷ではないといっている1人の漫画家の小林よしのりさんの意見をちょっと見てみたいと思うんですね。小林よしのりさんは「新ゴーマニズム宣言」の中でこういうことを言ってます。「日本の女性にだって悲惨な過去はあるのだ。満州にソ連軍が攻めてきたとき日本の女性はソ連兵に夫や家族の前で犯され阿鼻叫喚の地獄絵図。この時身ごもった女性は博多の引き揚げ者収容所で中絶したりしたらしい。しかしこれらの女性はその後貝のように固く口を閉じ、決して語らず胸に秘め事実すらなかったかのようになっている。日本の女はすごい。ワシはこのような日本の女を誇りに思う。」この小林さんのいわゆる男のメンツをつぶさない−妻が、家族が、あるいは同胞の女達がレイプされたということは、夫あるいは家族の男たちの、あるいは同胞の男のメンツをつぶすことであると。ですから日本の女性がレイプされたことを黙っているのが誇らしいというのは、日本人の男性である小林よしのりの男としてのメンツ、つまり「身内の女がレイプされたことは男として不名誉だ」という捉え方にあるわけです。
こうした女性の沈黙というのを讃える底には、男性の名誉を守るから誇らしいという、こういう考え方があるんじゃないかと思います。そしてこの考え方の元は女性というのは男性の所有物であって、そして家父長制度下のそうした女性の地位の問題でもあると思うんですね。これはアルジェリアやウガンダの女性達とも話をしたときも全く同じ状況なんですね。つまり戦時紛争下でレイプされた女性達を、家族の父親が娘を殺してしまうということが起こったんですね。これはどういうことかというと、レイプされたということは家族の不名誉だという思想があるわけで、そうした悲劇も繰り返し起こっているわけです。
「国際法の沈黙について」
このことに対して、この間国連の特別報告者であるマクドウーガルさんがこんなことを指摘していたんですね。つまり国際法にもまた、こうしたいわゆる強かんの問題を名誉の問題とすり替える視点というのがあるんだということ。これは今回の女性国際戦犯法廷の判決文にも、「国際法もまたジェンダー偏向がある」と指摘されています。
例えば1907年のハーグ陸戦条約の法規慣例に関する条約46条で、戦時下の強かんを犯罪であると規定する国際法なんです。しかしこの46条はどういう視点かというと、「家族の名誉と権利の保護の保障」なんですね。つまり強かんは家族の名誉と権利を侵害するからいけません、という規定なんです。つまり、強かんされた被害者の女性自身が、被害・人権侵害を受けるからいけないというのではなくて、強かんされると家族が名誉を侵害されるからいけないんだということなんですね。という事は国際法にもまた男性の中心主義の視線がある、男性のパワーポリティクスの産物であるということも言えるわけです。
こうしたこの国際法に対してマクドウーガルさんはこのようなことを報告書の中で述べてます。「これは強かんの罪を含んでいるが、強かんを暴力行為ではなく名誉の侵害とする考え方であり、こうした考え方はこの犯罪の暴力的体質をあいまいにし、焦点が、加害者が犯し侮辱し傷つけようとした意図から、被害者が恥辱を受ける方へと不適切にずらされてしまうんだ」ということ。(中略)
この民衆法廷の中で、戦時下のこうした性暴力というのは、「名誉の問題ではない、戦争犯罪である、人権に対する罪という犯罪を犯したものであって女性達が受けたその行為というのは女性達にとって恥ずかしいことでも汚い女でもないんだ」ということを国際法のもとに明らかにする、というプロセスを通して国際法をまた育てていくと、いうことのひとつの契機になったんではないかと指摘をされました。
女性達の証言の中でもそれが非常に出てきたんですね。つまり私はもう汚い女だとか恥ずかしい女だとか、そうした考え方気持ちのもと、つまり自己否定をしてきた中で、戦後より苦しんできたという実態が多くの方から話されました。
例えばムン・ピルギさんが「私はこのまま処女の亡霊となって死にたくなんかない」とおっしゃったんですね。女性にとって処女を奪われたということは大変なことだと、「私自身がその時点で私でなくなった」ていう程に大きな、自分にとっては否定的な経験だったという事も語られてます。
またトマサ・サリノグさんもこの「慰安婦」にされたばかりに大変な社会的な視線があったわけですけども、「生きるために色々なことを耐えてきた、しかしどうして自分を守っていいかわからなかった、私のことを日本軍の残り物、日本軍の余り物という人もいた。」と語っています。
台湾の林沈中さんも「私は汚い女とみなされて生活のすべがなかった。」 それからイアン・アパイさん、先ほど出てきましたが、彼女は結婚されましたけれども、そのたび離婚になってしまったんです。死別された夫もいましたが。3回離婚されているんですが、「私は結婚したけれども夫は私の過去を受け入れられなかった」、タロコ族、これは現住民族のひとつですが「タロコ族では処女性が重視されているから、過去がばれてからは受け入れられる事がなかった。何度も自殺しようとしたけれども死ぬことも出来なかった。自我が割れたような思いに苦しんだ」という証言をされた方もいました。 このような女性達が、そしてオランダのオヘルネさんも証言の中で、「慰安婦」の被害にあった女達に戦後はないんだっていうことを訴えられたんですね。(中略)
「判決ー『天皇ヒロヒト有罪』」(略)
「加害兵士の証言の意味」(略)
「なぜ日本人『慰安婦』問題を起訴したのかについて」
それから先ほどもいいましたけど、日本の検事団は日本人「慰安婦」を起訴したんですね。今まで日本人「慰安婦」については、特に公娼制度下の女性達が多いために、なかなか被害国の女性達から受け入れられないという事があったんですね。(中略)
なぜオランダ人がインドネシアにいたんだというのと同じように、日本人「慰安婦」が被害者として出ることに対して、「何で日本人、私たちが日本人と同じとは思えない、被害が同じと考えることが出来ない」という、やはりそうした気持ちがあるわけです。
そしてそれは現実に待遇によってもそれはありました。ビルマにおいても敗戦前に戦況が悪くなって、日本人「慰安婦」は、先に避難して逃がされて帰国することができてるんですね。 また将校用とか、そういった慰安所の中においても階級的な落差を付けてましたから、全く同じと言えないという事は確かに現象としてあるわけです。(中略)
これはもちろん、証拠資料があるから被告としてあげたんですけども、このときに、やはりもう一回問題提起としてしたかったのは、もちろん国籍が日本人という事もあるけれども、しかし日本人であれば誰でも「慰安婦」にしてよかったのかと言えばそうではない。 日本人「慰安婦」の中にも、例えば農山村の娘身売りの結果、公娼に入れられた公娼制度下の女性として境遇を得た女性、あるいは人身売買の結果慰安所に送られていった女性、あるいはだまされて慰安所に送られていった女性が、日本人の中にもいるわけですが、そのようなこの日本人「慰安婦」という例を出す事によって、ひとつはレイシズムと共に階級差別の問題も明らかにしていこうということがあったわけです。
出身によってその出自によって、「慰安婦」の被害を分けることはあってはならない。その被害を受けた女性が、処女であったのか売春婦であったのか、あるいは強制か強制でないか、そのようなことで「慰安婦」制度の被害者を選り分けていくのではなくて、あくまでもその制度、その企画命令遂行を、最後まで押し進めていったその制度自体を、問うていくという事をしなければならない、ということを議論をしたわけですね。
これはまだ議論の途中で全く結論が出ていることではないんですけども、日本側ははあえてこれを出しました。この中で裁判官があとでこんな事をおっしゃってたんですね。「今回法廷に日本人『慰安婦』が出たことでようやく『慰安婦』制度の全体像が見えてきたと思う。しかしこの法廷にひとつだけ欠けているものがある。それは日本人『慰安婦』の被害女性が出廷しなかったことだ」という風におっしゃいました。
このような日本社会の中で、日本人「慰安婦」であった女性達が公式に名乗り出るという事は大変困難な状況にあるわけですが、そうした課題も一つ提起することになったんではないかと思います。
「NHKのETVの番組改編問題」(略)
「死者を被告にしたことについて」(略)
「教科書問題をめぐって」
(中略)
「慰安婦」問題を書いていないこの歴史教科書の執筆者の1人の学習院大学の坂本多加雄という人がいるんですね。この坂本多加雄が「『慰安婦』なんて絶対に教科書に書かない」ということをずっと言ってきた。彼がなぜ書かなかったかという事の中に、「『慰安婦』というのはトイレの歴史だ」って書いているのですね。「トイレの歴史を何でこの日本史の中に書かなければいけないんだ」という事で、とにかく、「トイレの構造の歴史や日本の犯罪史は確かに我々の日常生活に関わるものではあるが、それは通常日本史を構成する際の必須の事項とはいえない」と、延々とトイレの歴史、トイレの歴史とくりかえしているんですね。こういう方はもし自分が逆の立場で、自分の娘があるいは妻があるいは恋人が同じような目にあったら、本当に憤慨しないのだろうか。ものすごくエスノセントリズムに凝り固まっている。つまり歴史実証主義でさえもないというところもあるんですが、このようなこと、こういうスタンスの中で「慰安婦」は無視され、与謝野晶子は弟が家業を継がなきゃいけなかったから「君死にたもう事なかれ」といったって別に反戦思想者ではないと、家制度の存続を願った歌なんだっていう風に書いてあるんですね、その教科書に。(後略)
______________________引用終了
女性国際戦犯法廷での中国帰還者連絡会に属する元兵士お2人の証言;
「NHK・ETV特集から消された戦場の証言」は中帰連のこちらのコンテンツで読めます。