書かなきゃいけない申請書を「集中力がでなーい」などとほざきつつ唸っていたら、突然、何かが降りてきたかのように(憑いたともいう)文章が書けてしまった。こーゆーのは、締め切りが目前に迫ってくると(ワタシ的には)ちょくちょくある。そこで、締め切りまでの
残り時間と集中力が反比例する法則というのを発見したと技術スタッフ相手に主張しすると、馬鹿にされてしまうのである。
しかし、短期集中で一気に文章を書くと、それが終わると開放感を伴った疲労感でくたくたになってしまう。こういう時には、気分転換が必要。という事でネットにさまよい出すのが通例ではある。
そして、こういう時に間違って、堅い話や寒いやりとりが飛び交うブログのコメント欄なんかを読んでしまうと疲労感が激増するので禁忌だ。また、ついうっかりオークションサイトや通販サイトをのぞいてしまうと、妙な衝動買いをしてしまうので、これまた禁忌である(ここを読んだリアル友が笑うのは必至)。
そういう訳で、
寺町みどりさんのブログを覗きに行った。
寺町みどりさんのブログは花の画像が綺麗なのはもちろんだけど、なんといってもここでは、勝手に大ファンしている上野千鶴子さんの話題が読めるのだ。
上野さんは、どうも後進の若手研究者からは辛口の批評をくらいがちの様子ではあるが、、、その批評も、たとえばmacskaさんの
あっちこっちのブログなど読む限り妥当な批評だとも思うけど、それでもやっぱり上野さんの文章には爽快感を感じて大好きなのである(友人が上野ゼミに潜り込んでナマ上野さんを見てきたとメールしてきた時なんて、うらやましくて、もう(爆))。
2006-12-27付けでは
「ジェンダー論当たり年に、「後戻り」の危機感で連帯&「安倍新保守政権の読み方・処し方」/上野千鶴子さん」では、山梨日々新聞の記事「「後戻り」の危機感で連帯 ジェンダー論当たり年に」との新聞記事が読める。この話はちょっと楽観的…な気もするけど。
一方、2006-12-24付けの記事
「戦争は「魅力的」か?〜上野千鶴子/わたしの平和論(月刊オルタ)」は重かった。
以下引用
「中井久夫さんといえば、すぐれた臨床家にして精緻な精神病理学者だが、かれの近著『樹をみつめて』(みすず書房、2006年)が、「戦争と平和論」であることを、そのタイトルだけからではすぐに知ることはできない。(中略)
「戦争反対」はなぜ敗北するのか
編集部から次のような依頼を受けたとき、わたしの念頭にまっ先にうかんだのは、中井さんのこの文章である。そしてそれを紹介するためだけにでも、依頼を引き受けようと思った。というのも、その文章には、わたしが「平和」について長いあいだ心にかかりながら、抑圧してきた問いへの答が、おそろしい真実を以て与えられていたからである。
(中略)
「戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない」
2005年に書かれたこの文章には、新たな「戦争の世紀」になりかねない21世紀を迎えた老年の中井さん自身の衝迫の思いがある。事実、はしり書きのように人類の戦争と平和についてのめいっぱいの「観察」をつめこんだこの文章は、その密度で読む者を圧倒する。人類はなぜ戦争をするのか? 平和はなぜ永続しないのか?・・・・なぜなら、戦争の方が平和より「魅力的だから」。この答は、おそろしすぎる。もちろん、こんな直截な表現を中井さんが使っているわけではない。だが、かれの戦争の記述を読みながら、そうか、そうだったのか、やっぱり、と思わないわけにいかない。だれもがうすうすと感じていたことを、彼は容赦ない真実として明かしてしまう。
中井さんの言葉を引こう。戦争の論理は単純明快である。人間の奥深い生命感覚に訴える。誇りであり、万能感であり、覚悟である。(中略)
これに対して、平和とは、自己中心、弛緩、空虚、目的喪失、私利私欲むきだし、犯罪と不道徳の横行する時代である。(中略)
平和は「退屈」である。
なるほどこうやって比べてみれば、戦争の方が平和よりも100倍も「魅力的」に見えるだろう。個人の生命を越えた高貴な価値のために、死を賭して戦う戦士たちは崇高でうつくしい。これに反対する者は、臆病者、卑怯者と呼ばれる。
(中略)
日常を生き延びる思想
60年前の話しではない。戦争と平和のこの対比は、靖国を賛美し、教育基本法を改悪し、「美しい国」をつくろうとしている者が、何を望んでいるのかを示してくれる。高い倫理性、個人を越えた公共的価値への献身、同胞への惜しみない愛、連帯と結束、緊張と高揚感・・・・への自己陶酔には、抗しがたい魅惑があることだろう。小林よしのりのまんがは、この自己陶酔をうまく表現している。
こう書いているだけで、わるい酒が全身に回るように、冷や汗がにじんでくる。なぜならこういうヒロイズムやナルシシズムに抵抗できる者はほとんどいないからだ。そしてどんな反戦の表象にも、この種のヒロイズムやナルシシズムは(ただその方向が違うだけで)反復されているからだ。たとえばドイツ反戦映画の『白バラ』を思い起こせばよい。主人公はつねに凛々しく毅然として、自分を越えた崇高な価値のために自己犠牲をいとわない。(中略)
戦争のプロパガンダの前に、平和運動はしばしば敗北してきた。(中略)
「平和とは日常茶飯事が続くことである」
中井さんの 卓見である。「過ぎ去って初めて珠玉のごときものとなる」のが、平和だ、とかれは言う。幸福と同じように、その最中にいて、平和の価値を知ることは少ない。
今日のように明日もつづく。そのことがどんなに貴重なことか。そう思わなければ女は子を産み育てられないし、老人は安心して歳をとれない。フェミニズムとはかっこよくも、おおしくもない、日常を生き延びる思想だ。ヒロイズムはフェミニズムの敵、とわたしはずっと思ってきた。中井さんに教えられて、それを再確認した思いである。」
かなり大幅に省略して引用している事をお断りしておく。
それにしても、上野千鶴子氏というヒトは、漠然と思っていた事を実に見事に言語化してしまうものだ。なんだか、大変な時代にさしかかってしまったものだと思う。
当初の目的である頭の疲労回復は、、、回復したというより、余計疲れたというか、他の事に頭が切り替わったから、まぁ初期目的は達成した様子ではある。
おまけ。
この記事も好き。