もちろん購入後すぐに読んだ本ではあるが、今この時期に再度読み返した。この本で主に取り上げられているのは国家暴力(ここでは主に戦争)への女性の動員と、対抗暴力(ここでは主にテロリズム)への女性の動員であるが、いわゆる「従軍慰安婦」問題も取り上げられている為だ。
上野氏が「従軍慰安婦」問題に言及したのは、これよりも前の著作「ナショナリズムとジェンダー」(1998) があったので、そっちも読み返したいのだが、あいにくと友人宅に出張中だ。ただ、上野氏の「ナショナリズムとジェンダー」における「従軍慰安婦」に関する言及は、本職の歴史学者方面からは相当な批判を浴びてはいるらしい。それでも私は、1998年の著作を読んだ時は衝撃を受けた。何故、元「慰安婦」達が声を上げるのが最近だったのか、鮮やかな説得力をもって解説してあったからだ。
一方、「生き延びるための思想」での「慰安婦」問題は、本筋とは少し離れた位置に位置づけられているような気はするが、1998年の著作で浴びた批判をふまえ、ここでも言及される「従軍慰安婦」の記述は重いと思うので、少し、メモ的に抜きだしておきたい。
まず、第2部で「記憶の語り直し方」と題された章のP.132で、上野氏はフェミニズム文学批評の理論的貢献を四つにまとめて提示する。
一つめとして「エイジェンシー」の概念の導入。「エイジェンシーは行為体という訳語を与えられる事があり、『主体を通じて言語が語る』」。
二つめとして「読者」の発見。「『主体』が語りのプロセスの産物であるとすれば、語りの遂行は読者の関与によって左右される」。
三つ目として「文学というジャンルそのものの解体」「文学作品として出版市場に出回るテクストだけを、文学として認識するのではない」。
最後の四つ目として「精神分析のフェミニストによる読み換え」。これが一番重要なので、強調を入れつつ引用すると「フェミニズムは性犯罪に対するパラダイムの変化をもたらした。これらの経験は何よりもまず
被害者にとってトラウマ的な経験であり、そのうえ
社会からスティグマを受ける。従って、
女性は二重の意味で沈黙を強いられてきた。(中略)この経験の再定義は過去にさかのぼっても行われることができる。この
『経験の再定義』のおかげで、女性は自分自身を責めることをやめて、加害者を告発できるようになったのである。(中略)この事情はトラウマ的でスティグマ的な記憶の場合にはとりわけ当てはまる。記憶を回顧する過程で、語り手は過去にさかのぼって自分の経験を再定義し、それをより受け入れやすい語り方の中に統合することができるようになる。」
ここで重要になるのは、特に4と2,1も少し。これをふまえて、以降のP.134-135にて、以下のように「従軍慰安婦」問題が述べられる。
_______________引用開始(強調は引用者による)
(前半略)1991年に金学順さんをはじめとした三人の韓国人女性が、強制性労働の被害者として初めて名乗りをあげたとき、それが与えたショックは二重だった。ひとつは生きて地獄を経験するような経験のすさまじさに対して。もうひとつは
半世紀にわたる強いられた沈黙に対して。
トラウマ的な経験はさらにスティグマ化されて二重に彼女たちを抑圧し、沈黙を強いた。
奇妙なことに、事実はあらためて「発見」されるにおよばなかった。多くの兵士たちは日記や回想録のなかで、「慰安婦」との接触を、少しも恥の意識を持つことなく記述していたからである。パラダイムの変化のおかげで、彼女たちの経験は「軍隊売春」から「性奴隷制」へ、すなわち
軍隊によって組織的に継続された強姦へと、見方が変わったからである。犠牲者性の構築はここでは決して彼女たちが弱者だということを意味しない。むしろそれは彼女たちをエンパワーするものだった。というのはそれによって、
「犠牲者の恥」は「加害者の罪」に置き換えられることができたのだから。語り得ない過去を語ることによって、彼女たちは歴史にエイジェンシーを回復することができた。
この
パラダイムの変化に、聞き手の存在は重要な役割を果たしている。韓国女性運動の高まりの中で、性犯罪についてのパラダイムの変化が、もと「慰安婦」の証言に先立って成立していたからである。最初の証言者、金学順は尹貞玉をはじめとする韓国女性団体の呼びかけに応じて名乗りをあげたのであって順番は逆ではない。生存者の証言は、女性の集合的なプロジェクトの共同の産物というべきものである。というのは、証言のまえに、すでに耳を傾ける準備の整った聴衆が存在していたのだから。
_______________引用終了
そして、P.142では、こうも述べられる。
_______________引用開始
「軍隊売春」から「性奴隷制」へのパラダイムの変化は、彼女たちに新しい語り方をもたらした。それがなければ、彼女たちのメッセージは届かず、理解されることもなかっただろう。
_______________引用終了
…このところの「日本政府の河野談話見直し」や「米下院の慰安婦決議」を受けた、首相の発言や新聞報道、あるいはブログ記事をみていたが。
現首相やそのシンパ(ネット上のを含む)の意見には、もう、なんと感想を言語化したらいいやら途方に暮れる。そういった歴史修正主義者に対して、反論している誠実な皆さんの努力と忍耐に頭が下がるばかり。
「商行為だ」「軍隊売春だ」「狭義の強制はない」と主張する人達は、きっと、デートレイプや夫婦間の強姦の概念は理解せず、セクハラは個人の男女の問題って言い出す類の人なんだろうな。…もろに「慰安婦」問題を、男女の話だとコメントしている人もいたっけ。
「性犯罪に対するパラダイムの変化」が定着済みのアメリカ議員達と、「性犯罪に対するパラダイムの変化」がない日本の歴史修正主義者たちって事なんだろうか。
話が噛み合っていないのも仕方がないのか。そして、エクストラレポートルームさんの
「『昔、それが当たり前だと思って人々が過ごしていた時代があったけど、今は違うんだ』、この時代感覚が幻でしかなく、『その時代』は当時から現在に至るまで連綿と続いていたのだという事が示されている。」の意見に首肯するばかりだ。
そういえば、上野氏の著書「ナショナリズムとジェンダー」において、長きにわたって韓国人・元「慰安婦」の人達が沈黙せざるを得なかった要因のひとつとして、「韓国の女は韓国の男のモノであり、それを守れなかったのは韓国の男の恥」みたいな意識があるとの記述があった。その時は「そういうものか」程度の意識で読んでいたが、後に、仕事がらみの飲み会で(出席者は男性ばっかり)、その集団に以前所属していた女性がヨーロッパ人男性と結婚したという話が出て「外国人に取られるとは」「日本人と結婚するならともかく」と一同悔しがっていたのを見て、そういう意識って一般的にあるものなんだと感心したことがあったな。
もう一つ、国家賠償に関して解決済みという意見も見聞きするので、以下の言及を紹介しておきたい。
上述の引用箇所より前になるが、第1部の「市民権とジェンダー」と題された章にて。
_______________P.37より引用開始
市民権の基本には、個人の生命と財産の補償が含まれる。ところが、国家による生命と財産の補償は、同時に国家による生命と財産の召還が結びついている。本来ならば市民と国家が双務契約に入ったときに、生命と財産の補償がミニマムな条件であったはずなのに、それが国家の名において国民の生命と財産を召還するのは、契約違反にはならないだろうか。(中略)国家のために死ねないおまえは日本人を降りろという脅迫に対しては、「そこまでは契約した覚えはない」と、反論することができる。私の生命と財産は、国家に属さない。私と国家との双務契約は包括的な契約ではなく、限定的、部分的契約に過ぎないという考え方は、徴兵拒否の権利にもつながるし、「慰安婦」訴訟における個人賠償権の論理にもつながる。
2003年8月31日付け「朝鮮日報」は、韓国の元「慰安婦」を含む太平洋戦争被害者300名余が「韓国政府の無関心と無責任に抗議して」、国籍をもつことに伴う全ての権利の放棄とひきかえに、国籍放棄書を提出すると報じた。高齢者の場合は年金権が含まれるから、「国籍に伴う権利」の放棄は相当な犠牲を伴う。(中略、現実には国籍放棄は受け付けられないであろうとの予測が述べられる)国籍を離脱した人々の個人賠償請求に対しては、日韓両政府は日韓条約を持ち出すことが、論理的に不可能となる。(中略)国家との契約が自分の権利を侵害するなら、その契約関係を破棄する自由を認められてもよい。
_______________引用終了
上記の朝鮮日報の記事は
こちらで読めるし、それに先立つ動きは
これとか
これ。
この行動に関して感想は人それぞれにあるだろうが、私はそれほどの無念なのかとうなだれるばかりだ。
うーん、なんか気分が凹んでるぞ。
…今回メモっておいたのは↑がらみだったけど、どうせ取り上げたのだからこの本では好きな一節もついでに引用。
_______________p.239より引用開始
(略)革命思想の中にも「死ぬための思想」が厳然とあって。連合赤軍は実に見事に死ぬための思想だった。右であれ左であれ、死ぬための思想は世に満ちています。それがヒロイズムというものの核心にありますものね。自己犠牲って、家族や恋人のためとは言いながら、その実、他人のためではなく、自分の奉ずる理念や思想のために、自ら進んで殉じるのだから、究極のマスターベーションですよね。(中略)国家とか民族とかいう価値は、命を賭しても守るべきものだと信じたい人達がいる。(中略)そういうヒロイックな価値に向けて男達を競い合わせるような、うまいしくみもできています。だから、より過激に自己犠牲に走る人間を、男達は決して悪く言えないんです。生き延びた男は必ず負い目を持ちますからね、臆病者、と。
女もヒロイズムは好きですよ。というか、男にはヒーロー願望があり、女はヒーローの男が好き。女だってヒロイズムに向けて男を駆り立ててきた点では、共犯者でもあります。
_______________引用終了
_______________P.255より引用開始
そう、アンタたちにいつまでもアタシの代弁はさせないっていうことね。そういう場所から生まれる思想は、「命より尊い価値」などと口が腐っても言わないような、やっぱり「生き延びるための思想」だと思いますね。
_______________引用終了
やっぱ、生き延びてこそ、だよね。