kuronekoさんのブログでのやりとり。
コメント欄にて下等遊民さんが紹介した田中優子氏の言葉
「「ナショナリストは日本が好きなはずなのに、絶対に着流しの着物に三味線を持って小唄(ラブソング)なんか歌わない。ナショナリストが好きなのは、どういうわけか着物ではなく軍服と日の丸で、三味線と唄ではなくて軍歌と君が代なのだ。軍服で死んだ三島由紀夫も、ギリシャ文化が好きで江戸文化は嫌いだった」をきっかけに、あがったエントリが「
江戸時代の位置づけ」
でも、私は、
言いふらしたいネタがあるから軍服と日の丸の時代に注目。
またしても、
森本忠夫氏の著書「貧国強兵」をひもといてしまうと、1872年(明治5年)時点の、日本の有業者総数に占める農林業従事者比率は72.6%だったという。20世紀に入って1910年(明治43年)でも有業者総数に占める農林業従事者比率は64.3%、昭和に入って1930年(昭和5年)には47.1%。
これだけ農林業に従事する人が多ければさぞかし農業立国として立派に…と思いきや。
1935年(昭和10年)時点での、農業用地の人口密度は1平方キロあたり1155.3人だそうで、アメリカの94.3人に比べると実に12.3倍。国土の狭そうなイギリスと比べても日本の方が4.8倍もある。
そして、日本の場合は、特に貧農が多く1888年(明治21年)時点で、47.2%が耕地面積が0.5町以下(1町は9917m2と、ほぼ10000m2に近い単位らしい)の零細農家、これは1940年(昭和15年)時点でもあまり変わらず 48.6%が0.5町以下の零細農家。
この路線を、農村部だけに限らない話に広げると。
個人所得を5クラスに分けた所得分布の最下層に集中する人口比は1887年(明治20年)から1919年(大正8年)までの間、82-91%の推移を示したという。
この時代はつまり、約8-9割もの人が極貧層に甘んじさせられていた時代という訳だ。1937年(昭和12年)頃には相当減ったらしいが、それでも50%程、人口の半分が所得分布の最下層であったという。
これら極貧層に属する人達の生活は、
紀田順一郎氏の「東京の下層社会」(筑摩書房 2000年3月8日第一刷発行)に詳しい。これもまた最近読んだ本だが、amazonの書評を見るだけでおなか一杯になりそうな凄まじい内容なんだな。
なのに、その間、「富国強兵」の国是の下に、低い時でも30%、
高い時には90%、歳出から直接軍事費に充てられていたのだそうだ。
そういう訳で、ちょっと考えてしまった。
軍服と日の丸がお好きな方たちが、その憧れている時代に生きていたとしたら。
その人達はどういう立場にあるんだろうな、と。
ひもじい思いや辛い思いをせずに生きていける確率はかなり低いだろう、としか思えないんだけど。