そして、そういう年頃だからか、体育の時間には女の子を触りに行ったり追いかけ回したりして(日常的にやっていると思われるが、体育の時間でもないと他の学年・クラスでは目につかない)、クラスの女の子からは嫌がられていた。
そういうある日の事。
今と変わらず当時もごく温和しい性格であった私は、昼休みの時間だったかに図書館で一人本を読んでいた。そして、少し離れたところで、↑の知的障害の男の子が、女の子にまとわりついて嫌がられていた。
やがて男の子は、今までまとわりついていた相手から離れ、私のところにやってきた。
はっきりした言葉をしゃべれなかった彼は、突いたり、不明瞭な声を出したりで意思表示をしてきた。
しかし、普段交流もないから彼がどういう遊びをしたいのかさっぱり解らず、何より読書を継続したかった私は言ってみた。
「私は今、この本を読んでいるのであなたと遊びたいとは思っていない。他のところで遊んでくれないか」
大体こういうような趣旨の発言であったと思う。彼は沈黙してしばらく考え、きびすを返すと離れていき、そして他の人をかまい始めた。
…正直、彼があっさり引き下がってくれるとは、そんなに期待していなかった私はちょっと驚いた。
だって、彼が人にまとわりついて嫌がられている光景は実に見慣れたものだったから。そして思った。何だ、話せば通じるんじゃん。どうしてみんな、彼に意思表示をしようとしないで、ただただ嫌がるのだ、と。
そう私は思ったのだが、、、私が読書を断念して彼の相手をする役割を甘受すると予想していたギャラリー達は違った見解をもったようだ。
一斉に「可哀想な人を追い返した」と聞こえよがしにヒソヒソやり出した。
えーっと、私が冷血人間なのかな?まぁそれならそれでいいか、と頭の片隅に追いやって時間が経過したものだ。
そして、今の職場についた時。
ここにも一人、いわゆる知的障害といわれるであろう人がいた。
(何かの事情で障害者手帳をもらい損ねているらしいのだが)大体、小学校一年ぐらいな感じらしい。
ただし、実年齢は60過ぎのじーちゃんである。
彼はほとんど字は書けない。読む方は、漢字はかなり危ういので、彼への伝言は全てひらがなである。もっとも、それでも「これなんて書いてあるの?」と聞かれることもしばしばある。でも、仕事は一生懸命しているし、かみ砕いてわかりやすく説明する必要はあるけど、つきあいは普通だ。彼は、解らないことに解ったフリをせず、解らなければ訊き返してくれるので、いっそやりやすい面もある。
若いスタッフ達は多少の忌避感をもっているみたいだけど、仲のよい年長スタッフ若干名は私も巻き込んで割としょっちゅう飲みに…というか食事に(注;私が飲むのはアルコール抜き、飲めないので)行ったりもする。
そういう人が身近にいてくれたので解ったことだが、誰かに嫌がられるのは避けたい、自分を嫌がる人に対しては忌避感、誰かが喜んでくれるのは嬉しい、そういった感覚を備えた、ごく普通の人だ。
そして、いわゆる「純粋」な人だ。昔はこういった人たちを「神様の子」として大切にしたというような話を聞いたような記憶があるが、それは、彼をみていれば非常に納得する。
そんな彼なので、何らかの場合に「私はそういうことをされるとイヤなので、しないでもらえるか」と頼めば、確実に「うん、わかった」と止めてくれると思う(現実には、仕事上の指示で「○●さーーん、それ、マズイからだめ。こうしてもらえる?」とか「○●さん、ごめん、これ洗って」に「うん、わかったよ」というやりとりだけど)。
kuronekoさんの記事は「(17歳の匿名女性がブログで)小学生のとき、スイミングスクールでいったプールで、中学生風の「障害者」から痴漢行為をうけて、回りの大人に相談したら、『障害者だからしょうがない』と取り合ってくれなかった、それがトラウマになった」と書いてあるアメーバーブログのニュースを取り上げたものだったのだが。。。
周りの大人とやらの反応がねぇ。。。
「しようがある」のではないかと思うのだがなぁ。試さずに決めつけてやしないかなぁ。
隔離するんじゃなく、一緒にいればそういう人たちに何ができて何ができないか解ることなんだけど、一緒に働くのが難しい職種もあるからなかなか難しい。
上記アメーバブログニュースのコメ欄は、雰囲気がアレだったし時間がかかりそうなので、最初のいくつかしか読んでいないが、身近にいるかいないかが結構違いとなって出ているように思う。
やはり、多様な違いのある人が身近にいる状態でないと、何かとアレな事になりそう。
「同質」をよしとするノリというか風潮には異を唱えたいものだ。
そういえば、だれですか?
日本は極めて同質的な国って発言したのは?
同質的って、そんなに望ましいことでしょうか?
同質を肯定的にとらえる意見って何か気持ち悪い、それを発言するがエライ人の場合は特に。
どうせ同じじゃないんだから、違う事を認めればいいのにね。
ところで、話がこういう方向なのでついでに。
ワタクシ、かれこれ10年程前から、洗い物は全て石鹸ですませている人です。
エコとか肩肘張って言うのは嫌いだけど(そんなにエコなのかという疑問を払拭できないし)、不自由ではない。
で、その石鹸を買っているのが、
森のクラフト屋さん、というショップ。
この森のクラフト屋さんが取り扱っているのは、知っている人もいるかもしれないけど
「ねば塾」という団体。
そして、このねば塾とは
「社会で働きたい」と望む、心身にハンデイーを持つ人々がおります。彼等は「福祉施設」のような行政からの補助金での保護保証を望むのではなく、誰でもがしている当たり前の暮らし(自ら働き、その収入で暮らす)を求めております。そんな彼等と「障害者」「健常者」という概念を捨て、「共に働く場所」として「ねば塾」は設立されました。行政からの福祉的補助金を受けずに、障害のある者、無い者、それぞれが持てる力を出し合い、仕事をし、生活をしています。
とする、福祉事業所だそうなのである。
ついでに、基本理念を引用すると
障害者福祉の真のあり方は、一般社会の中で障害者個々の持つ諸機能を最大限に発揮することのできる環境整備である。単に福祉の名のもとに、保護保障という枠を設定し、一般社会から隔離を図るのではなく、障害者個々が自身の負う障害に屈せず、完全社会参加を目指すことにある。
なんだそうだ。
なんだけど。。。
でも、別に、肩肘張って買う必要はない。
単に、すごく品質のいい石鹸がここで確実に買えるというありがたい話であるだけ。
応対も実に誠実なので、石鹸ご利用の方は試しに是非(笑)。
最近はねば塾の石鹸は東急ハンズなどでもおいているけどね。